後始末
重機関銃の音が、三花街の壁を震わせた。
一拍遅れて、補助扉周辺の空気が崩れる。
オーガの身体が弾に叩かれた。
肩が削れる。
胸が裂ける。
鉄骨を持つ腕が跳ねる。
太い脚が、床を踏み抜くように沈む。
それでも、倒れきらない。
オーガは口を開いた。
声にならない怒号。
鉄骨を振り上げようとする。
だが、腕が上がらない。
重機関銃の弾が、身体ごと押し戻している。
ユウは横へ転がるように射線から外れていた。
頬に熱いものが走る。
壁の破片か、床の石片か。
何かが腕にも脚にも当たった。
それでも止まらない。
射線から外れる。
それだけを優先した。
オーガの足が崩れた。
片膝が床に落ちる。
重い音。
鉄骨が床に転がった。
それでも、オーガは手を伸ばした。
まだ動く。
まだ終わっていない。
タチバナが前へ出た。
「撃ち止め」
短い通信。
壁上の重機関銃が止まる。
耳の奥に、残った音だけが響いた。
レンジの声が通信に入る。
『落ちましたか?』
「まだだ」
タチバナが答える。
『了解。次弾、合わせてます』
「待て」
タチバナは銃を構えたまま、オーガへ近づく。
用心棒たちは左右から銃口を向けている。
誰も気を抜かない。
オーガは倒れている。
だが、肩の肉がまだ動いていた。
胸の傷も、血を噴きながら少しずつ塞がろうとしている。
再生している。
タチバナは躊躇しなかった。
「頭か心臓」
そう呟くように言って、銃口を下げる。
一発。
頭部。
オーガの身体が跳ねた。
さらに一発。
心臓。
三発目。
動きが止まった。
タチバナは数秒、構えたまま待った。
オーガは動かない。
今度こそ、止まった。
「処理完了」
タチバナが言った。
周囲の用心棒たちが、ようやく息を吐く。
だが、歓声はない。
誰も笑わない。
補助扉は壊れている。
壁には弾痕が残っている。
二階の窓は砕け、店の中には血がある。
通路には、白い布をかけられた用心棒の身体が一つあった。
その隣で、重傷の二人が奥へ運ばれていく。
一人は肩を押さえられ、もう一人は脚を固定されていた。
どちらも意識はある。
けれど、自力では歩けない。
仲間の用心棒たちは、声を荒げない。
襟を掴み、ベルトを支え、担架へ乗せる。
動ける者が、動けない者を下げる。
それだけだった。
タチバナは補助扉の外を見た。
ゴブリンの影は、もう見えない。
逃げたのか。
引いたのか。
外側でまだ見ているのか。
分からない。
「外周警戒は継続」
タチバナが言う。
「補助扉は仮封鎖。店裏は全部確認しろ。処理袋は詰所へ。負傷者は救護」
「了解!」
用心棒たちが動き出す。
三花街は、すぐに後始末へ移った。
壊れた場所を塞ぐ。
血を拭く。
死体を運ぶ。
客を遠ざける。
女たちを奥から出すかどうかを確認する。
守った後にも、仕事は残る。
ユウは壁際から立ち上がった。
一瞬、膝が揺れる。
踏み直す。
腕を見る。
裂けている。
浅い。
だが血は出ている。
頬にも血が伝っていた。
脚にも細かな切り傷がある。
飛び石と破片をいくつも浴びたのだろう。
ユウは手の甲で頬を拭った。
血が伸びる。
「掠っただけだな」
そう判断して、歩き出す。
通路を抜け、控室側へ向かう。
途中で、白い布をかけられた用心棒の横を通った。
ユウは足を止めなかった。
見ないわけではない。
ただ、今立ち止まっても、その男は戻らない。
補助扉の仮封鎖をする音。
用心棒たちの短い指示。
サエの通信。
レンジの壁上からの確認。
その全部が、まだ続いている。
控室の扉が開いた。
先に顔を上げたのはユイだった。
「ユウ」
椅子を蹴るように立ち上がる。
その視線が、ユウの頬で止まった。
血。
腕。
脚。
ユイの顔色が変わる。
「座ってください」
「掠っただけだ」
「座ってください」
今度は、ユイの声の方が強かった。
ユウは少しだけ眉を動かす。
だが、逆らわなかった。
椅子に腰を下ろす。
ユイはすぐに応急箱へ手を伸ばした。
前より、動きが早い。
手は少し震えている。
けれど、止まらない。
ガーゼ。
消毒。
止血用の布。
固定用のテープ。
必要なものを一つずつ取り出す。
「腕、見せてください」
「浅い」
「見せてください」
ユウは黙って腕を出した。
ユイは傷を見る。
深くはない。
だが、血は出ている。
ユイは息を一つだけ吸って、ガーゼを当てた。
「押さえます」
「痛くない」
「押さえます」
「……分かった」
ユイは返事をしなかった。
ただ、傷口を押さえる手に力を入れる。
その横で、ラヘルは立ったまま固まっていた。
膝の前には、まだユウのSMGがある。
いや、今は腕に抱えている。
さっきまで、それは自分を外へ立たせる札だった。
その持ち主が、血を流して戻ってきた。
自分が下がった後に。
自分が守られていた、その外側で。
ラヘルは動けなかった。
ユウが怪我をしている。
血が出ている。
それなのに、本人は掠っただけだと言った。
ユイはすぐに動いた。
自分は。
ラヘルは、指先が冷たくなるのを感じた。
サエがサーバールーム側の扉から入ってきた。
端末ケースを肩に掛けたまま、状況を一目で見る。
ユウの傷。
ユイの手。
固まっているラヘル。
それから、少し遅れて入ってきたタチバナ。
タチバナの左腕にも血が滲んでいた。
袖が裂けている。
軽傷だ。
だが、血は出ている。
ユイは見ていなかった。
完全にユウしか見ていなかった。
サエはその光景を見て、深くため息をついた。
「……あんたも怪我してるでしょうが」
タチバナは自分の腕を見る。
「軽い」
「軽いで済ませるな」
サエは応急箱から別のガーゼを取った。
「座りなさい」
「俺は後で――」
「座りなさい」
タチバナは一瞬だけユウを見た。
ユウは腕をユイに押さえられている。
逃げられそうにない。
タチバナは諦めたように椅子へ座った。
サエがタチバナの袖を切り、傷口を見る。
「浅いけど、裂けてるわね」
「だから軽い」
「軽い怪我を放置していい理由にはならない」
サエは淡々と処置を始める。
ユイはその横で、ユウの頬の血を拭いていた。
「顔も切れてます」
「浅い」
「分かってます」
「なら」
「拭きます」
ユウは口を閉じた。
ラヘルは、まだ動けない。
サエがそれに気づく。
「ラヘル」
ラヘルは肩を小さく揺らした。
「はい」
「水」
一言だけだった。
ラヘルは、すぐには動けなかった。
サエは責めない。
もう一度だけ言う。
「水。ユウとタチバナに」
「……はい」
ラヘルはようやく動いた。
冷蔵庫へ向かう。
扉を開ける。
ボトルを二本取る。
一度、手から滑りそうになる。
持ち直す。
ユウの前へ一本置く。
タチバナの前へもう一本置く。
「助かる」
ユウが短く言った。
ラヘルは、返事をしそうになって止まる。
礼を言われるほどのことではない。
水を持ってきただけだ。
けれど、その水を持ってくることすら、一瞬できなかった。
「……いえ」
それだけ返した。
ユウはボトルを取ろうとした。
ユイが止める。
「先に処置です」
「水」
「後です」
サエが横で小さく笑いそうになり、すぐに表情を戻した。
タチバナはそれを見て、わずかに口元を動かす。
「ユイ、強くなったな」
ユイは手を止めない。
「今は喋らないでください」
「俺か?」
「ユウです」
タチバナは肩をすくめた。
サエがガーゼを押さえながら言う。
「あんたも喋らない」
「はいはい」
「はいは一回」
「はい」
少しだけ、控室の空気が戻る。
けれど、完全には戻らない。
外では、まだ後始末が続いている。
補助扉を塞ぐ金属音。
用心棒たちの足音。
救護へ運ばれる担架の軋み。
詰所から飛ぶ指示。
そして、白い布をかけられた一人分の重さ。
勝った。
三花街は守られた。
だが、その言葉だけでは片づかないものが、まだ通路のあちこちに残っている。
ユイはユウの腕にテープを巻き終える。
「動かさないでください」
「動く」
「できるだけです」
ユウは少しだけ黙った。
「分かった」
ユイは小さく息を吐く。
それから、頬の傷へガーゼを当てた。
その手はまだ震えている。
でも、止まってはいなかった。
ラヘルはそれを見ていた。
ユイは動いた。
自分は、止まった。
その差が、胸に残る。
サエがタチバナの処置を終え、ラヘルへ視線を向けた。
「ラヘル」
「はい」
「次はガーゼを開けて」
ラヘルはすぐに応じた。
「はい」
今度は、手が動いた。
包装を破る。
中身を出す。
サエへ渡す。
それだけ。
けれど、それでよかった。
サエは受け取りながら言う。
「動けることからでいいわ」
ラヘルは答えなかった。
ただ、小さく頷いた。
ユウはそれを横目で見ていた。
何も言わない。
タチバナも何も言わない。
控室の白い灯りの下で、血の色だけがまだやけに濃かった。
しばらくして、通信が入った。
レンジの声だった。
『こっち、外周は一旦引きました。動きはまだあるけど、近づいては来てないです』
タチバナが答える。
「警戒継続」
『了解。……あの距離でオーガ撃つの、二度とやりたくないですね』
「次も必要ならやれ」
『言うと思いましたよ』
通信が切れる。
ユウは水を飲んだ。
ユイがようやく許したからだ。
タチバナもボトルを開ける。
サエは応急箱を閉じた。
「全員、少し座ってなさい」
「外は」
ユウが言う。
「今すぐ立っても邪魔」
サエの声は鋭かった。
ユウは黙る。
タチバナも立ち上がらない。
外では、まだ三花街が動いている。
壊れた扉を塞ぎ、血を拭き、負傷者を運び、客を戻すかどうかを判断している。
花街の灯りは、消えていない。
けれど、元通りではない。
ユイはユウの隣に座ったまま、処置した腕を見ている。
ラヘルはサエの横で、使い終わったガーゼの袋をまとめている。
タチバナは水を飲み、サエに腕を押さえられている。
ユウは黙って、扉の向こうの音を聞いていた。
三花街の夜は、まだ終わっていなかった。




