第9話:チェス盤の不協和音。素直になれない二人、ふたたび
リュシアンの計画を止めるミリア
帝都の地下、重厚な石造りの秘密回廊。
「侵入者だ! パルミアンの魔導剣士─」
敵の警備兵が叫ぶ間もなく、カークの大剣から放たれた真空の魔導波が、その肉体を壁へと叩きつけた。
「死なせるな! 武器と魔導通信具だけを破壊しろ! ミリアの国際法を汚すな!」
カークの怒号が響く。五十名の精鋭たちは、圧倒的な武力を誇りながらも、ミリアの教えである「過剰防衛の禁止(大義名分を敵に与えない)」を完璧に守り、最小限の流血で敵のインテリジェンス本拠地を制圧していった。
「カーク、最深部の暗号室は左よ。私が結界を解除したわ」
影から現れたセリカが、息を弾ませながらナビゲートする。彼女たち『月光』の決死の逆探知が、この強襲を可能にしていた。
最深部の部屋の扉を蹴り開けたカークは、そこで、机の上の書類を燃やそうとしていた帝国の暗号兵を組み伏せ、一枚の羊皮紙を奪い取った。
そこには、リュシアン王子の筆跡で、明日開催される「10カ国首脳夜会」の席上にて発動される、【パルミアン王国・強制割譲(併合)条約】の全容が記されていた。
「これだ……。ミリア、お前の欲しかった『敵の次の一手』だ!」
一方その頃、地上の大夜会会場。
情報遮断され、孤立無援となったミリアの前に、アルデバルン帝国の第2王子リュシアンが、勝利を確信した笑みを浮かべて立っていた。
「どうだい、ミリア王女。五感を奪われ、手足をもがれた気分は。君の美しいチェス盤は、我が帝国の巨大な『現実(力)』の前に、ただの紙クズとなった。大国を舐めないことだ」
リュシアンはミリアの顎を指先でクイと持ち上げ、その琥珀色の瞳を覗き込んだ。
「明日の夜会で、我が帝国とキリア、カルカンを含む10カ国は、パルミアンの解体条約に調印する。君に残された唯一の生存戦略は、今この場で私の軍門に下り、私の所有物(妃)になることだ。君の知略があれば、帝国の影の統治者として、大陸全土をチェス盤にできるぞ。どうだ?」
激しい引き抜きと、残酷な揺さぶり。
だが、ミリアは顎を上げ、リュシアンの指を冷酷にはねのけた。その瞳には、一筋の迷いもなかった。なぜなら、バルコニーの影から泥と返り血に汚れながらも、完璧に任務を遂行したカークが、親指を立てて合図を送ってきたのを見たからだ。
「リュシアン殿下。お断りいたしますわ。私は、あなたのような『力に頼るだけの退屈なプレイヤー』の駒になるつもりはありません」
「何だと?」
リュシアンの青い瞳に、初めて不快な色が混じる。
「私はね、あなたとは違うの。私は自分のためにチェスを指しているのではないわ。私を信じ、私のために命を懸けてくれる、世界でただ一人の私の騎士のために盤面を描いているのよ。……さあ、明日の夜会を楽しみにしておきなさい。あなたのその傲慢な顔が、歴史のインクでどう汚れるか、特等席で見物してあげますわ」
ミリアは優雅にターンし、リュシアンの前を去った。
その夜遅く、公使館の自室。
カークが持ってきた帝国の極秘書類を検分し終えたミリアは、椅子から立ち上がり、窓辺に立つカークの背中に、後ろからそっと頭を預けた。
「……お疲れ様、カーク。怪我はなかった?」
「ああ。お前が言った通り、敵は過剰防衛を誘ってきたが、全員生け捕りか無力化にとどめた。お前のチェス盤を汚さずに済んだよ」
カークが振り返り、ミリアの華奢な身体を抱きしめた。
ミリアの顔は、一瞬で耳まで真っ赤になった。
「な、何するのよ、不敬よ、カーク! 私はパルミアンの王女よ! ……でも、その、ありがとう。あなたが無事で、本当によかった。あなたがいない世界なんて、私にとっては世界地図が消滅するのと同じなんだから……っ」
素直になれなかったツンデレな言葉の中に、極限の恐怖から解放された本物の愛が溢れていた。
カークは微笑み、彼女の銀髪にキスをした。
「準備はできたか、ミリア。明日、世界をひっくり返すんだろ?」
「ええ。大国10カ国の欲望を、すべて我がパルミアンの『栄養』にしてあげるわ。チェックメイトの時間よ」
最後まで読んでいただき、ありがとうございました! いよいよ第2部最終話です。




