鉄骨を持つ影
補助扉の向こうで、ゴブリンの影が左右へ割れた。
逃げるためではない。
道を空けるため。
ユウはARを構えたまま、撃たなかった。
タチバナも撃たない。
二人とも、同じものを見ていた。
暗がりの奥から、ひときわ大きな影が出てくる。
ゴブリンではない。
人間より一回り以上大きい。
肩幅が異様に広く、首は太い。
布と金属片を巻きつけた身体の表面は、汚れと古い血で黒ずんでいる。
低く息を吐く音が、補助扉の奥から響いた。
オーガ。
ユウは、そう判断した。
その手に、黒い塊があった。
銃だった。
ただし、人間が普通に抱えて使う大きさではない。
車か壁か、何かに据え付けて使うはずの火器。
銃身は太く、給弾部は歪み、側面のカバーは半分外れかかっている。
拾い物だ。
整備もまともではない。
だが、撃てば十分に死ぬ。
ユウは銃口の向きを見た。
タチバナも同じ場所を見ている。
まだ撃たない。
大きい。
硬い。
再生する。
そして、何を狙っているか分からない。
その一拍を、二階の用心棒は待てなかった。
窓から銃声が走る。
弾がオーガの肩に当たった。
肉が裂け、血が飛ぶ。
オーガの身体がわずかに揺れる。
だが、倒れない。
痛みを感じていないわけではない。
ただ、止まる理由になっていない。
オーガの顔が、ゆっくりと上を向いた。
撃った窓を見る。
タチバナが叫んだ。
「伏せろ!」
次の瞬間、オーガの抱えた重火器が火を噴いた。
音が、通路を叩き潰した。
銃声というより、金属の壁が連続で破裂するような音だった。
二階の窓が砕ける。
壁が削れる。
窓枠ごと、用心棒の銃口が消えた。
中にいた男の身体が、奥へ弾かれるように倒れる。
一人は、そのまま動かなかった。
別の窓際にいた用心棒が肩を押さえて崩れる。
通路側の遮蔽にいた男も、脚を撃ち抜かれて膝から落ちた。
「下げろ!」
タチバナの声が飛ぶ。
用心棒たちは動いた。
倒れた二人の襟とベルトを掴み、店の奥へ引きずる。
逃げているのではない。
射線から外している。
死んだ一人には、誰もすぐには触れなかった。
触れられなかった。
そこはまだ、オーガの銃口の前だった。
「二階、隣を使え!」
タチバナが叫ぶ。
一瞬だけ、誰も動かないように見えた。
だが、隣の窓が開いた。
別の用心棒が入る。
顔色は悪い。
手も強張っている。
それでも、逃げない。
銃口を外へ向ける。
三花街の用心棒は、そこで引ける仕事ではなかった。
通路側でも、別の男が負傷者の空いた場所へ入る。
遮蔽の後ろに膝をつき、銃を構え直す。
「正面を開けすぎるな!」
タチバナの声に、用心棒が応じる。
「了解!」
オーガは、さらに撃った。
今度は短い連射。
壁の角が砕け、補助扉の内側に破片が散る。
ユウは身を低くして、柱の陰へ入った。
ARを上げる。
撃てる。
肩。
胸。
頭。
だが、銃口の前にゴブリンがいる。
死体がある。
廃材がある。
そして、こちらの用心棒が動いている。
焦って撃てば、抜ける。
ユウは撃たなかった。
タチバナも撃たない。
見る。
オーガがどこを狙うか。
どれくらい撃てるか。
どこで壊れるか。
三度目の連射で、音が濁った。
がぎ、と嫌な音が混ざる。
重火器の給弾部が跳ねた。
側面のカバーが外れ、火花が散る。
銃身の根元から白い煙が噴き出す。
オーガの腕に、破片が刺さった。
皮膚が裂ける。
血が流れる。
それでも、オーガは怯まなかった。
壊れた重火器を見下ろす。
一瞬だけ、苛立つように鼻を鳴らした。
そして、その黒い塊を片手で投げ捨てた。
床に落ちた重火器が、重い音を立てる。
通路が一瞬、静かになった。
静かになったからこそ、別の音が聞こえた。
鉄が床を削る音。
オーガが、補助扉の脇に転がっていた鉄骨を掴んでいた。
人間なら二人がかりでも引きずるような長さの鉄骨。
それを、片手で持ち上げる。
ぎぎ、と金属が鳴った。
オーガの肩の傷が、ゆっくり塞がっていく。
完全ではない。
だが、血の流れが鈍る。
撃たれたはずの肩が、また動く。
「頭か心臓だ」
タチバナが低く言った。
近くの用心棒が息を呑む。
「削っても止まらん。正面に立つな」
ユウは、オーガの足を見る。
太い。
速くないように見える。
だが、一歩が長い。
あれに真正面から来られたら、遮蔽ごと潰される。
その時、オーガの背後から銃声が走った。
ゴブリンだ。
遮蔽の奥に残った銃持ちが、こちらの頭を押さえるように撃ってくる。
壁が欠ける。
二階の窓際の用心棒が身を伏せる。
通路側の銃口が、一瞬だけ止まる。
オーガが前に出るための射撃。
その意味を、ユウはすぐに理解した。
「後ろ、銃持ち!」
ユウが叫ぶ。
二階の用心棒が撃ち返そうとする。
だが、オーガが鉄骨を振り上げた。
「正面に立つな!」
タチバナの声が飛ぶ。
オーガが踏み出す。
床が揺れた。
一歩。
鉄骨が床を擦る。
二歩。
補助扉の歪んだ枠を、肩で押し広げる。
金属が悲鳴を上げた。
ゴブリンたちは、その背後で撃っている。
弾は雑だ。
狙いも甘い。
だが、頭を下げさせるには十分だった。
用心棒の一人が遮蔽の陰へ身を伏せる。
二階の銃口が、オーガへ向けきれない。
別の用心棒が負傷者をさらに奥へ引きずる。
その隙間へ、オーガが走り出した。
鉄骨を片手に。
見た目より速い。
大きな身体が、通路へ押し込まれてくる。
ユウは横へ動いた。
正面では止めない。
止められない。
タチバナも同じ判断をしていた。
「散れ! 真正面を空けろ!」
用心棒たちが左右へ割れる。
だが、完全には空けない。
道を作るのではない。
潰されない位置へ下がりながら、撃てる角度を探している。
オーガの鉄骨が振られた。
風を切る音。
通路脇の遮蔽が砕けた。
木箱。
金属板。
壁に立てかけていた廃材。
まとめて吹き飛ぶ。
破片が散る。
用心棒の一人が腕で顔を庇い、後ろへ下がった。
ユウはARを構える。
オーガの脇腹が見えた。
撃つ。
二発。
弾が肉に入る。
オーガは止まらない。
こちらを見る。
目が合った。
ユウはすぐに横へ跳んだ。
次の瞬間、鉄骨がユウのいた場所を叩いた。
床が割れる。
石片が足元を叩く。
「ユウ!」
誰かが叫んだ。
ユウは答えない。
着地と同時に、さらに横へ動く。
オーガの背後から、またゴブリンの銃声。
弾がタチバナの近くの壁を削る。
タチバナは身を沈め、用心棒へ怒鳴った。
「後ろの銃を黙らせろ! オーガは正面で止めるな!」
「了解!」
二階の窓から銃声が返る。
ゴブリンの影が一つ、遮蔽の奥へ沈む。
だが、まだ止まらない。
オーガは鉄骨を引き戻した。
肩の傷は、もうほとんど塞がっている。
脇腹の銃創も、血は出ているが動きには影響していない。
力で押す。
それが通るから、そうしている。
ユウは歯を噛んだ。
ゴブリンとは違う。
遮蔽を使う小さな影とは違う。
こいつは、遮蔽ごと壊す。
タチバナが横に来た。
「足を止めるな」
「ああ」
「頭か心臓。それ以外は時間稼ぎだ」
「分かってる」
オーガがまた前へ出る。
鉄骨を片手で持ち上げる。
周囲の用心棒が下がる。
だが、逃げない。
二階の窓が再び開く。
通路の横から銃口が出る。
負傷者を下げた男が、空いた場所へ戻ってくる。
オーガはそれを見た。
笑ったように、口元が歪む。
背後のゴブリンがまた撃つ。
通路の灯りが一つ割れた。
光が減る。
影が濃くなる。
その暗がりの中で、オーガが鉄骨を振りかぶった。
タチバナが叫ぶ。
「来るぞ!」
ユウはARを構え直した。
撃てるかどうかではない。
止めるためではない。
逸らすために。
オーガが、三花街の内側へさらに踏み込んだ。




