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銀月のロスト  作者: taka
第15章 壁の上

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壁の上

 休憩時間に入っても、ユウは控室へ戻らなかった。


 白い通路の途中で足を止め、詰所側へ向かう。


 三花街の内部は、まだ動いている。


 呼び込みの声。


 札を確認する声。


 遠い笑い声。


 その奥で、警邏用の端末が低く鳴っていた。


 タチバナは詰所の奥にいた。


 花街側の責任者と短く話をしている。


 テーブルの上には、区画図と入退場ログの簡易表示。


 サエが管理しているサーバーとは別に、現場用の端末が置かれていた。


 ユウが入ると、タチバナだけが目を向けた。


「どうした」


「壁上を見たい」


 タチバナは少し黙る。


 花街側の責任者がユウを見る。


 顔に出してはいないが、理由を待っている目だった。


「下で動く時、上からの射線と死角を見たい」


 ユウはそれだけ言った。


 タチバナは区画図へ視線を落とす。


「レンジの所か」


「ああ」


「休憩中だろ」


「だから行く」


 タチバナは短く息を吐いた。


「勝手に動くな。レンジの邪魔もするな。壁上の担当には俺から通す」


「分かった」


「見るだけだ」


「分かってる」


 タチバナは花街側の責任者に視線を向けた。


 責任者は端末を操作し、壁上通路の通行許可を出す。


「北側の階段から上がってください。銃座周辺では担当者の指示に従ってください」


「分かった」


 ユウは詰所を出た。


 白い管理灯の下を抜け、北側の階段へ向かう。


 階段は狭い。


 壁の内側に沿って作られた鉄製の階段で、踏むたびに靴底の音が硬く返る。


 途中で外の空気が近づいた。


 香料や酒の匂いが薄くなる。


 代わりに、湿った風と、堀の水と、古いコンクリートの匂いが上がってくる。


 最後の段を上がると、視界が開けた。


 壁の上だった。


 足元の通路は、二人が横に並べるくらいの幅がある。


 外側には低い防護柵。


 内側には三花街の灯り。


 一定間隔でサーチライトと銃座が置かれている。


 レンジは、少し先の銃座脇にいた。


 壁に背を預けるでもなく、片膝を軽く曲げ、スコープ付きの銃を外へ向けている。


 近くには花街側の壁上担当が二人。


 一人はサーチライトの動きを見ていて、もう一人は通信端末を持っていた。


 レンジがユウに気づく。


「何すか。俺に会いに来たんですか」


「違う」


「即答やめてくれません?」


 レンジは小さく笑って、すぐに外へ視線を戻した。


「上から見たいんですよね」


「ああ」


「タチバナさんには?」


「話した」


「ならいいです」


 レンジは顎で壁の外を示した。


「下から見るのと、だいぶ違いますよ」


 ユウは外側へ近づきすぎない位置で立つ。


 堀が見えた。


 下から見た時より、幅がよく分かる。


 壁に沿って暗い水が走り、橋と門だけがはっきりした道になっている。


 北門。


 南門。


 その間を貫くメインストリート。


 内側の灯りは、区画ごとに色が違っていた。


 北側は明るい。


 第一区画は看板の光が多く、通りの幅も見える。


 第二区画は少し暗い。


 最下層区画の方は、灯りが細く、ところどころ途切れている。


 上から見ると、街は線になった。


 人の流れ。


 客が歩く道。


 女が立つ場所。


 用心棒が見ている角度。


 門から入って、どこで広がり、どこで詰まるか。


 下にいた時より、形が分かる。


 ユウは内側をしばらく見た後、外側へ目を向けた。


 壁の外は、下層の建物が途切れている。


 いや。


 途切れているように見えるだけではない。


 壊されている。


「外、片づいてるな」


 ユウが言うと、レンジが頷いた。


「片づけてるんですよ」


「壊したのか」


「多分。全部じゃないですけどね。あそこ、元は建物があったはずです」


 レンジは銃口を少しだけ下げ、遠くの影を示す。


 壁の外側には、潰れた建物の残骸が並んでいた。


 自然に崩れたものもある。


 だが、全部ではない。


 壁上から見える範囲だけ、屋根が抜かれている。


 遮蔽になりそうな壁が途中で切られている。


 細い路地は瓦礫で塞がれ、逆に広い通りは不自然に開いていた。


 ユウは目を細める。


 倒壊ではない。


 残すものと壊すものを選んでいる。


「撃つためか」


「ええ」


 レンジはスコープを覗いたまま答える。


「下からだと、ただ荒れてるように見えるますけどね。上からだと分かるんですよ。射線を塞ぐ場所だけ、ちゃんと抜いてある」


 壁上のサーチライトがゆっくり動く。


 光が瓦礫の影を撫でた。


 一瞬、空洞になった建物の内側が白く浮かぶ。


 その奥は、また暗い。


「近づく側からしたら嫌だな」


「嫌でね。橋へ行こうとすると見られます。壁沿いに寄っても見られます。建物を使って近づこうとしても、使える建物が抜かれてる」


 レンジは軽く顎を動かした。


「それでも近づく奴はいますけど」


 その直後だった。


 レンジの指が動いた。


 銃声。


 壁上で乾いた音が跳ねる。


 ユウは反射的に外を見る。


 サーチライトの端。


 壊れた建物の影から、小さな影が崩れた。


 人間より低い。


 子供のような大きさ。


 だが、動きは人間の子供ではなかった。


 影は瓦礫の上で痙攣し、動かなくなる。


 壁上担当の一人が通信端末に短く報告した。


「外周北東、個体一。処理確認」


 レンジはボルトを動かし、次弾を送る。


「今日だけで六つ目ですね」


 ユウは倒れた影を見た。


「多いのか」


「数だけなら、まあ」


 レンジはスコープから目を離さない。


「問題は、来方です」


「来方」


「突っ込んできてるわけじゃない。群れで押してるわけでもない。時間を空けて、別々の場所から近づいてくる」


「様子見か」


「そう見えるんですよね」


 レンジの声から、軽さが少し消えた。


「普通、あそこまで出てきたら撃たれるって分かるんですよ。ゴブリンでも、何度かやられりゃ警戒する。なのに、ちょっとずつ近づく」


 ユウは壁の外を見る。


 壊された建物。


 射線の通る空間。


 サーチライトの周期。


 橋へ向かう道。


「ライトを見てるのか」


「ライトと、こっちの反応速度と、壁上の人数」


 レンジは答えた。


「多分ですけどね」


「死ぬのに?」


「死ぬ個体は、そういう役なんじゃないですかね」


 レンジはそこまで言って、口を閉じた。


 断定はしない。


 だが、言いたいことは分かった。


 ユウは倒れた影から、さらに外の暗がりへ視線を移す。


 誰かが見ている。


 そう決めつけるには早い。


 けれど、ただ迷い込んできているだけにも見えない。


「死体は」


「基本、拾いには来ないです」


「来ない?」


「ええ。食いに来るでも、引きずっていくでもない。倒れたら倒れっぱなしです。こっちは処理班が回収するまで監視継続」


 レンジは少しだけ肩を回した。


「嫌でしょう?」


「嫌だな」


 ユウは短く答えた。


 壁の上を、風が通る。


 下の花街の灯りが揺れる。


 遠くで女の笑い声が上がる。


 その声と、外の暗がりは繋がっていないようで、同じ壁を挟んでいた。


 レンジが別方向へスコープを向ける。


「下はどうでした?」


「重い」


「でしょうね」


「一区は見てる。二区は声をかける。最下層区画は縋る」


 レンジは少し黙った。


「行ったんですか」


「ああ」


「二人連れて?」


「ああ」


「……タチバナさん、よく許しましたね」


「仕事だ」


「ユウらしいですね」


 レンジは苦笑する。


 だが、茶化しきれなかった。


「ユイ、平気そうでした?」


「平気じゃない」


「ラヘルは」


「知らなかった」


「でしょうね」


 それだけで会話は止まった。


 レンジは外を見続ける。


 ユウも、下と外を交互に見た。


 内側では、人の流れが決められている。


 外側では、近づく道が壊されている。


 守るため。


 撃つため。


 逃がさないため。


 全部が同じ壁に集まっていた。


「下で動くなら」


 レンジが言う。


「あの南門側の内角、死角になります」


 ユウは内側を見る。


 南門の近く。


 白い灯りのある管理動線。


 壁上の銃座から少し外れる場所がある。


「銃座から見えない?」


「全くじゃないです。でも撃ちにくい。人が流れると余計に」


「詰まるな」


「詰まりますね。特に客が逃げ始めたら、店の前と詰所前で詰まる」


 レンジは別の場所を示す。


「逆に、ここは通ります。橋から門へ入ってきたものを押し戻すなら、この線。ただし中に人が残ってると撃てない」


 ユウは頷く。


 見る。


 門。


 橋。


 銃座。


 白い管理灯。


 第二区画から南門へ流れる道。


 下で歩いた場所が、上から別の線になる。


「追い込むなら」


 ユウが呟く。


 レンジが横目で見る。


「どこですか」


 ユウは少し黙ってから、外と内の間を見た。


「南門内側の手前。詰所前じゃなくて、その一つ北」


 レンジはスコープを外し、肉眼でその位置を見る。


「人が逃げる方向とは逆ですね」


「逃げる人間とぶつけない」


「射線は?」


「上からは弱い。下の銃座なら通る」


 レンジが少し笑った。


「やっぱ見に来て正解ですね」


「まだ分からない」


「分からない時に見ておくのが仕事でしょう」


 レンジはまたスコープを覗いた。


 ユウは外側を見た。


 サーチライトが次の周期へ入る。


 壊れた建物の影が、また白く浮かぶ。


 その瞬間、遠くの瓦礫の間で何かが動いた。


 レンジが銃を向ける。


 だが、撃たなかった。


「遠い」


 ユウが言う。


「ええ。あれはまだ撃たない距離です」


 影はすぐに消えた。


 近づくでもなく、逃げるでもなく。


 見えたと思ったら、いなくなる。


 レンジは舌打ちした。


「探ってますね」


 今度は、はっきりそう言った。


 ユウは何も返さなかった。


 壁の内側では、三花街が動いている。


 壁の外側では、何かが距離を測っている。


「来ると思うか」


 ユウが聞く。


 レンジはスコープから目を離さない。


「来ないなら、こんな見方はしないですね」


 風が壁上を抜ける。


 サーチライトが、壊された建物の影をもう一度撫でた。


 ユウはその影を見たまま、少しだけ足の位置を変えた。


 下へ戻った時に、どこを通るか。


 どこへ下げるか。


 どこで止めるか。


 それを、頭の中で一つずつ置いていった。

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