視線だけ
北門側の通りは、思っていたよりも整っていた。
ユウは先頭を歩く。
ARは肩に掛けたまま。
手は添えていない。
けれど、すぐに使える位置にある。
その後ろを、ユイが歩く。
自前のSMGを胸の前で抱え、帽子のつばを少し下げている。
歩幅は小さい。
それでも、ユウの背中から離れすぎないようにしていた。
ラヘルは、その半歩後ろにつく。
腕の中には、ユウから渡されたSMGがある。
撃つな。
構えるな。
落とすな。
そう言われた重さが、まだ手の中に残っていた。
通りには、店が並んでいる。
赤い灯り。
橙の看板。
古いホログラム。
酒と香料の匂い。
客へ向ける女たちの笑み。
下層にあるとは思えないほど、道は片づいていた。
だが、綺麗というより、管理されている。
客が歩く場所。
女が立つ場所。
用心棒が見る場所。
店員が札を確認する場所。
それぞれに、線がある。
ユウはその線を踏み越えない。
店先へ近づきすぎず、客の流れを塞がず、けれど通りの中央から外れすぎない。
警邏。
その言葉通り、歩いているだけだった。
それでも、通りの空気は少し変わる。
呼び込みの女たちは声を止めない。
「お兄さん、札ある?」
「こっち、すぐ入れるよ」
「飲むだけでもいいからさ」
声は客へ向けられている。
ユウたちには向かない。
ただ、目だけが動く。
ユウのAR。
ユイのSMG。
ラヘルの腕の中のSMG。
そして、それぞれの距離。
女たちは、見ていた。
笑ったまま。
客の袖を引きながら。
店先の柱にもたれながら。
一瞬だけ。
それから、すぐに元の笑みへ戻る。
誰も何も言わない。
ラヘルは、その沈黙の理由を考えるまでもなかった。
警邏中のロストが連れている女に、余計なことを言う。
それは、女同士の軽口では済まない。
ユウに喧嘩を売ることになる。
店側の秩序を乱すことになる。
ここでは、秩序を乱した女もまた、処分される側になる。
だから、口は閉じる。
けれど視線だけは、残る。
ユイは、その視線を受けていた。
最初は気づいていないようだった。
だが、店先の女が一人、ユイの手元を見た時、ユイの指がSMGの吊り紐を少し握った。
その女は、何も言わない。
ただ、ユイの帽子、服、手元の武器、ユウとの距離を順に見た。
最後に、ユウを見る。
笑顔は崩れなかった。
けれど、目の奥だけが少し変わった。
ユイは小さく息を止める。
ラヘルは、それを横から見た。
言葉ではない。
暴言でもない。
敵意でもない。
もっと重いもの。
羨望。
値踏み。
自分の位置と、相手の位置を比べる目。
それがユイへ向いている。
ラヘルにも向いていた。
ただし、自分への視線は少し違う。
ラヘルは、ユウのSMGを持たされている。
新しく管理下に入れられた女。
まだ硬く、まだ馴染んでいない女。
そう見られている。
ユイは違う。
自前のSMGを持ち、ユウのすぐ後ろを自然に歩く。
ユウが振り返らなくても、その距離にいる。
痣はない。
怯えていない。
怒鳴られてもいない。
歩く場所を与えられている。
三花街の女たちが見るのは、そこだった。
ラヘルは、SMGを抱える腕に少しだけ力を入れた。
「顔を上げすぎるな」
ユウの声がした。
ラヘルは、はっとして視線を戻す。
「はい」
「見るなら目だけ」
「承知しています」
ユウはそれ以上言わなかった。
ユイがちらりとラヘルを見る。
心配しているのかもしれない。
その視線に、ラヘルは小さく頷いた。
大丈夫です。
そう言う代わりだった。
第一区画の通りは、まだ明るい。
店構えも整っている。
女たちの髪も服も、きちんと手が入っている。
客も比較的落ち着いていた。
酔って声を大きくする男はいる。
だが、用心棒が一歩近づくだけで、声量が下がる。
札の確認も早い。
店員は笑顔で客を迎え、女たちは客を誘う。
その間に、用心棒の視線が通りを掃いている。
暴力がないのではない。
暴力を表に出さないための手順がある。
ラヘルは、そう感じた。
「北側は、まだ綺麗ですね」
思わず口にすると、ユウが前を向いたまま答えた。
「ここは一区だ」
「比較的、上の区画ということですか」
「知らん」
短い答え。
代わりにユイが、小さく言った。
「たぶん、そうだと思います。レンジが、北側はまだ店として整ってるって」
「レンジ様が」
「はい」
ユイは少しだけ声を落とす。
「あの人、こういう場所、少し詳しいみたいです」
そう言ってから、言い方に困ったように口を閉じた。
ラヘルは追及しなかった。
レンジが何を知っているかは、今は問題ではない。
問題は、今この通りにいる女たちが何を見ているかだった。
第一区画の終わりに近づくと、灯りの質が少し変わった。
看板の光が、少し減る。
店先の飾りも、少し薄くなる。
呼び込みの声に、わずかに擦れた音が混じる。
第二区画。
明確な境界線があるわけではない。
けれど、ラヘルには分かった。
通りに立つ女たちの笑みが、少し硬い。
客との距離が、わずかに近い。
用心棒の視線も、少し長く客へ残る。
そして、ユウを見る目が変わった。
第一区画では、見るだけだった。
ここでは、声がかかる。
「ロストさん、警邏?」
店先の女が、笑って言った。
ユウは足を止めない。
「仕事中だ」
「若いのに、いい仕事もらってるね」
「仕事中だ」
同じ返事。
女は笑う。
しつこくは追わない。
ただ、ユイとラヘルを見た。
「そっちの子たち、連れ?」
ユイの肩が、小さく動く。
ラヘルはSMGを抱え直した。
ユウは、わずかに首だけを動かす。
「警邏の同行だ」
「へえ」
女はそれだけ言って、口元に笑みを戻した。
だが、目はもう少しだけ残った。
ユイのSMG。
ラヘルのSMG。
ユウのAR。
それから、ユイの顔。
「大事にされてるじゃない」
声は軽かった。
けれど、軽いだけではなかった。
ユイは返事をできなかった。
ユウは足を止めない。
「行くぞ」
それだけ言って進む。
ユイは少し遅れて歩き出した。
ラヘルも続く。
背後で、女の笑い声が客への声に戻った。
「札見せて。ああ、そっちなら入れるよ」
何も起きていない。
誰も暴言を吐いていない。
誰も手を出していない。
ルールは守られている。
それなのに、ユイの手は、さっきより強くSMGを握っていた。
「……大丈夫ですか」
ラヘルが小さく聞く。
ユイは少し遅れて頷く。
「はい」
声は細い。
ユウが振り返る。
「無理なら戻るぞ」
ユイは顔を上げた。
「大丈夫です」
今度は、少しだけ強く言った。
ユウは短く頷く。
「そうか」
それだけで、また前を向く。
ラヘルは、そのやり取りを見る。
ユウは詳しく聞かない。
慰めもしない。
ただ、戻る選択肢だけを出す。
それが乱暴なのか、優しさなのか、まだ分からない。
ただ、ユイはその言葉で少しだけ歩き方を戻した。
第二区画では、何度か声がかかった。
「ロストさん、こっちも見回ってよ」
「その子たち、銃持てるんだ」
「いいなぁ、守られてるね」
「警邏なら、うちの前も長めにお願い」
どれも冗談めいている。
店の中に引き込もうとする声ではない。
縋る声でもない。
まだ、笑って言える範囲。
ユウはすべて流した。
「仕事中だ」
「通るだけだ」
「店に言え」
「詰所へ回せ」
短い返事。
女たちも、それ以上は踏み込まない。
三花街の女たちは、馬鹿ではない。
警邏中のロストに、越えてはいけない距離があることを知っている。
ユイは黙って歩く。
ラヘルは、その横顔を見る。
ユイは怒っていない。
怯えてもいない。
ただ、受け止め方が分からない顔をしていた。
大事にされている。
その言葉が、ユイのどこかに残っている。
ラヘルにはそう見えた。
第二区画のさらに先へ進むと、店の声が少しずつ減った。
南門に近づいている。
ラヘルは、もっと荒れた場所を想像していた。
だが、実際には違った。
南門付近は、むしろ第二区画よりも片づいていた。
床が掃かれている。
壁際に余計なものがない。
店の灯りより、管理用の白い照明が強い。
詰所。
搬出口。
札を確認する端末。
物資用の小さな台車。
香料の匂いが薄くなる。
代わりに、消毒液と鉄の匂いが戻ってくる。
人の声も少ない。
ここは、客を楽しませる場所ではない。
流れを処理する場所。
ラヘルは、SMGを抱えたまま白い灯りを見る。
綺麗だった。
だから、冷たい。
ユイも何も言わなかった。
南門の方には、詰所の男が二人立っている。
その先に、さらに別の通路が見えた。
暗いわけではない。
だが、店の灯りとは違う。
人を誘うための光ではなく、逃がさないための光。
ユウは、その先へは進まなかった。
「ここまでだ」
短く言う。
ラヘルは顔を上げる。
「この先へは」
「今日は行かない」
「はい」
ユイは、南門の方を見たまま、少しだけ帽子の縁に触れた。
聞きたいことがあるのかもしれない。
けれど、聞かなかった。
ユウも説明しない。
三人の後ろで、遠く第二区画の呼び込みの声が聞こえる。
笑い声。
札を見せる音。
扉が閉まる音。
南門の白い灯りの下では、それらが少し遠く聞こえた。
「戻るぞ」
ユウが言った。
第二区画の灯りを背に、ユウは来た道へ向きを変える。
ユイは一度だけ南門を見てから、SMGを抱え直した。
ラヘルも、ユウのSMGを持ち直す。
冷たい金属の重さが、手のひらへ戻った。
三人は、北門側へ引き返した。




