評価対象
ロストパラダイスの奥の部屋は、相変わらず表の喧騒から切り離されていた。
厚いカーテンの向こうでは、今夜も赤と紫のネオンが濡れた路面を照らしている。
だが、紫苑の机の上に届くのは、店内を映す複数の画面の光だけだった。
一階ロビー。
カウンター。
階段前。
二階の廊下。
個室前。
ロストパラダイスという店が、どこで金を吸い、どこで欲を回し、どこで揉め事を切っているのか。
その全てを、この部屋は静かに映している。
紫苑は、その光を受けながら端末を見ていた。
机の隣には、黒針が控えている。
いつものように、紫苑の邪魔にならず、必要ならすぐ動ける位置。
ただし今日、その手には一つの報告端末があった。
表示されているのは、一人の少年の情報だった。
ユウ。
タチバナのファミリーに所属する若いロスト。
野良犬上がり。
下層育ち。
三花街駐屯任務に参加。
ゴブリン侵入対応。
オーガ撃退に関与。
三花街側の記録に個人評価あり。
さらに、その下には別の追記がある。
三花街任務後、ガレージストリートの闇医者区画にてスマートリンク導入。
翌日、裏通りのガンショップ地下射撃場で慣らし射撃。
現在、主武装はARへ移行中。
黒針は、報告を終えて紫苑を見る。
「以上です」
紫苑はすぐには答えなかった。
画面に表示されたユウの記録を、指先でゆっくりなぞる。
それは愛玩物を撫でる仕草にも見えたし、商品の傷を確認する仕草にも見えた。
やがて、紫苑は薄く笑った。
「伸びているわね」
黒針の口元が、少しだけ上がる。
「姐さんの目、外れていませんでしたね」
「まだ見立ての途中よ」
紫苑は端末から目を離さない。
「三花街で動いたのは、偶然ではないのね」
「はい。補助扉の侵入対応、オーガの誘導、壁上銃座との連携。三花街側の守衛記録にも残っています」
「若いのに、派手に前へ出ただけではない」
「むしろ、出過ぎてはいません。タチバナの指示を聞き、必要な穴だけ埋めています」
「そこがいいわ」
紫苑は楽しそうに言った。
「強い子なら、下にはいくらでもいるもの」
黒針は小さく頷く。
「使える子、ですね」
「ええ」
紫苑は画面を切り替える。
別の映像が出た。
過去の店内映像。
ロストパラダイスの一階ロビー。
派手なネオン。
ミラーボール。
半裸に近い女たち。
酒を煽る客。
その中を、ユウと白髪の少女が歩いている。
ユイだった。
映像の中で、ユイは明らかに場違いだった。
若い。
削られていない。
守られている。
自分がどう見られているのか分からない顔で、ロストパラダイスの空気に飲まれている。
酔った男が近づく。
ユウが動く。
少女を引き寄せ、間に入る。
その動きは早かった。
洗練されているわけではない。
だが、迷いがなかった。
紫苑はその映像を見て、微笑みを深くした。
「この時は、まだ空気の読み方が遅い」
「はい。店に入った時点では危険を読み切れていません」
黒針は淡々と答える。
「ただ、危険が形になった瞬間には動いています。説明より先に身体が出るタイプですね」
「下層育ちの匂いはあるわ」
「野良犬上がりですから」
「野良犬、ね」
紫苑はその言葉を少しだけ転がすように言った。
「荒い場所には慣れているでしょうね。下手な下層の新人より、打たれ強い」
「怒鳴られる、押しのけられる、舐められる。その程度では崩れないかと」
「でも、それだけなら珍しくないわ」
「はい。見たいのは、崩れない上で指示を聞けるか、ですね」
紫苑は満足そうに黒針を見た。
「分かっているじゃない」
黒針の口元が、ほんの少しだけ緩む。
「姐さんの側にいますから」
「かわいいことを言うわね」
紫苑は笑った。
だが、その目は端末に戻る。
「白髪の子は?」
「タチバナの娘です」
黒針はすぐに答える。
「登録上はロストですが、今回見る類の駒ではありません」
「戦えるの?」
「護身と応急処置。簡単なサイバネメンテの芽もあります。ただ、新人に混ぜてコボルトを狩らせる評価軸には乗りません」
「そう」
紫苑の声は軽かった。
興味を失った、というより、分類が終わっただけの声だった。
「なら、要らないわ」
黒針は端末を操作する。
「もう一人、三花街任務に同行していた上層落ちの少女がいます」
「銀月経由の預かり物ね」
「はい。ラヘル・フォン・ライナルト。電脳化済み。上層育ちで、交渉や場読みの素養はあります」
「荒い現場に立つ子ではない」
「現時点では」
「なら、なおさら要らないわ」
紫苑はそう言って、ラヘルの資料を一瞥しただけで閉じた。
そこに悪意はない。
揺さぶってやろうという意図もない。
傷つけて楽しもうという気配もない。
ただ、今回の仕事に必要ない。
それだけだった。
紫苑の視界に残ったのは、ユウだけだった。
黒針はその冷たさを当然のものとして受け取っている。
「ユイの方はタチバナの娘です。扱いを間違えると、そちらが面倒になります」
「連れてくる必要がないなら、面倒も起きないわ」
「ラヘルも?」
「今回は要らない」
紫苑は端末のユウの欄を開いたまま言う。
「応急処置ができる子も、口が回る子も、使い道はあるわ。でも今回はそこを見ない」
「まず武力」
「最低ラインね」
紫苑は静かに言った。
「立てるか。撃てるか。指示を聞けるか。自分の役割を間違えないか」
画面に、ユウの装備情報が表示される。
AR。
スマートリンク。
既存の反射補強。
装甲板。
下層育ち。
「この子は、そこに乗ってきた」
黒針は頷く。
「三花街の報酬を、遊びにも女にも酒にも使っていません」
「スマートリンク」
「はい。型落ちですが、企業製の安定品です。闇医者区画のリュンが取り付けたと見られます」
「下層で、報酬をそのまま身体へ戻す」
紫苑は楽しそうに笑う。
「いいわね」
「かなり真面目な使い方です」
「真面目というより、生き残ることしか見ていないのよ」
紫苑の声は甘い。
けれど、その中身は冷たい。
「評価されて、金をもらって、浮かれない。次に死なないために使う。そういう子は、育てがいがあるわ」
黒針は少しだけ目を細める。
「姐さん、もう拾う気ですか?」
「まだよ」
紫苑は即座に言った。
「拾う価値があるか見るの」
画面が切り替わる。
外縁部の簡易地図。
コボルト出没情報。
ロスパラ所属の新人候補者リスト。
黒針はそれを見て、少しだけ笑った。
「新人任務ですか」
「ええ」
「コボルト狩り」
「外壁寄り。退路はある。初心者向けとしては悪くない場所」
「ただし油断すれば死ぬ」
「油断する子は、いずれ死ぬわ」
紫苑は何でもないことのように言った。
黒針は端末の新人リストを見る。
名前が並んでいる。
十人ほど。
ロストパラダイスに出入りし、首輪付きの下で使えるかどうかを見られている若い荒くれたち。
威勢はある。
武器も持つ。
だが、まだロストとして安定して回るかは分からない。
黒針はそのリストとユウの名前を見比べた。
そして、楽しそうに言う。
「姐さん。それ、新人たちは当て馬ですよね」
紫苑は否定しなかった。
「新人も見るわよ」
「ついでに?」
「使える子がいれば拾う。潰れるなら、そこまで」
紫苑は端末に表示されたユウの記録を、指先で軽く叩いた。
「けれど、本当に見たいのは、この子がその中でどう動くか」
黒針は軽く肩をすくめる。
「荒い新人の中に、一人だけ外から混ぜる」
「舐められるでしょうね」
「張り合ったら減点」
「引っ込みすぎても減点」
「助けすぎても?」
「減点」
紫苑は微笑む。
「見捨てすぎても、使いづらいわ」
黒針は喉の奥で小さく笑った。
「面倒な試験ですね」
「仕事は面倒なものよ」
紫苑の指が、地図上の一点を示す。
「コボルトは基本敵。けれど群れで来る。包囲する。弱いところを見る。新人を見るにはちょうどいい」
「ユウを見るにも」
「ええ」
紫苑は頷く。
「ARを持って、スマートリンクを入れたばかり。そこで調子に乗るかどうかも見たいわ」
「慢心しますかね」
「しないなら、さらにいい」
「灰狼を付けますか」
「灰狼でいいわ」
黒針が少しだけ首を傾げる。
「私ではなく?」
「あなたが行くと、見たいものが変わるもの」
紫苑は黒針を見る。
「新人があなたを見る。ユウもあなたを見る。場の空気が別物になる」
「灰狼なら?」
「灰狼なら、仕事になる」
黒針は納得したように頷く。
灰狼は首輪付きのリーダー格だ。
荒くれの相手にも慣れている。
威圧しすぎず、舐めさせすぎず、必要なら切る。
そして、死なせすぎない。
「灰狼に面倒を押しつけます?」
「灰狼なら、死なせすぎないわ」
紫苑は平然と言った。
「死なせる前提みたいですね」
「死ぬ時は死ぬわよ」
黒針は笑った。
「新人任務ですからね」
「だからこそよ」
紫苑は端末を閉じる。
「本当に危険な場所へ放り込む前に、どこで崩れるかを見る。崩れないなら、次を考える」
黒針は一歩だけ前に出る。
「ユウ個人への指名で出しますか」
「ええ」
紫苑は頷いた。
「タチバナのファミリー宛てではなく、ユウ個人への指名で」
「ユイとラヘルは含めない」
「含める理由がないわ」
言葉は静かだった。
だからこそ、冷たい。
「ユイは登録上ロストでも、今回の評価対象ではない。ラヘルはもっと違う。あの子たちを揺さぶる必要もない」
紫苑は薄く笑う。
「ただ、要らないだけ」
黒針の口元が、少しだけ上がった。
「結果として、揺れるでしょうね」
「それはあの子たちの問題」
紫苑は画面の中の店内映像へ視線を戻した。
一階ロビーでは、女が客の隣に座って笑っている。
別の席では、男たちが酒を持って声を荒げている。
首輪付きの一人が、揉めそうな客へ静かに近づいていた。
紫苑は黒針へ言う。
「銀月に依頼を出しておいて」
「承知しました」
「内容は、ロスパラ新人十人程度のコボルト狩り。引率と評価は灰狼。そこへユウを一人、混ぜる」
「報酬は?」
「新人扱いでは失礼ね。三花街で評価を受けた子だもの。少し色を付けなさい」
「姐さんが気に入っていると見られますよ」
「見られて困る?」
黒針は楽しそうに笑った。
「いいえ」
紫苑は椅子の背にもたれた。
「ただし、甘やかす必要はないわ。見たいのは、綺麗に扱われた時の動きではないもの」
「群れの中に放り込む」
「ええ」
紫苑は微笑む。
「まずは、群れの中に放り込んでみましょう」
黒針は端末を閉じた。
「銀月へ、ユウ個人指名の依頼を出しておきます」
「お願い」
紫苑の視線は、もう別の画面へ移っていた。
ロストパラダイスの表では、今夜も酒と女と金が回っている。
その奥の静かな部屋で、次の仕事が決まった。
呼ばれるのは、ユウ一人だった。




