↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
銀月のロスト  作者: taka
第15章 壁の上

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
107/132

記録のズレ

『ユウ、聞こえる?』


 サエの声は、いつもより少し低かった。


 ユウは中央通りの端で足を止める。


 酔っ払い二人は、もう詰所へ連れていかれていた。


 壊れた椅子の破片も片づけられ、店先の女たちは客へ笑顔を戻している。


 通りは、何事もなかったように動いていた。


「聞こえる」


『南側の裏口ログ。今の騒ぎの間だけ、一つ浮いてる』


「浮いてる?」


『開閉判定がある。でも店側の搬入記録にはない。手動解除か、センサー遅延か、まだ確認中』


 ユウは通りの奥を見る。


 第一区画から第二区画へ落ちていく灯り。


 さらに南側へ続く細い管理動線。


「映像は」


『その数秒だけ欠けてる。嫌な欠け方』


「場所」


『第二区画寄り。荷運び用の裏口。今、現場担当の端末にも確認を飛ばしてる』


「分かった。見に行く」


『タチバナにも回したわ。無理に入らないで。確認だけ』


「分かってる」


 通信が切れる。


 ユウはすぐに歩き出した。


「二人とも、半歩後ろ。通りから外れるな」


 ユイが返事をする。


「はい」


 ラヘルも、ユウのSMGを抱え直した。


「承知しました」


 ラヘルは、先ほどの酔っ払いの騒ぎをまだ引きずっていた。


 男の伸びてきた手。


 ユウが手首を止めた動き。


 店先の女たちの冷たい視線。


 そのくらい、自分で捌けないのか。


 言葉にはされていない。


 けれど、そう見られていた。


 今度は、別の何かが起きている。


 ラヘルは歩きながら、通りの奥を見る。


 店の灯りはまだ明るい。


 けれど、進むにつれて客の数が少しずつ減っていく。


 表通りの笑い声が後ろへ流れ、荷運び用の通路に近づくと、灯りの色が変わった。


 赤や橙ではない。


 白い管理灯。


 灰色の壁。


 店の裏側へ通じる扉。


 荷物を置くための低い台。


 そこに、男が二人いた。


 一人は店側の担当らしい。


 腕に小型端末を巻き、焦った顔でログを確認している。


 もう一人は用心棒だった。


 用心棒は、ユウを見るとすぐに姿勢を正した。


「警邏か」


「裏口ログ」


 ユウは短く言った。


 担当の男の顔がさらに強張る。


「い、いや、うちは何もしてません。搬入はありませんし、鍵も閉めてました」


 ユウは男を見る。


「誰が見てた」


「見てた、というか、その、騒ぎがありましたので」


「持ち場を離れたのか」


「完全には離れてません。少し、表の方を」


「何秒」


「それは――」


 担当の男は端末を握り直した。


 言葉が出ない。


 ラヘルは、その顔を見ていた。


 ユウの声は大きくない。


 怒鳴ってもいない。


 けれど、短い。


 問いの形をしているが、相手には詰問に聞こえる。


 担当の男は、答えるより先に守りに入っていた。


「本当に、うちは通してません。誰も入れてないです。鍵も、ほら」


 男は裏口の電子錠を示す。


「閉まってます。今も閉まってますから」


 ユウは扉へ近づいた。


 鍵を見る。


 扉の縁を見る。


 床を見る。


 荷物がいくつか積まれている。


 酒のケース。


 布袋。


 小型のコンテナ。


 ユウはしゃがみ、床の端に指を近づけた。


 触れはしない。


 少し濡れている。


「これは」


 担当の男が慌てて言う。


「水です。荷物の結露か何かで――」


「聞いてない」


 男が口を閉じた。


 空気がまた硬くなる。


 ラヘルは一歩だけ前に出た。


 ユウは振り返らない。


 だが、ラヘルが横へ出たことには気づいているようだった。


 ラヘルは担当の男へ向き直る。


「責任を問うためではありません」


 男が、ラヘルを見る。


 ラヘルはSMGを抱えたまま、姿勢を崩さない。


 声も荒げない。


「今必要なのは、記録と現場の認識を合わせることです」


「……ですが」


「搬入がなかったこと、鍵を閉めていたこと。その二つは分かりました。では、騒ぎの間にどなたがどの位置にいたかを確認させてください」


 担当の男は、少しだけ息を詰めた。


 ラヘルは続ける。


「後で責任を問われないためにも、今正確に話した方がよろしいかと」


 その一言で、男の目が動いた。


 責任を問うのではない。


 責任を避けるために、今話す。


 言葉の向きが変わるだけで、相手の顔つきが変わった。


 担当の男は、端末を見た。


「……騒ぎが起きた時、表へ二人出ました。用心棒が一人、店員が一人。私はここに残っていましたが、客が流れてきたので、少しだけ通路側に」


「扉から目を離した時間は」


 ユウが聞く。


 担当の男は一瞬身構えた。


 ラヘルがすぐに補う。


「おおよその時間で構いません。記録と照合します」


「十秒……いや、十五秒くらいです」


「その間、扉は見えていましたか」


「完全には」


「鍵の解除音は」


「聞こえてません。聞こえていれば分かります」


 ユウは電子錠を見る。


「手動解除は」


「店側端末と管理札が必要です。予備キーは店長と詰所にしか」


「映像」


 担当の男は端末を操作した。


「こちらです」


 小さな画面に、裏口付近の映像が映る。


 白い管理灯。


 積まれた荷物。


 扉。


 担当の男の背中。


 そして一瞬、映像が乱れる。


 数秒。


 戻った時には、扉は閉まっている。


 ラヘルは画面を見た。


 何かが映っているわけではない。


 だから余計に嫌だった。


 ユウは映像を見たまま言う。


「この数秒で開いた」


「記録上は、そうなっています」


 担当の男が言う。


「ですが、実際には――」


「音は聞こえなかった」


「はい」


「なら音を消したか、そもそも音を出さずに開けた」


 担当の男の顔が青くなる。


 用心棒が低く言った。


「中に入ったってことか」


「まだ分からない」


 ユウは短く返す。


 それでも、言葉は重かった。


 まだ分からない。


 だが、分からないままにはしておけない。


 ユウは扉の下を見る。


 床の水。


 いや、水だけではない。


 細い泥の跡があった。


 荷台の車輪跡ではない。


 靴跡とも少し違う。


 小さい。


 ユウは顔を近づける。


「ラヘル、下がれ」


 ラヘルは一歩下がる。


 ユイも、遅れて下がった。


 ユウは泥の跡を見てから、通路の奥へ視線を向ける。


 裏口から入った場合、表へ出ずにどこへ行けるか。


 荷物置き場。


 店裏。


 細い通路。


 第二区画の奥。


 さっき壁上から見た線が、また頭の中で重なる。


 ユウの耳元で通信が鳴った。


『ユウ、こっちでも確認した』


 サエの声。


「言え」


『開閉ログは本物っぽい。センサー遅延じゃない。誰かが開けたか、開いたことにした』


「映像欠けは」


『外部ノイズじゃない。近い場所で一瞬だけ潰されてる。雑だけど、意図的』


「侵入か」


『可能性は上がったわ。でも、何が入ったかはまだ分からない』


 ユウは泥の跡を見る。


「小さい跡がある」


『場所は?』


「裏口の内側。荷台じゃない。靴でも薄い」


 サエの返事が少し遅れた。


『……タチバナへ上げる。現場担当にも扉を封鎖させて』


「分かった」


 通信が切れる。


 ユウは用心棒を見る。


「この裏口、今から閉鎖。誰も通すな」


 用心棒は頷いた。


「分かった」


 担当の男が慌てて端末を操作する。


「封鎖登録します」


 指が少し震えていた。


 ラヘルは、それを見ていた。


 男が怯えているのは、敵にではない。


 責任に。


 店ごと睨まれることに。


 自分の報告が遅れたと言われることに。


 ここでは、異常そのものと同じくらい、管理の失敗が怖い。


 ラヘルは少しだけ息を吸う。


「封鎖登録後、該当時間の担当者名、位置、扉に近づいた者の有無を一覧にしてください」


 担当の男が顔を上げる。


 ラヘルは続けた。


「その方が、後で確認が早くなります。今なら記憶も新しいはずです」


「はい。やります」


 男は今度はすぐに答えた。


 ラヘルは少しだけ頷く。


 ユウは泥の跡から目を離し、ラヘルを見た。


 その視線に、ラヘルは一瞬だけ身体を固くした。


 出すぎただろうか。


 そう思った。


 それでも、確認せずにはいられなかった。


「……今のは、差し出がましかったでしょうか」


 ユウは一拍置いた。


「助かった」


 短い言葉だった。


 ラヘルは、一瞬だけ目を大きくした。


 褒められた、というより。


 認められた。


 そう感じるより先に、驚きが来た。


 ユウの声には、皮肉がなかった。


 値踏みもなかった。


 上層の礼儀のような飾りもない。


 ただ、役に立ったものを、役に立ったと言っただけだった。


 ラヘルはすぐに表情を戻す。


「……いえ、当たり前のことですので」


 声は少しだけ遅れた。


 ユウはそれ以上何も言わない。


 また床の跡へ目を戻す。


 ラヘルは、その横顔を見た。


 粗い。


 言葉は短い。


 礼儀もない。


 こちらの心を慮って言葉を選ぶような人ではない。


 けれど。


 自分を上にも下にも置いていない。


 そう思った瞬間、ラヘルは少しだけ戸惑った。


 ユウは、ラヘルが役に立てば使う。


 危なければ下げる。


 助かれば、助かったと言う。


 そこに階層の線がない。


 少なくとも、ラヘルが思っていた形では。


 ユイが横で見ていた。


 ユイの表情は複雑だった。


 ラヘルが言葉で場を動かしたこと。


 ユウがそれを当然のように受け取ったこと。


 その両方を、見ていた。


 ユウは立ち上がる。


「ユイ、ラヘル。通り側へ戻る」


「はい」


 ユイが返事をする。


 ラヘルも続いた。


「はい」


「担当」


 ユウが男を見る。


「封鎖したら詰所へ上げろ。誰かがこの扉に触ったら、すぐ警邏に回せ」


「分かりました」


「用心棒」


「何だ」


「ここから奥へ、誰か勝手に入ったら止めろ。追うな。止めて呼べ」


 用心棒は眉を寄せた。


「追うな?」


「追って一人になるな」


 その言葉に、用心棒の顔つきが少し変わった。


「……分かった」


 ユウは頷く。


 そして、通り側へ戻る前に、もう一度床を見た。


 小さな泥の跡。


 裏口から内側へ。


 細い通路の奥へ向かっている。


「サエ」


 ユウは通信を開く。


『聞こえてる』


「泥の跡は奥へ向かってる。こっちは追わない。通り側を押さえる」


『正解。タチバナが詰所から人を出す。レンジにも壁上から南側を見るよう回した』


「分かった」


『ユイとラヘルは?』


「いる」


『無理させないで』


「分かってる」


 通信が切れる。


 ユウは二人を見る。


「半歩後ろ。今度は横を見るな。通りだけ見ろ」


 ユイは頷いた。


「はい」


 ラヘルも答える。


「承知しました」


 三人は裏口から離れ、中央通りへ戻る。


 店の灯りがまた強くなる。


 客の声が戻る。


 札を見せる音が聞こえる。


 普通の揉め事は、もう終わったはずだった。


 けれど、記録のズレは残っている。


 映像の欠け。


 泥の跡。


 開いたことになっている裏口。


 ラヘルは膝の前でSMGを抱え直した。


 先ほどのユウの一言が、まだ残っている。


 助かった。


 短い、粗い言葉。


 けれど、社交辞令ではない。


 ラヘルはその意味を持て余したまま、ユウの半歩後ろを歩いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。