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銀月のロスト  作者: taka
第16章 残った傷跡

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接続

「固定する」


 リュンはそう言って、作業椅子の横から器具を引き出した。


 金属製ではない。


 黒い樹脂と薄い金属フレームを組み合わせた、使い込まれた固定具だった。


 ユウは椅子に座ったまま、それを見る。


「必要か」


「必要だ」


 リュンは即答した。


「人間は動く」


「動かない」


「動く。怖い時は特に動く」


 リュンは淡々と言った。


「お前を信用していないんじゃない。人間の反射を信用していない」


「同じだろ」


「違う。お前個人に興味はない」


 それもどうかと思ったが、ユウは黙った。


 リュンはユウの頭を左右から固定した。


 こめかみの横に、冷たい樹脂の枠が触れる。


 顎の下にベルトが回される。


 肩と胸も、椅子に軽く押さえられた。


 手首も肘置きに固定される。


 拘束というより、事故防止だった。


 だが、動けないことに変わりはない。


「きついか」


「動かない程度には」


「ならいい」


 リュンはユウの側頭部と首の後ろを確認し、端末に何かを打ち込んだ。


「局所麻酔を入れる。少し鎮静もかける。完全には寝かせない」


「なんでだ」


「途中で答えさせるからだ。見えるか、歪むか、吐き気があるか。全部お前の返答が要る」


「分かった」


「分かった奴は、だいたい分かってない」


「どうしろと」


「黙って座ってろ」


 リュンは細い注射器を取った。


 ユウの首の後ろと、側頭部の近くに冷たい感触が触れる。


 針が入る。


 痛みは小さい。


 だが、目に近い場所を触られているというだけで、身体が勝手に強張った。


 リュンはそれを見逃さなかった。


「肩に力を入れるな」


「入れてない」


「入ってる」


「……」


「抜け。固定していても、筋肉が張ると位置がずれる」


 ユウは息を細く吐いた。


 肩から力を抜く。


 抜いたつもりでも、完全には抜けない。


 リュンはそれ以上何も言わず、麻酔を続けた。


 数分後、側頭部の感覚が鈍くなっていく。


 触られていることは分かる。


 圧も分かる。


 だが、痛みだけが遠い。


 リュンはユウの目元へ薄い固定具を下ろした。


 視界が狭まる。


 左側に、作業灯の白が滲んでいる。


 右側はほとんど見えない。


「目を動かすな」


「無茶言うな」


「無茶でも動かすな」


「固定しろ」


「固定してる」


「目は動く」


「だから動かすなと言ってる」


 リュンは本気でそう言っていた。


 ユウは目を閉じたくなったが、固定具の内側でそれも半端にしかできなかった。


 作業灯の白が薄く残る。


「始めるぞ」


 リュンの声がした。


 器具皿の上で、金属が鳴った。


 かちゃ。


 小さい音。


 それが、妙に近い。


 視界が塞がれているせいか、耳だけが勝手に音を拾う。


 かちゃ。


 少し間を置いて、また、かちゃ。


 誰かが器具を渡す声はない。


 補助の手もない。


 リュンは一人で作業していた。


 必要な器具は、すべて自分の届く位置に並べてある。


 手を伸ばす。


 取る。


 置く。


 また取る。


 そのたびに、耳の横で金属音が鳴った。


「助手は」


 ユウが聞く。


「いらない」


「一人でやるのか」


「俺の手順を知らない奴がいる方が邪魔だ」


「そうか」


「喋るな。顎が動く」


 ユウは口を閉じた。


 側頭部の皮膚が、わずかに引かれる感覚がある。


 痛みはない。


 だが、何かが自分の頭のすぐ横で開かれていることは分かる。


 細い器具が触れる。


 金属が皿に戻る。


 ケーブルのようなものが擦れる。


 視界は白く滲んだまま。


 音だけが、近い。


 ユウは呼吸を整えようとした。


 浅くなる。


 自分でも分かった。


 リュンの声が降ってくる。


「脈が上がってる。発汗も増えた」


「問題ない」


「ある。汗が側頭部へ流れると邪魔だ」


 布が一枚、こめかみの上へ押し当てられた。


「怖くない必要はない。動かない必要がある」


 ユウは一度だけ、細く息を吐いた。


「動かない」


「ならいい」


 リュンはそれで話を終えた。


 安心させる気はない。


 ただ、作業に必要な条件だけを告げる。


 それは、ある意味では分かりやすかった。


 リュンの指先が動く。


 何かが差し込まれる感覚。


 細い圧。


 頭の奥ではなく、皮膚と骨の間を触られているような気持ち悪さ。


 痛くはない。


 痛くないから平気、とはならない。


 耳元で、また器具が鳴る。


 かちゃ。


 ユウは椅子の肘置きに固定された手を、動かさなかった。


 動かせなかった、ではない。


 動かさなかった。


 動いたら悪くなる。


 それだけは分かる。


 下層では、怖いからといって暴れても、結果は良くならない。


 怖くても、止まる時は止まる。


 痛くても、黙る時は黙る。


 そうしなければ、余計に悪くなる。


 リュンが短く言った。


「接続する」


 その直後、視界の奥で何かが走った。


 白い作業灯の滲みの端に、細い線が入る。


 線。


 いや、線というより、情報だった。


 色は薄い。


 青にも白にも見える。


 だが、色として見えているわけではない。


 視界の端に、銃口の向きでもない何かが重なる。


 ユウは思わず目を動かしかけた。


 固定具が、それを止める。


 リュンが言う。


「見えたか」


「線」


「色は」


「薄い。白……いや、違う」


「情報として見えてるなら正常だ。歪むか」


「少し」


「どこが」


「右上」


「想定内」


 リュンは端末を叩く。


「吐き気は」


「ない」


「頭痛」


「少し」


「それも想定内」


「想定内が多いな」


「想定外を言われたら困る」


 リュンはそう言って、また作業へ戻った。


 視界の線は、消えたり、薄く戻ったりした。


 目を動かしていないのに、視界の奥で何かが勝手に調整されている。


 気持ち悪い。


 便利かどうかは、まだ分からない。


 ただ、自分の目に、自分以外の情報が入ってきている。


 その感覚だけがあった。


 リュンはさらに何度か確認を続けた。


「線は濃いか」


「薄い」


「今、消えたか」


「消えた」


「戻す」


 視界の端に、また線が戻る。


「強すぎると邪魔だ。最初は薄いくらいでいい」


「最初から綺麗な方がいいんじゃないのか」


「最初から綺麗に見える方が危ない。身体が補助を自分の感覚だと勘違いする」


「それで」


「補助に身体を合わせる。そういう奴から死ぬ」


 リュンは端末を操作する。


「身体に補助を合わせろ。逆にするな」


 ユウは黙って聞いた。


 それは、少しだけ分かる気がした。


 銃は自分で撃つ。


 動くのも自分だ。


 線が出るから撃つのではない。


 撃つ時に、線を使う。


 順番を間違えれば、死ぬ。


 リュンは最後の器具を置いた。


 かちゃ、と音が鳴る。


「終わりか」


「取り付けはな」


 リュンは固定具をすぐには外さなかった。


「初期反応を見る。急に動かすな。目もゆっくり動かせ」


「分かった」


「また分かったと言ったな」


「他に何て言えばいい」


「何も言うな」


 リュンは固定具を少し緩めた。


 ユウの視界が広がる。


 作業灯の白が、強く目に入った。


 その白の上に、薄い線が重なっている。


 まっすぐではない。


 呼吸に合わせて、少しだけ揺れる。


 自分の視界ではないものが、そこにある。


 ユウは眉を寄せた。


「邪魔だな」


「正常だ」


 リュンはそう言った。


「邪魔じゃなくなったら、慣れたってことだ」


「どれくらいかかる」


「人による」


「役に立たない答えだな」


「正確な答えだ」


 リュンは固定を外し、ユウの首元と側頭部を確認する。


 小さな保護材を貼り、上から薄いガーゼを当てた。


「今日は撃つな」


「撃たない」


「走るな」


「走らない」


「喧嘩するな」


「しない」


「全部、信用してない」


「なら聞くな」


「記録だ」


 リュンは端末に入力した。


「二階へ行け。観察用のベッドを使う。夜中に吐き気、視界ノイズ、熱、痺れが出たら呼べ」


「誰を」


「呼び出し端末がある。押せば誰か来る」


「リュンが来るのか」


「症状による。機械なら俺。肉ならクロガネ」


「分かった」


 リュンは少しだけ顔をしかめた。


「その返事、やめろ」


 ユウは返事をしなかった。


 それにはリュンも何も言わなかった。


 二階へ上がる階段は、工房の横の通路から続いていた。


 リュンに案内され、ユウはゆっくり立ち上がる。


 足元が少しだけ浮くような感覚があった。


 視界の端に薄い線が残っている。


 それが、段差を拾うようにわずかに動いた。


 気持ち悪い。


 だが、見えないよりはましだった。


 二階は病室だった。


 正確には、病室というほど整ってはいない。


 白い壁。


 細いベッド。


 簡易モニター。


 呼び出し端末。


 薄いカーテン。


 それだけの部屋が、いくつか並んでいる。


 ここは、治すための場所というより、帰すと危ない客を一晩置いておく場所だった。


 隣の部屋から、誰かの低い呻き声が聞こえる。


 階下からは、器具の音と受付の声がかすかに上がってくる。


 静かではない。


 だが、下層の外よりは安全だった。


 リュンは一つのベッドを顎で示す。


「寝ろ」


 ユウはベッドに腰を下ろした。


「明日の朝、先に俺が見る。その後クロガネだ」


「分かった」


「……」


 リュンは何か言いかけたが、やめた。


「寝ろ」


 そう言って、部屋を出て行った。


 ユウは横になった。


 天井を見る。


 天井の隅に、薄い照明がある。


 その周りに、また線が滲んだ。


 視界の補助が、物の輪郭を拾おうとしているのかもしれない。


 あるいは、ただの初期ノイズかもしれない。


 目を閉じる。


 閉じても、線の残像が残る。


 薄く、奥に。


 眠りは浅かった。


 何度か目を覚ました。


 そのたびに、視界の端に違和感があった。


 頭痛は強くない。


 吐き気もない。


 だが、自分の中に何かが増えた感覚だけは消えない。


 夜中、一度だけ呼び出し端末に手を伸ばしかけた。


 けれど、止めた。


 痛いわけではない。


 熱もない。


 視界が歪み続けているわけでもない。


 呼ぶ理由にはならない。


 ユウは手を戻し、また目を閉じた。


 次に目を覚ました時、薄い朝の灯りがカーテン越しに入っていた。


 下層の朝は、綺麗ではない。


 それでも、夜よりは少しだけ明るい。


 扉が開く。


 リュンが入ってきた。


 昨日と同じツナギ姿。


 髪は相変わらず雑に束ねている。


 手には端末と、細い診断プローブ。


「起きてるな」


「今起きた」


「寝られたか」


「少し」


「吐き気」


「ない」


「頭痛」


「少し」


「視界ノイズ」


「右上が滲む」


「濃さは」


「薄い」


「線は消えるか」


「目を動かすと少し遅れる」


 リュンは端末に入力していく。


「想定内」


「便利な言葉だな」


「実際そうだ」


 リュンはユウの側頭部に診断プローブを当てた。


 冷たい。


 小さな電子音が鳴る。


「リンクは通ってる。初期補正は弱め。反射補強との干渉も出てない」


「使えるか」


「撃ってみないと分からない」


「おい」


「ここで銃は撃てない」


 リュンは当然のように言った。


「ただ、機械側は問題ない。慣らしは必要だ。最初は補助を信じるな」


「使うなってことか」


「違う。信じるな。使え」


 ユウはその言葉を少しだけ考えた。


「分かった」


 リュンは顔をしかめる。


「その返事は嫌いだ」


「使う。信じない」


「それでいい」


 リュンはプローブを外した。


「次、クロガネ」


「ここで見るのか」


「降りろ。あいつは肉を見る」


 ユウはベッドから起き上がった。


 立った瞬間、視界の線が床の輪郭を拾う。


 一瞬、足元が近く見えた。


 ユウは眉を寄せる。


 リュンが言う。


「急に頭を振るな」


「振ってない」


「振った」


「少しだ」


「少しでも振るな」


 そのまま一階へ降りる。


 階段の途中、視界の端に手すりの線が浮いた。


 薄い。


 邪魔だ。


 だが、慣れれば使えるかもしれない。


 クロガネの診察室に入ると、匂いが変わった。


 機械油ではない。


 消毒薬。


 薬品。


 血を拭った後の匂い。


 クロガネは机の横に立っていた。


 年齢は分かりにくい。


 表情は薄い。


 白衣らしいものは着ているが、清潔な病院の医者というより、何度も洗って色の落ちた作業衣に近い。


 クロガネはユウを見る。


「座れ」


 ユウは椅子に座った。


 リュンは壁際に立つ。


 クロガネはユウの側頭部と首の後ろを見た。


 ガーゼを少し外し、炎症を確認する。


 指先で周囲を押す。


「痛み」


「少し」


「どの程度」


「動ける」


 クロガネの目が少し細くなる。


「動けるかは聞いていない。痛みを聞いている」


 ユウは一拍黙った。


「鈍い。強くはない」


「熱は」


「ない」


 クロガネは体温を確認する。


「微熱もない。炎症は軽い。出血も止まっている」


 次に、ユウの目の動き、反応、手指の動きを見る。


「痺れ」


「ない」


「吐き気」


「ない」


「視界の歪み」


「少し」


「リュン」


 クロガネが壁際を見る。


 リュンは端末を見たまま答えた。


「機械側は想定内。補正は弱め。干渉なし」


「ならいい」


 クロガネはガーゼを戻し、新しい保護材を貼った。


「今日一日は無茶をするな」


「分かった」


 クロガネはユウを見た。


「分かった顔ではないな」


「……」


「走るな。撃つな。喧嘩するな。酒は飲むな。強い光を見るな。視界が歪んだら戻ってこい」


 リュンが横から言う。


「撃つなは無理だ。慣らしは必要だ」


 クロガネがリュンを見る。


「今日か」


「弱い補助なら早い方がいい。暴れるのは駄目だ。試射は要る」


 クロガネは少しだけ面倒そうに息を吐いた。


「なら、撃つなら管理された場所で短くやれ。長く撃つな。連射するな。気分が悪くなったらやめろ」


 ユウは頷く。


「分かった」


 クロガネとリュンが、ほとんど同時にユウを見た。


 信用していない顔だった。


 ユウは言い直した。


「短くやる。気分が悪くなったらやめる」


 クロガネはようやく視線を外した。


「それでいい」


 リュンも端末を閉じる。


「機械側は問題ない。保証はしないが、失敗はしてない」


「保証しろ」


「闇医者区画で保証を求めるな」


 クロガネが静かに言う。


「保証の代わりに、失敗しないようにやる。それだけだ」


 ユウは頷いた。


 それは、この場所らしい言葉だった。


 クロガネは診察記録を閉じる。


「昼まで様子を見ろ。問題なければ帰っていい」


 リュンがユウへ視線を向ける。


「線が濃くなったら呼べ。消えたらもっと呼べ」


「消えた方がいいんじゃないのか」


「繋がってるものが勝手に消えるのは、切れてるか落ちてるかだ」


「分かった」


 リュンは顔をしかめたが、今度は何も言わなかった。


 ユウは椅子から立ち上がる。


 視界の端に、クロガネの机の輪郭が薄く重なる。


 まだ邪魔だ。


 まだ自分の感覚ではない。


 だが、繋がっている。


 ユウはそれを確認して、短く息を吐いた。


 スマートリンクは入った。


 あとは、使えるようにするだけだった。

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