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銀月のロスト  作者: taka
第17章 個人指名

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顔合わせ


 三日後。


 ユウは、ロストパラダイスの表口ではなく、裏手へ回った。


 夜の店は、相変わらず派手だった。


 赤と紫のネオンが建物の輪郭を縁取り、濡れた路面へ光を落としている。


 表口の方からは、酒と煙草と香水の匂いが流れてくる。


 客の笑い声も、女たちの作った声も、扉越しに低く滲んでいた。


 だが、裏手は違う。


 こちらには、華やかさはない。


 古い搬入口。


 剥げた壁。


 積まれた空きケース。


 排気と油の匂い。


 そして、外縁へ出るための車。


 装甲トラックが一台、車両置き場に停まっていた。


 黒に近い灰色の車体には、後付けの装甲板が何枚も貼られている。


 窓は小さく、荷台側には内側から閉じる金網が見えた。


 側面には古い弾痕の跡も残っている。


 綺麗な車ではない。


 だが、人間を外縁へ運び、また戻ってくるための車だった。


 その周囲に、ロストパラダイス側の新人たちが集まっていた。


 十人ほど。


 年齢はばらついているが、ほとんどが若い。


 全員が武器を持っている。


 多いのはSMGだった。


 古いもの。


 塗装の剥げたもの。


 マガジンだけ新しいもの。


 銃本体より、持ち主の方が武器に振り回されそうな者もいる。


 予備のハンドガンを腰に差している者。


 安いプレート入りのジャケットを着ている者。


 ナイフをこれ見よがしに見せている者。


 装備は揃っていない。


 だが、全員が、自分は戦えるつもりでいる顔をしていた。


 ユウはその中へ歩いていく。


 ARを肩に掛けていた。


 SMGも持っている。


 タチバナに言われた通りだ。


 視界の端では、スマートリンクの薄い線が、装甲トラックの輪郭と新人たちの肩の高さを拾おうとしている。


 まだ邪魔だ。


 だが、歩く分にはもう慣れてきた。


「来たか」


 低い声がした。


 灰狼だった。


 以前、荷を届けた時にも顔を合わせた男だ。


 黒いスーツの下に装甲を仕込んでいる。


 大きすぎる声を出さなくても、場を押さえるだけの重さがあった。


 ユウは短く頷く。


「ああ」


 灰狼はユウの装備を見る。


 AR。


 SMG。


 新しい側頭部の保護材は、もう外れている。


 だが、スマートリンクを入れた痕跡は、見る者が見れば分かる。


「動けるな」


「動ける」


「無理はするな。今日はお前を壊す仕事じゃない」


「分かった」


 灰狼はそれ以上聞かなかった。


 その横に、黒針が立っていた。


 ユウは初めて見る女だった。


 黒髪をきっちりまとめ、身体に沿う服を隙なく着ている。


 派手ではない。


 けれど、立ち方が違う。


 新人たちとも、灰狼とも違う。


 見ているのに、見られていることを相手へ悟らせない立ち方だった。


 黒針はユウを見て、わずかに口元を上げる。


「あなたがユウね」


「ああ」


「姐さんの指名よ。崩れないでね」


 声は柔らかい。


 だが、言葉の中にあるものは柔らかくない。


 ユウは短く返した。


「仕事はする」


 黒針の口元が、少しだけ深くなる。


「そう」


 それ以上は言わない。


 この場に残るつもりはないのだろう。


 見送り。


 確認。


 紫苑の目の代わり。


 その程度の立ち位置だった。


 装甲トラックの横では、若い男が車体にもたれていた。


 片手には工具。


 もう片方の手には、細いケーブルが繋がった小型端末。


 灰狼が言う。


「運転はチェインだ」


 男が顔を上げ、片手を軽く上げた。


「チェイン。吐くなよ。外縁の道は悪い」


「ユウだ」


「知ってる。今日の外部枠だろ」


 チェインは鼻で笑い、トラックの後部を顎で示す。


「乗るなら奥から詰めろ。人数が多い。荷物もある。変なところに足を置くと挟むぞ」


「分かった」


「返事はいいな。吐くなよ」


「吐かない」


「そう言う奴ほど吐くんだよ」


 チェインはそう言って、また車両端末へ目を戻した。


 軽い。


 だが、車の点検をする手つきに遊びはない。


 その少し離れた場所に、長物のケースを持った男がいた。


 立ち方が軽い。


 煙草を吸っているわけでもないのに、どこか気の抜けた雰囲気がある。


 だが、目は違った。


 新人たちのように前だけを見ていない。


 建物の上。


 車両の影。


 出入口。


 路地の奥。


 視線が、勝手に高い場所を探している。


 ユウは男のケースを見る。


 長い。


 SR用のケースだ。


 灰狼がその視線に気づいた。


「夜鴉だ」


 男が片眉を上げる。


「紹介雑だな」


 灰狼は続ける。


「前にお前が荷を持ってきた時、上から撃ったのはそいつだ」


 ユウは夜鴉を見る。


 あの時。


 ロストパラダイスのロビーで、ユイが悪い空気に飲まれかけた。


 酔った客を避け、灰狼へ荷を届けた。


 そして、その後の混乱で、どこか上から支援が入った。


 顔は見ていない。


 だが、あれがこの男だった。


 ユウは短く言った。


「助かった」


 夜鴉は少しだけ目を丸くし、それから笑った。


「お前を助けた覚えはねぇな。白い子の方だ」


「それでも助かった」


「律儀だな」


 夜鴉は肩をすくめる。


「まあ、綺麗な子に傷がつくのは好きじゃねぇんだ。気にすんな」


 ユウはそれ以上言わなかった。


 夜鴉も、礼を受け取ったのか流したのか分からない顔で、ケースを軽く叩いた。


「今日は上には行かねぇ。顔合わせだけだ」


「同行しないのか」


「俺が行ったら新人訓練じゃなくなるだろ」


 夜鴉は軽く笑う。


「お前も今日は主役じゃねぇぞ」


「ああ」


 その返事に、夜鴉は少しだけ目を細めた。


 試すような視線だった。


 ユウは見返さない。


 必要がない。


 その時、新人たちの中から声が上がった。


「ARかよ」


 一人の男だった。


 肩幅はある。


 だが、立ち方に無駄が多い。


 SMGをやけに高い位置で見せるように持っている。


「外から来た奴は、いいもん持ってんな」


 別の新人が笑う。


「スマートリンクも入れたって話だろ。金あるやつは違うねぇ」


 声には、羨望と妬みと侮りが混ざっていた。


 ユウはそちらを見なかった。


 灰狼を見る。


「配置は」


 灰狼の目が、わずかに動いた。


 新人の声も聞いている。


 ユウの反応も見ている。


「お前は後列寄りだ」


 灰狼は言った。


「最初は撃ちすぎるな。前に出るな」


「分かった」


「正面は新人に撃たせる。お前は左を見ろ。コボルトが横へ回ったら潰せ」


「ああ」


「必要になるまで、場を取りに行くな」


「分かった」


 絡んできた男が、少し顔を歪めた。


「おい、無視かよ」


 一歩出かける。


 その肩を、別の新人が掴んだ。


「やめとけ」


 冷静な声だった。


 中背の男。


 SMGは古いが、持ち方は悪くない。


 指も引き金から外れている。


 灰狼の前にいるという意味を分かっている顔だった。


「灰狼さんの前だぞ。今から仕事だ」


 絡んだ男は舌打ちする。


「分かってるよ、ミナト」


 ミナトと呼ばれた男は、手を離さない。


「分かってるなら黙れ」


 その横で、別の男が鼻を鳴らした。


 少し荒い顔つきだが、絡む側ではない。


 こちらはカジと呼ばれているらしい。


「喧嘩は帰ってからにしろ。帰れたらな」


「縁起でもねぇこと言うな」


「コボルト相手に浮ついてる方が縁起悪いんだよ」


 カジはそう言って、SMGのマガジンを確認した。


 さらに後ろには、小柄な少年のような新人がいた。


 ノイ、と誰かが呼んでいた。


 ほとんど喋らない。


 だが、周囲をよく見ている。


 ユウのARではなく、ユウの足の位置。


 灰狼の立ち位置。


 装甲トラックの影。


 そういうものを見ていた。


 新人全員が、馬鹿というわけではない。


 ユウはそれを確認する。


 荒い者。


 浮ついた者。


 黙って見ている者。


 止める者。


 ロストパラダイスの新人という一括りの中にも、差がある。


 黒針は、そのやり取りを横目で見ていた。


 口元が少しだけ上がっている。


 絡まれても反応しない。


 装備を見せびらかさない。


 先に、責任者へ動きを確認する。


 少なくとも、最初の一つは外していない。


 そう言っているような顔だった。


 灰狼が一歩前へ出る。


 それだけで、新人たちの声が落ちる。


「聞け」


 低い声だった。


 怒鳴ってはいない。


 だが、全員が黙るには十分だった。


「今日の任務は外縁部のコボルト狩りだ。場所は西寄りの排水路跡周辺。最近、外壁近くで群れの痕跡が出ている」


 灰狼は周囲を見回す。


「相手はコボルトだ。犬崩れだと思って舐めるな。一匹見たら、見えていないところにまだいると思え」


 新人たちの数人が、少しだけ表情を硬くした。


 何度か聞いた言葉なのだろう。


 だが、本当に分かっている者は少ない。


 灰狼は続ける。


「正面から来る相手だけを撃つな。横と後ろを見ろ。倒したと思っても近づくな。群れが引いたと思っても追うな」


 ユウは黙って聞く。


 前の定期狩りでも、似たことを教わった。


 コボルトは、倒せる相手だ。


 だが、倒せるから安全なわけではない。


 灰狼の視線がユウへ向く。


「ユウは外部参加だ。お前らの世話係じゃない」


 新人たちへ向けた言葉だった。


「ただし、現場では俺の指示下に入る。勝手に動くな」


 ユウは頷く。


「ああ」


 絡んでいた男が小さく鼻を鳴らした。


 だが、今度は何も言わない。


 ミナトが横で見ている。


 カジも、面倒そうな顔でそちらを睨んでいる。


 灰狼の前でそれ以上やれば、仕事前から評価を落とすだけだ。


 黒針が灰狼へ視線を向ける。


「灰狼」


「何だ」


「姐さんから」


 黒針は短く言った。


「死なせすぎないように」


 灰狼は一瞬だけ黒針を見る。


「簡単に言うな」


「姐さんが言うなら簡単でしょ?」


「お前が言うと余計に面倒だ」


 黒針は楽しそうに微笑んだ。


 新人たちの何人かが、表情を引き締める。


 死なせすぎない。


 その言葉は、逆に言えば、死ぬ可能性があるということだった。


 灰狼は新人たちへ向き直る。


「死にたくなければ、俺の指示を聞け。勝手に手柄を取りに行くな。撃ちすぎるな。叫ぶな。逃げる時は俺が言う」


「逃げるんですか」


 絡んでいた男の一人が、少しだけ笑って言った。


 灰狼の目が、その男へ向く。


「逃げる判断ができない奴から死ぬ」


 笑いは消えた。


 灰狼は続ける。


「腕一本、足一本ならサイバネで何とかなると思っている奴がいるなら、今のうちに捨てろ」


 場の空気が、少し重くなる。


「日常用の腕と、仕事に使える腕は違う。仕事に使えるサイバネは高い。お前らの取り分で簡単に戻れると思うな」


 カジが小さく舌打ちした。


 冗談ではないと分かっている顔だった。


 ミナトも黙って聞いている。


 ノイは、自分の手を一度だけ見た。


 灰狼は最後に言った。


「今日の目的は狩ることと、生きて帰ることだ。順番を間違えるな」


 誰も返事をしない。


「返事」


「はい!」


 新人たちの声が揃う。


 揃ってはいるが、強さはばらばらだった。


 灰狼はそれで良しとしたのか、チェインへ顎を向ける。


「出せるか」


 チェインは車両端末を閉じる。


「出せますよ。ブレーキも効く。たぶん」


「たぶんを消せ」


「効きます」


「最初からそう言え」


 チェインは笑いながら運転席へ回る。


「ほら、乗れ乗れ。遅れると道が混むぞ。外縁に向かう馬鹿でな」


 新人たちが荷台へ向かい始める。


 金網のついた後部扉が開き、中には向かい合わせのベンチと固定ベルト、武器を掛けるラックが見えた。


 簡易救急箱もある。


 ただし新品ではない。


 何度も使われた跡がある。


 ミナトが先に乗り込み、位置を詰める。


 カジは絡んでいた男の背を軽く押した。


「奥行け。入口塞ぐな」


「押すな」


「邪魔なんだよ」


 ノイは黙って、ベンチの端へ座る。


 ユウは最後の方で乗ろうとした。


 黒針がその横で声をかける。


「ユウ」


 ユウは振り返る。


 黒針は笑っている。


「姐さんは、あなたが何を倒すかだけを見ているわけじゃない」


「分かってる」


「ならいいわ」


 黒針はそれだけ言って、少しだけ身を引いた。


「崩れないでね」


 ユウは短く頷く。


「仕事はする」


 同じ返事だった。


 黒針は、今度は少しだけ満足そうに見えた。


 ユウは荷台へ乗り込む。


 ベンチへ座ると、向かいには新人たちが並んでいた。


 絡んできた男は、まだ不満そうにこちらを見ている。


 ミナトはその横で黙って装備を確認している。


 カジは足元にSMGを置き、マガジンの数を数えている。


 ノイは、荷台の天井と後部扉を一度ずつ見た。


 灰狼が最後に乗り込む。


 その重さで、車体がわずかに沈んだ。


 後部扉が閉まる。


 外のネオンが細い隙間から消える。


 チェインの声が運転席側から飛ぶ。


「掴まっとけよ。外縁の道は優しくない」


 エンジンが低く唸った。


 装甲トラックがゆっくり動き出す。


 ロストパラダイスの裏手から、夜の下層へ。


 酒と女と金の匂いを背にして、コボルトのいる外縁へ向かう。


 ユウはベルトを締め、ARの位置を確認した。


 視界の端で、トラック内部の輪郭が薄く浮く。


 まだ邪魔だ。


 だが、今はそれでいい。


 今日の仕事は、灰狼の下で動くこと。


 荒い新人の中で、役割を崩さないこと。


 そして、生きて帰ることだった。

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