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銀月のロスト  作者: taka
第16章 残った傷跡

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精算

 詰所の奥にある部屋は、表の通りとは空気が違っていた。


 店の灯りは届かない。


 酒の匂いも薄い。


 代わりに、端末の低い駆動音と、白い管理灯の光がある。


 壁には三花街の区画図が表示されていた。


 北門。


 中央通り。


 第一区画。


 第二区画。


 南門。


 そして、南西外縁の補助扉。


 そこだけ、赤い線で囲まれている。


 補助扉は仮封鎖中。


 警備ログは確認済み。


 外周監視は継続。


 そういった短い文字が、区画図の横に並んでいた。


 テーブルの向こうには、花街側の責任者と、守衛側のトップらしい男が座っている。


 守衛側の男は、年嵩だった。


 片目の下に古い傷があり、首元まで防刃素材の襟を上げている。


 姿勢は崩していない。


 だが、右手には包帯が巻かれていた。


 タチバナが席につく。


 レンジとサエも並ぶ。


 ユウはその横に立ち、ユイとラヘルは少し後ろに控えた。


 ユイとラヘルの前には、端末は出されていない。


 報酬を受け取る対象ではないからだ。


 それは分かっている。


 同行者であり、正式な契約人員ではない。


 ユイは特に気にした様子を見せなかった。


 ラヘルも顔には出さない。


 けれど、ラヘルはテーブルに並べられた四つの認証端末を見ていた。


 タチバナ。


 レンジ。


 サエ。


 ユウ。


 そこに自分の席はない。


 契約上、当然だった。


 それでも、線を引かれたことだけは分かる。


 花街側の責任者が口を開いた。


「まずは、一週間の駐屯任務、お疲れ様でした」


 声は丁寧だった。


 だが、ただの挨拶ではない。


 数日前の襲撃を経た後の声だった。


「通常の警邏、外周監視、サーバー管理に加えて、今回の防衛対応まで行っていただいたこと、改めて感謝します」


 守衛側の男が、タチバナへ視線を向ける。


「今回は助かった」


 短い言葉だった。


 けれど、軽くはなかった。


「補助扉を抜かれた後、こちらだけなら崩れていたかもしれん」


 タチバナは表情を変えない。


「そっちの用心棒が動けたからだ」


「動けても、指揮が割れたら終わる」


 守衛側の男は言った。


「客を下げる者、女を奥へ入れる者、二階へ回る者、負傷者を引く者。全部が同時に動いた。あそこで迷えば、もっと死んでいた」


 タチバナは少しだけ黙った。


「崩れなかったなら、それでいい」


 守衛側の男は、薄く笑った。


「そう言うと思ったよ」


 それから、視線がユウへ向いた。


「君にも礼を言う」


 ユウは何も言わない。


 守衛側の男は続けた。


「補助扉の穴を塞いだ動きも、オーガを銃座の線へ引いた動きも、報告に上がっている。あれがなければ、重機関銃は撃てなかった」


 ユウは短く答えた。


「仕事だ」


「仕事で、あそこまで引ける奴は多くない」


「タチバナが指示した」


「それでも、引いたのは君だ」


 ユウは一拍だけ黙る。


「やることをやっただけだ」


 守衛側の男はそれ以上言わなかった。


 ただ、軽く頷いた。


 ラヘルは、そのやり取りを見ていた。


 感謝されている。


 評価されている。


 それなのに、ユウは大きく受け取らない。


 誇らしげにもしない。


 照れもしない。


 仕事だ。


 やることをやっただけだ。


 それで終わらせる。


 上層の応接室であれば、謙遜にも作法がある。


 相手を立て、己を下げ、言葉の形を整える。


 けれど、ここにあるのは違う。


 命がかかった現場の結果と、それに対する短い確認だけだった。


 花街側の責任者が端末を操作する。


「報酬についてですが、当初の駐屯契約分に加え、防衛対応分を上乗せしています」


 テーブルに表示が出る。


 駐屯基本報酬。


 壁上監視・銃座対応分。


 サーバー管理・ログ解析分。


 補助扉侵入対応分。


 オーガ撃退に伴う防衛対応分。


 負傷対応協力分。


 項目が並ぶ。


 サエが端末を引き寄せ、淡々と確認した。


「サーバー側の追加作業費、ログ保存分、事後監視分も入っていますね」


「はい。こちらの管理責任ではありますが、早期検知と記録保存にかなり助けられましたので」


「問題ありません」


 サエは短く言った。


 レンジは横から表示を覗き込む。


「銃座対応分、ちゃんと入ってるじゃないっすか」


 守衛側の男がレンジを見る。


「あの距離で撃てる者は少ない」


「いやあ、二度とやりたくないっすけどね」


「必要ならまた撃ってもらう」


「タチバナさんと同じこと言うんすね」


 レンジは肩をすくめた。


 それでも、表情は悪くない。


 花街側の責任者が、各自の認証端末へ報酬を送る準備を進める。


「確認をお願いします」


 タチバナが端末を見る。


 レンジも確認する。


 サエは内訳をもう一度確認してから認証した。


 ユウも、自分の前に出された端末を見た。


 数字が表示されている。


 基本報酬。


 追加分。


 防衛対応分。


 ユウの目が、数字を追う。


 ユイは横からそれを見ていた。


 かなりの額だ。


 下層で暮らすなら、しばらく困らないだけの金。


 命の危険に対して多いのか少ないのかは、まだユイには分からない。


 でも、ただの金ではなかった。


 補助扉の血。


 オーガの鉄骨。


 ユウの腕の包帯。


 死んだ用心棒にかけられた白い布。


 そういうものが、数字に変わっている。


 ユウは表示を見たあと、小さく言った。


「足りるな」


 ユイが顔を上げる。


「何にですか」


「後で言う」


 それだけだった。


 ユイはまだ聞きたそうにしたが、ここが詰所で、精算の場だと思い出して口を閉じた。


 ラヘルは、その短いやり取りを見る。


 足りる。


 余った金を数える顔ではなかった。


 欲しいものを買えると喜ぶ顔でもなかった。


 得をしたと笑う顔でもない。


 必要なものに届いた。


 ただ、それだけを確認した顔だった。


 ラヘルには、その必要なものが何か分からない。


 けれど、分かることはある。


 ユウは、報酬を受け取った瞬間から、もう次を見ていた。


 この金を何に変えるか。


 次にどう生き残るか。


 そういう顔だった。


 花街側の責任者は、認証が終わったことを確認し、軽く頭を下げた。


「今回の件で、こちらとしても皆さんへの評価は改めさせていただきました」


 責任者の視線が、タチバナ、サエ、レンジ、ユウへ順に向く。


「特に現場での判断と連携については、守衛側からも報告が上がっています。機会があれば、またお願いしたい」


 タチバナは短く頷く。


「条件次第だ」


「もちろんです」


 責任者はそう答えたあと、ユウへ視線を移した。


「あなた個人の働きも、記録には残します」


 ユウは少しだけ眉を動かした。


「タチバナに言ってくれ」


「それも含めて、です」


 責任者は穏やかに言った。


「三花街では、現場で何をしたかを軽く扱いません」


 ユウはそれ以上返さなかった。


 軽く頷いただけだった。


 ラヘルは、その一言を聞いていた。


 三花街では、現場で何をしたかを軽く扱わない。


 なら、ユウがしたことは残る。


 記録に。


 用心棒たちの記憶に。


 責任者の評価に。


 次の仕事の選択肢に。


 現場で何をしたか。


 それが、ここではそのまま信用になる。


 ラヘルは、自分の手を軽く握った。


 痛いほどではない。


 けれど、指の力は少しだけ強くなった。


 ユイはユイで、別のものを感じていた。


 ユウが評価されている。


 それは嬉しい。


 でも、ユウがその評価を得た場所に、自分はいなかった。


 控室で待っていた。


 血を流して戻ってきたユウを見て、ようやく動いた。


 それが悪いことだとは思わない。


 それでも、ユウの背中が少し遠く見える瞬間がある。


 サエが端末を閉じた。


「内訳、問題なし」


 レンジが軽く伸びをする。


「いやあ、今回は稼げましたね」


 タチバナが横目で見る。


「浮かれるな」


「浮かれてないっすよ。疲れた分くらい言わせてください」


「壁上に立ってただけだろ」


「その壁上からオーガ撃ったんですけど?」


「撃てたならいい」


「雑だなあ」


 そのやり取りに、守衛側の男が少しだけ笑った。


 責任者も表情を和らげる。


 だが、部屋の空気が軽くなりすぎることはなかった。


 壁の区画図には、まだ赤い線が残っている。


 補助扉の仮封鎖。


 その文字が、今も表示されている。


 仕事は終わった。


 だが、傷跡はまだ残っている。


 花街側の責任者が立ち上がった。


「一週間、ありがとうございました」


 タチバナも立つ。


「こちらこそ」


「次があるなら、もう少し平穏な任務にしたいものです」


 レンジがぼそりと言う。


「ほんとそれっすね」


 ユウは何も言わない。


 平穏で済むとは、あまり思っていない顔だった。


 タチバナが端末をしまう。


「帰るぞ」


 ユイが頷く。


「はい」


 ラヘルも静かに続いた。


「はい」


 詰所を出ると、三花街の通りの音が戻ってきた。


 札を確認する声。


 遠い笑い声。


 補助扉を叩く工事音。


 用心棒の短い指示。


 任務は終わる。


 けれど、三花街はまだ動いている。


 ユウは歩きながら、自分の端末の報酬額をもう一度見た。

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