精算
詰所の奥にある部屋は、表の通りとは空気が違っていた。
店の灯りは届かない。
酒の匂いも薄い。
代わりに、端末の低い駆動音と、白い管理灯の光がある。
壁には三花街の区画図が表示されていた。
北門。
中央通り。
第一区画。
第二区画。
南門。
そして、南西外縁の補助扉。
そこだけ、赤い線で囲まれている。
補助扉は仮封鎖中。
警備ログは確認済み。
外周監視は継続。
そういった短い文字が、区画図の横に並んでいた。
テーブルの向こうには、花街側の責任者と、守衛側のトップらしい男が座っている。
守衛側の男は、年嵩だった。
片目の下に古い傷があり、首元まで防刃素材の襟を上げている。
姿勢は崩していない。
だが、右手には包帯が巻かれていた。
タチバナが席につく。
レンジとサエも並ぶ。
ユウはその横に立ち、ユイとラヘルは少し後ろに控えた。
ユイとラヘルの前には、端末は出されていない。
報酬を受け取る対象ではないからだ。
それは分かっている。
同行者であり、正式な契約人員ではない。
ユイは特に気にした様子を見せなかった。
ラヘルも顔には出さない。
けれど、ラヘルはテーブルに並べられた四つの認証端末を見ていた。
タチバナ。
レンジ。
サエ。
ユウ。
そこに自分の席はない。
契約上、当然だった。
それでも、線を引かれたことだけは分かる。
花街側の責任者が口を開いた。
「まずは、一週間の駐屯任務、お疲れ様でした」
声は丁寧だった。
だが、ただの挨拶ではない。
数日前の襲撃を経た後の声だった。
「通常の警邏、外周監視、サーバー管理に加えて、今回の防衛対応まで行っていただいたこと、改めて感謝します」
守衛側の男が、タチバナへ視線を向ける。
「今回は助かった」
短い言葉だった。
けれど、軽くはなかった。
「補助扉を抜かれた後、こちらだけなら崩れていたかもしれん」
タチバナは表情を変えない。
「そっちの用心棒が動けたからだ」
「動けても、指揮が割れたら終わる」
守衛側の男は言った。
「客を下げる者、女を奥へ入れる者、二階へ回る者、負傷者を引く者。全部が同時に動いた。あそこで迷えば、もっと死んでいた」
タチバナは少しだけ黙った。
「崩れなかったなら、それでいい」
守衛側の男は、薄く笑った。
「そう言うと思ったよ」
それから、視線がユウへ向いた。
「君にも礼を言う」
ユウは何も言わない。
守衛側の男は続けた。
「補助扉の穴を塞いだ動きも、オーガを銃座の線へ引いた動きも、報告に上がっている。あれがなければ、重機関銃は撃てなかった」
ユウは短く答えた。
「仕事だ」
「仕事で、あそこまで引ける奴は多くない」
「タチバナが指示した」
「それでも、引いたのは君だ」
ユウは一拍だけ黙る。
「やることをやっただけだ」
守衛側の男はそれ以上言わなかった。
ただ、軽く頷いた。
ラヘルは、そのやり取りを見ていた。
感謝されている。
評価されている。
それなのに、ユウは大きく受け取らない。
誇らしげにもしない。
照れもしない。
仕事だ。
やることをやっただけだ。
それで終わらせる。
上層の応接室であれば、謙遜にも作法がある。
相手を立て、己を下げ、言葉の形を整える。
けれど、ここにあるのは違う。
命がかかった現場の結果と、それに対する短い確認だけだった。
花街側の責任者が端末を操作する。
「報酬についてですが、当初の駐屯契約分に加え、防衛対応分を上乗せしています」
テーブルに表示が出る。
駐屯基本報酬。
壁上監視・銃座対応分。
サーバー管理・ログ解析分。
補助扉侵入対応分。
オーガ撃退に伴う防衛対応分。
負傷対応協力分。
項目が並ぶ。
サエが端末を引き寄せ、淡々と確認した。
「サーバー側の追加作業費、ログ保存分、事後監視分も入っていますね」
「はい。こちらの管理責任ではありますが、早期検知と記録保存にかなり助けられましたので」
「問題ありません」
サエは短く言った。
レンジは横から表示を覗き込む。
「銃座対応分、ちゃんと入ってるじゃないっすか」
守衛側の男がレンジを見る。
「あの距離で撃てる者は少ない」
「いやあ、二度とやりたくないっすけどね」
「必要ならまた撃ってもらう」
「タチバナさんと同じこと言うんすね」
レンジは肩をすくめた。
それでも、表情は悪くない。
花街側の責任者が、各自の認証端末へ報酬を送る準備を進める。
「確認をお願いします」
タチバナが端末を見る。
レンジも確認する。
サエは内訳をもう一度確認してから認証した。
ユウも、自分の前に出された端末を見た。
数字が表示されている。
基本報酬。
追加分。
防衛対応分。
ユウの目が、数字を追う。
ユイは横からそれを見ていた。
かなりの額だ。
下層で暮らすなら、しばらく困らないだけの金。
命の危険に対して多いのか少ないのかは、まだユイには分からない。
でも、ただの金ではなかった。
補助扉の血。
オーガの鉄骨。
ユウの腕の包帯。
死んだ用心棒にかけられた白い布。
そういうものが、数字に変わっている。
ユウは表示を見たあと、小さく言った。
「足りるな」
ユイが顔を上げる。
「何にですか」
「後で言う」
それだけだった。
ユイはまだ聞きたそうにしたが、ここが詰所で、精算の場だと思い出して口を閉じた。
ラヘルは、その短いやり取りを見る。
足りる。
余った金を数える顔ではなかった。
欲しいものを買えると喜ぶ顔でもなかった。
得をしたと笑う顔でもない。
必要なものに届いた。
ただ、それだけを確認した顔だった。
ラヘルには、その必要なものが何か分からない。
けれど、分かることはある。
ユウは、報酬を受け取った瞬間から、もう次を見ていた。
この金を何に変えるか。
次にどう生き残るか。
そういう顔だった。
花街側の責任者は、認証が終わったことを確認し、軽く頭を下げた。
「今回の件で、こちらとしても皆さんへの評価は改めさせていただきました」
責任者の視線が、タチバナ、サエ、レンジ、ユウへ順に向く。
「特に現場での判断と連携については、守衛側からも報告が上がっています。機会があれば、またお願いしたい」
タチバナは短く頷く。
「条件次第だ」
「もちろんです」
責任者はそう答えたあと、ユウへ視線を移した。
「あなた個人の働きも、記録には残します」
ユウは少しだけ眉を動かした。
「タチバナに言ってくれ」
「それも含めて、です」
責任者は穏やかに言った。
「三花街では、現場で何をしたかを軽く扱いません」
ユウはそれ以上返さなかった。
軽く頷いただけだった。
ラヘルは、その一言を聞いていた。
三花街では、現場で何をしたかを軽く扱わない。
なら、ユウがしたことは残る。
記録に。
用心棒たちの記憶に。
責任者の評価に。
次の仕事の選択肢に。
現場で何をしたか。
それが、ここではそのまま信用になる。
ラヘルは、自分の手を軽く握った。
痛いほどではない。
けれど、指の力は少しだけ強くなった。
ユイはユイで、別のものを感じていた。
ユウが評価されている。
それは嬉しい。
でも、ユウがその評価を得た場所に、自分はいなかった。
控室で待っていた。
血を流して戻ってきたユウを見て、ようやく動いた。
それが悪いことだとは思わない。
それでも、ユウの背中が少し遠く見える瞬間がある。
サエが端末を閉じた。
「内訳、問題なし」
レンジが軽く伸びをする。
「いやあ、今回は稼げましたね」
タチバナが横目で見る。
「浮かれるな」
「浮かれてないっすよ。疲れた分くらい言わせてください」
「壁上に立ってただけだろ」
「その壁上からオーガ撃ったんですけど?」
「撃てたならいい」
「雑だなあ」
そのやり取りに、守衛側の男が少しだけ笑った。
責任者も表情を和らげる。
だが、部屋の空気が軽くなりすぎることはなかった。
壁の区画図には、まだ赤い線が残っている。
補助扉の仮封鎖。
その文字が、今も表示されている。
仕事は終わった。
だが、傷跡はまだ残っている。
花街側の責任者が立ち上がった。
「一週間、ありがとうございました」
タチバナも立つ。
「こちらこそ」
「次があるなら、もう少し平穏な任務にしたいものです」
レンジがぼそりと言う。
「ほんとそれっすね」
ユウは何も言わない。
平穏で済むとは、あまり思っていない顔だった。
タチバナが端末をしまう。
「帰るぞ」
ユイが頷く。
「はい」
ラヘルも静かに続いた。
「はい」
詰所を出ると、三花街の通りの音が戻ってきた。
札を確認する声。
遠い笑い声。
補助扉を叩く工事音。
用心棒の短い指示。
任務は終わる。
けれど、三花街はまだ動いている。
ユウは歩きながら、自分の端末の報酬額をもう一度見た。




