使える
ユウは、次の弾を込めた。
地下射撃場の空気は重い。
硝煙。
油。
古い防音材に染みた火薬の匂い。
ガンショップの地下は、広くはない。
撃つために必要な距離と、弾を止めるための壁と、的を送るためのレールがあるだけだ。
余計なものはない。
だから、視界に出る線が余計に邪魔だった。
的の中心。
銃口の向き。
肩の揺れ。
呼吸によるわずかな上下。
それを拾おうとして、薄い補助線が視界の端から中央へ寄ってくる。
ユウはARを構え直した。
さっきの一発は、外していない。
だが、遅れた。
線を見た。
線に合わせた。
その分だけ、身体の判断が遅れた。
店主が後ろから言う。
「次」
ユウは返事をしない。
的を見る。
線を見ない。
見ない。
そう思うほど、視界の端の薄い情報が気になる。
撃つ。
銃声が跳ねた。
弾は的に当たる。
今度は、さっきより少し中心に寄った。
だが、違う。
店主が言った。
「今度は無視しすぎだ」
ユウはARを下ろさない。
「見るなって言っただろ」
「追うなと言った。使うなとは言ってない」
店主は欠伸を噛み殺す。
眠そうな声だった。
だが、聞こえているものは正確だった。
「補助なしで撃つなら、入れた意味がない」
「邪魔だ」
「邪魔なうちは、邪魔なものとして置いとけ」
「どういう意味だ」
「中心に置くな。端に置け」
店主は射撃台の横へ歩いてきた。
ユウの構えを見る。
肩。
頬づけ。
手首。
足の位置。
視線は眠そうでも、見る場所はずれていない。
「的を見る。銃を見る。身体を見る。そこまでは今まで通りだ」
「ああ」
「線は追うな。だが、消すな。視界の端に置いて、戻りだけ拾え」
「戻り」
「反動の後だ。銃口が戻る場所を、線で確認しろ。決めるのは撃つ前。線は確認」
リュンの言葉が、頭の中で重なる。
補助を信じるな。
使え。
店主は射撃の言葉で言っているだけだった。
「もう一発」
ユウは頷く。
今度は、線を見ないようにするのをやめた。
見ないのではない。
追わない。
的を見る。
身体を置く。
肩に銃を当てる。
呼吸。
線は、視界の端にある。
中心ではない。
邪魔だ。
だが、そこにある。
撃つ。
反動が肩へ返る。
銃口が跳ねる。
戻る。
その戻りの端で、薄い線が揺れた。
ユウは撃った後に、それを拾った。
的を見る。
さっきより、まとまっている。
中心ではない。
だが、遅れていない。
店主が少しだけ顎を上げた。
「今のだ」
ユウは目を細める。
視界の右上が、少し滲んでいた。
クロガネの声が思い出される。
長く撃つな。
連射するな。
気分が悪くなったらやめろ。
ユウはそれを無視しなかった。
無視すれば、今入れたばかりのものを壊す。
壊れれば、金も身体も無駄になる。
「もう少し」
店主は言った。
「単発だけだ」
「分かってる」
「分かってる顔じゃない」
「……短くやる」
「そうしろ」
ユウは次の弾を込める。
撃つ。
線を追いそうになる。
遅れる。
店主が言う。
「追った」
「分かってる」
「分かってるなら直せ」
撃つ。
今度は線を切りすぎる。
普通に当たる。
だが、スマートリンクを使ってはいない。
「ただの射撃だ」
店主が言う。
「入れた金が泣くぞ」
ユウは息を吐く。
撃つ。
的を見る。
線は端。
銃口の戻りを拾う。
撃つ前に決める。
撃った後に確認する。
次の一発で、少しだけ噛み合った。
弾着が寄る。
自分の感覚の中に、ほんの少しだけ別の情報が滑り込む。
まだ邪魔だ。
まだ自分のものではない。
だが、使えないものではない。
ユウはさらに数発撃った。
単発。
間を置く。
呼吸を整える。
視界の滲みが少し強くなる。
頭痛も、側頭部の奥で鈍くなってきた。
痛みというより、圧だ。
店主が言った。
「そこまでだ」
ユウは的を見たまま、少しだけ黙った。
「まだ撃てる」
「撃てるのと撃っていいのは別だ」
店主はカウンターの時と同じ、眠そうな声で言う。
「リュンとクロガネに何を言われた」
「長く撃つな」
「ならやめろ」
ユウはARを下ろした。
弾倉を外す。
薬室を確認する。
安全を確認して、射撃台へ置く。
視界の線はまだ残っていた。
銃を下ろしても、射撃場の壁や的の輪郭を拾おうとしている。
邪魔だ。
でも、さっきよりは少しだけ分かる。
線の見る場所。
線を見ない場所。
使う場所。
捨てる場所。
店主が的を戻した。
紙の上には、ばらつきがある。
最初の弾は少し遅れている。
次は無視しすぎている。
後半だけ、まとまりが変わっていた。
店主はそれを見て言う。
「下手にはなってない」
「褒めてるのか」
「事実だ」
「上手くなったとは言わないのか」
「今入れたばかりで上手くなるなら、誰も練習しない」
それもそうだった。
店主は紙を指で叩く。
「これは道具だ。腕じゃない」
「ああ」
「道具が増えただけで、腕が増えたと思う奴から死ぬ」
「分かってる」
「今のは、少し分かってる顔だ」
店主は的紙をユウへ渡した。
「今日は終わり。明日以降、少しずつ撃て。いきなり実戦で信用するな」
「使えるか」
店主は少しだけ考えた。
それから言う。
「お前が使うなら、使える」
ユウは的紙を見る。
中心に完全には集まっていない。
だが、後半の弾は明らかに変わっている。
スマートリンクに撃たせるのではない。
自分で撃つ。
その上で、補助を使う。
まだ遠い。
でも、方向は分かった。
ユウは短く言った。
「使える」
店主は欠伸をした。
「なら帰れ。顔色が悪い」
「悪いか」
「悪い。クロガネに怒られる前に帰れ」
「店主が怒られるのか」
「面倒だろ」
店主はそう言って、地下の照明を落とした。
地上へ戻る階段を上がる。
段差の輪郭が、視界の端で薄く拾われる。
さっきよりは邪魔ではない。
いや、邪魔だ。
だが、邪魔なまま置いておける。
それだけでも違った。
ガンショップを出ると、ガレージストリートの音が戻ってきた。
ユウはアジトへ向かった。
連絡はしていない。
する理由がなかった。
退院した。
慣らしもした。
帰る。
それだけだった。
銀月の近くまで戻る頃には、頭痛が少し強くなっていた。
走らない。
急がない。
光の強い看板を見ない。
クロガネの言葉を思い出しながら歩く。
アジトのシャッター脇の扉を開ける。
中へ入る。
リビングには、ユイがいた。
立ち上がるのが早かった。
「ユウ!」
ユウは扉を閉める。
「戻った」
「連絡してください」
「戻った」
「そういうことじゃないです」
ユイの声が少し強い。
怒っているというより、心配がそのまま形になっている声だった。
ユウは少しだけ目を動かす。
「問題ない」
「問題があるかどうかを、こっちは分からないんです」
「クロガネが見た」
「私たちは見てません」
そこへ、サエが端末を片手にリビングへ顔を出した。
ユウを見る。
側頭部の保護材。
顔色。
目の動き。
歩き方。
一通り見て、ため息をついた。
「ほらね。連絡しなかったでしょう」
ユイはサエを見る。
「当たらなくていいです」
「当たるわよ。ユウだもの」
「……そうですけど」
ユウは靴を脱ぎながら言う。
「退院した」
「それは見れば分かります」
ユイが近づく。
「顔色、悪いです」
「撃ったからな」
ユイの動きが止まった。
「撃った?」
サエの目も細くなる。
「……まさか、その足でガンショップに行ったの?」
「慣らしだ」
「今日一日は無茶するなって言われなかった?」
「長く撃つなと言われた」
「言われたのね」
「短く撃った」
サエは額に手を当てた。
「座りなさい」
「動ける」
「座りなさい」
ユイも続く。
「座ってください」
ユウは一瞬、二人を見る。
逆らっても面倒だと判断した。
椅子に座る。
ユイはすぐ近くに立ち、側頭部の保護材を見た。
「痛みますか」
「少し」
今度は、動けるとは言わなかった。
ユイは少しだけ目を丸くする。
それから、眉を寄せた。
「少しでも、痛いなら言ってください」
「言った」
「そうですけど」
「言ったぞ」
「……そうですけど、そういうことじゃないです」
サエが横で小さく息を吐く。
「ユイ、落ち着いて。まず水」
「はい」
ユイはすぐに水を取りに行く。
リビングの隅では、ラヘルが立っていた。
ラヘルは、何も言わずにユウを見ている。
ユウは戻ってきた。
何事もなかったように。
けれど、何もなかったわけではない。
昨日、三花街で報酬を受け取った。
その金で、身体に新しいものを入れた。
一晩泊まり、確認を受け、そのまま訓練して戻ってきた。
自分が何かを考えている間に。
自分がまだ、何をすればいいか分からずにいる間に。
ユウはまた一つ、次へ進んでいた。
それを自慢するわけでもない。
誰かに説明するわけでもない。
ただ、必要だからやった。
そういう顔で座っている。
ラヘルは、自分の手をそっと握った。
痛くはない。
けれど、その指先に力が入る。
ユイが水を持って戻ってくる。
「飲んでください」
ユウは受け取る。
「助かる」
短く言って、水を飲んだ。
サエはユウの顔を覗き込む。
「視界は」
「線が出る」
「気持ち悪い?」
「邪魔だ」
「吐き気は」
「ない」
「頭痛は」
「少し」
「なら今日はもう何もしないこと」
「分かった」
サエとユイが同時にユウを見た。
信用していない顔だった。
ユウは言い直す。
「今日はもう撃たない」
「走らない」
ユイが追加する。
「走らない」
「喧嘩しない」
サエが言う。
「しない」
「強い光を見ない」
「見ない」
「勝手に外に出ない」
ユイが言った。
ユウは少しだけ黙る。
「必要なら」
「必要でも、声をかけてください」
ユウはユイを見る。
ユイは引かなかった。
「……分かった」
今度は、少しだけ本当に分かった顔をした。
サエが肩の力を抜く。
「タチバナにも報告しておきなさい」
「何を」
「スマートリンクの慣らし結果」
「使える」
リビングの空気が、少しだけ止まった。
ユウは水のボトルを置く。
「まだ邪魔だ。まだ自分の感覚じゃない。でも、使える」
その声に、浮かれた響きはなかった。
新しい力を手に入れた喜びでもない。
高い買い物をした満足でもない。
ただ、次に生き残るための道具が一つ増えた。
それだけを確認した声だった。
ユイは、その言葉を静かに受け止める。
ラヘルも同じように聞いていた。
ユウは評価されても浮かれなかった。
使えるかどうか。
生き残れるかどうか。
そこだけを見ている。
サエは小さく息を吐いた。
「なら、今日は休みなさい」
ユウは少し不満そうに見えた。
だが、反論はしなかった。
視界の端で、リビングの机の輪郭が薄く浮いている。
ユイの白い髪の線も、淡く拾おうとしている。
まだ邪魔だ。
けれど、ユウはそれを切らない。
使える。
そう判断したものは、慣らすだけだ。




