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銀月のロスト  作者: taka
第16章 残った傷跡

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残った傷跡

 オーガ襲撃から、数日が過ぎた。


 三花街の駐屯任務は、最終日を迎えていた。


 補助扉は、すでに仮封鎖されている。


 破壊された錠前は外され、代わりに厚い鉄板が外側と内側から噛ませてあった。


 歪んだ枠はそのままだ。


 完全に直すには、もっと時間がかかるのだろう。


 二階の窓も、まだ一部は塞がれたままだった。


 割れたガラスの代わりに、金属板と厚い布が張られている。


 壁には銃弾の跡が残り、白い管理灯の支柱にも、削れた傷が走っていた。


 それでも、三花街は動いている。


 朝に近い時間の通りは、夜ほど騒がしくない。


 店先の女たちは少なく、客もまばらだった。


 それでも札を確認する声はあり、用心棒は所定の位置に立ち、詰所では端末の光が途切れず動いている。


 壊れた場所があっても、止まらない。


 止まれば、それだけで弱く見える。


 そういう場所だった。


 ユウは中央通りを歩いていた。


 肩にはAR。


 頬には小さなガーゼ。


 腕には包帯が巻かれている。


 歩き方は普段と変わらない。


 少なくとも、本人はそう見せている。


 ユイはその半歩後ろを歩きながら、時々ユウの腕を見ていた。


 包帯の上からでは、傷の具合は分からない。


 だが、前より少しだけ腕の振りが小さいように見える。


 そう見えるだけかもしれない。


 けれど、一度そう思うと、気になった。


「痛みますか」


 小さく聞く。


 ユウは前を向いたまま答えた。


「問題ない」


「痛むかどうかを聞いたんです」


「動く」


 答えになっていない。


 ユイは少しだけ眉を寄せた。


「無理しないでください」


「してない」


 そう言って、ユウは先へ進む。


 横でラヘルが黙っていた。


 ラヘルも、初日よりは歩き方が安定している。


 ユウのSMGは、もう抱えていない。


 今日は自分の手元には何もない。


 ただ、ユウの後ろを歩き、通りの視線を受けている。


 その視線も、初日とは少し違っていた。


 女たちの視線ではない。


 用心棒たちの視線だ。


 補助扉に近い店の前で、一人の用心棒がユウに気づいた。


 腕に包帯を巻いた大柄な男だった。


 オーガ戦の時、通路の穴を塞いでいた者だ。


 男はユウを見ると、軽く顎を上げた。


「昨日の巡回、南側も見てたな」


「ああ」


「助かった。あそこ、まだ扉が甘い」


「鉄板の下が浮いてる」


「見たのか」


「通った時に」


 用心棒は少しだけ口元を動かした。


 笑った、というには薄い。


 だが、悪いものではなかった。


「若いのに目がいいな」


「普通だ」


「普通じゃねえよ」


 男はそう言って、持ち場へ視線を戻した。


 それだけだった。


 礼を重ねるわけでもない。


 大げさに褒めるわけでもない。


 ただ、通りすがりに声をかけた。


 ユウも、それ以上は返さない。


 歩き出す。


 ユイは、そのやり取りを後ろから見ていた。


 初日にはなかった反応だ。


 あの時、用心棒たちはユウを警邏として見ていた。


 タチバナたちの一員として、仕事で来た若いロストとして見ていた。


 今は違う。


 昨日、いや数日前の戦闘を知った上で声をかけている。


 補助扉の前でオーガを引きつけ、壁上の重機関銃の射線へ入れた相手として。


 ユイはユウの背中を見る。


 少しだけ、胸が熱くなる。


 誇らしい、という言葉に近い。


 でも、それだけではなかった。


 その評価は、ユウが血を流して得たものだった。


 頬のガーゼ。


 腕の包帯。


 処置した時の、手のひらに残った血の感触。


 それと一緒に来ている。


 だから、ただ嬉しいとは思えなかった。


 別の店の前でも、用心棒が声をかけてきた。


「おい、ユウ」


 ユウが足を止める。


 その用心棒は、二階射線側にいた男だった。


 左頬に細い傷があり、まだ新しい。


「レンジに伝えとけ。あの銃座、助かったってな」


「自分で言え」


「壁上まで行くのが面倒なんだよ」


「なら言わない」


「おい」


 用心棒は苦笑した。


 だが、すぐ真顔に戻る。


「……いや、冗談だ。あとで言う」


 ユウは短く頷いた。


「そうしろ」


「お前にもだ」


 ユウは答えなかった。


 用心棒は、少しだけ声を落とす。


「あの引き方がなかったら、銃座は撃てなかった。こっちも、もっと抜かれてた」


「タチバナが指示した」


「それでも、引いたのはお前だろ」


 ユウは一拍黙った。


「仕事だ」


 用心棒はそれ以上言わなかった。


 ただ、軽く拳を上げる。


 ユウはそれに応えず、歩き出した。


 ユイはそのやり取りも見ていた。


 そして、ラヘルも見ていた。


 ラヘルは顔には出さない。


 背筋も崩さない。


 だが、指先が一度だけ動いた。


 手袋の縁を、軽く押さえるように。


 ラヘルには分かっていた。


 今の言葉は、社交辞令ではない。


 上層の客間で交わす挨拶ではない。


 相手の家名を持ち上げるための言葉でもない。


 互いに立場を整えるための礼でもない。


 命がかかった現場で、実際に役に立った相手へ向ける言葉。


 その短さ。


 粗さ。


 飾りのなさ。


 ラヘルは、それをまだうまく受け止められない。


 ユウは、ここで名前を持っている。


 家名ではない。


 血筋でもない。


 礼儀でもない。


 昨日の動き。


 撃たれた場所。


 引いた距離。


 壁上の射線へ誘導した判断。


 そういうものが、今、ユウの名前にくっついている。


 ラヘルは、ユウの背中を見る。


 粗い。


 言葉も短い。


 礼儀正しいとは言えない。


 けれど、ここでは通る。


 通るだけのものを、ユウは自分で積んでいる。


 その横を、自分は歩いていた。


 自分の信用ではない。


 その考えが、胸の奥で少しだけ重くなる。


 ラヘルは唇を結んだ。


 第二区画側へ進むと、傷跡は少し増えた。


 壁の弾痕はまだ残っている。


 床は洗われていたが、色の違う箇所がある。


 補助扉へ続く管理動線には、仮設の柵が置かれていた。


 その柵の横に、若い用心棒が立っている。


 ユウを見ると、少し緊張したように姿勢を正した。


「お疲れ様です」


「まだ任務中だ」


「はい」


 若い用心棒は、一瞬だけ迷ってから言った。


「昨日、奥にいた者です。負傷者を下げる時、通路を空けてもらいました」


 ユウは思い出すように目を動かした。


「ああ」


「助かりました」


「動けたならいい」


「はい」


 用心棒はそれだけ言って、また柵の方へ向いた。


 ユウは進む。


 ユイはその横顔を見ていた。


 ユウは照れない。


 胸を張らない。


 自慢もしない。


 ただ、全部を「仕事」の中へ戻していく。


 それがユウらしいと思った。


 でも、少しだけ。


 ほんの少しだけ、悔しくもあった。


 自分は、あの時控室にいた。


 ラヘルもそうだ。


 ユウがあの評価を得た場所に、自分たちはいなかった。


 いたら邪魔だった。


 そう判断されて、下げられた。


 それが正しいことも分かっている。


 それでも、ユウの背中に増えていく声を聞くたびに、自分が届いていない場所があるのだと分かる。


 ラヘルはもっと静かだった。


 ユイが時々ユウの怪我を気にする横で、ラヘルは周囲を見ている。


 用心棒の表情。


 声をかける時の距離。


 ユウの返答。


 タチバナの名前が出る時と、ユウの名前が出る時の違い。


 それらを、一つずつ拾っているようだった。


 中央通りの端で、タチバナが待っていた。


 手には端末。


 腕にはまだ包帯がある。


 その横に、花街側の責任者が立っていた。


 責任者はユウたちを見ると、軽く頭を下げる。


「警邏、ご苦労様です」


 タチバナが端末を閉じた。


「どうした」


 責任者は言った。


「精算の準備ができました。詰所へお越しください」


 ユウはタチバナを見る。


 タチバナは頷く。


「行くぞ」


「分かった」


 ユイとラヘルも、それに続く。


 通りの奥では、まだ補助扉の工事音がしていた。


 金属を叩く音。


 端末の確認音。


 用心棒の短い指示。


 三花街は傷を残したまま、動いている。


 そして、その傷の中に、ユウへの声が残っていた。


 ラヘルは、もう一度だけユウの背中を見ていた。

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