第8話:月光、闇を駆ける──情報遮断(ブラックアウト)
目と耳を奪われたミリア王女 カークが決死の行動を
深夜、パルミアン公使館の地下室。
いつもなら、大陸全土の『月光』の網から送られてくる魔導通信の光で満たされているはずの場所に、不気味な「沈黙」が支配していた。
「……通信が、すべて途絶した?」
ミリアは信じられない思いで、明かりの消えた魔導具を見つめた。
その場に、肩から血を流した『月光』の首領キース・ブランが、モノクルにひびを入れながら静かに現れた。
「ミリア様、ダミアス陛下。帝国の第2王子リュシアンが動きました……。帝国全土、そしてキリア、カルカンに潜入していた我が組織の一千名の通信拠点が、今夜一斉に、帝国の特殊魔道部隊によって強襲され、破壊されました。セリカたちが決死の防衛線を張っていますが……現在、我が国の情報網は完全に【情報遮断】状態です」
地政学・国際政治において、情報は「国家の五感」だ。
特に人口30万のパルミアンにとって、大国の動向を事前に察知するインテリジェンス(諜報力)こそが、巨大な敵を出し抜くための唯一の武器だった。五感を奪われた小国は、暗闇の中で巨人に殴られるのを待つだけの、ただの肉塊に過ぎない。
「リュシアン王子……。私のチェス盤そのものを、力尽くで破壊しに来たのね」
ミリアは初めて、恐怖で身体が震えるのを止められなかった。
目と耳を奪われ、陸路は封鎖されている。明日、大国がどの方向から攻めてくるかも分からない。この完璧な絶望の前に、天才王女の頭脳は空回りし始めた。
「……ミリア」
暗闇の中、大きく温かい手が、ミリアの冷え切った手を包み込んだ。カークだった。
「カーク……だめよ、近づかないで。私はもう、チェスを指せない。次の『駒』をどう動かせばいいのか、何も見えないの……」
「見えないなら、俺がお前の『目』になる」
カークの真っ直ぐな瞳が、暗闇の中で魔導の残り火のように輝いていた。
「地政学がどうとか、インテリジェンスがどうとか、俺には難しいことは分からない。だけど、父マークが言っていた。戦場で五感を奪われた時、最後に信じるべきは、自分の足元の地面と、隣にいる戦友の息遣いだ。ミリア、お前には俺がいる。『月光』の通信網が潰されたなら、俺が直接、敵の本拠地に飛び込んで、お前のための情報を毟り取ってくる」
カークは礼装を脱ぎ捨て、黒い隠密用の魔導甲冑に身を包んだ。その背中には、パルミアン最強の証である大剣が背負われている。
「カーク、無茶よ! 帝国の本拠地に潜入するなんて、死にに行くようなものだわ!」
ミリアはカークの胸に縋り付き、その衣服を涙で濡らした。毎夜の悪夢が、現実になろうとしていた。大切な人が、お父様のように、また私の前から消えてしまう。
「無茶じゃない。これは戦術だ」
カークは優しくミリアの髪を撫でた。
「リュシアン王子は、社交界の夜会の裏で、必ず次の『経済制裁の次の段階(軍事侵攻の調印式)』を行うはずだ。そこを叩く。お前が教えてくれただろう、戦争は政治の延長だって。なら、俺の剣で、敵の最深部の政治を破壊してくる。だから、お前はここで、次のチェス盤を用意して待っていろ」
キース・ブランが重厚な声で言った。
「カーク、セリカがお前の先導役として闇に伏せている。マクタリアンの血の強さ、リュシアンに見せてやれ」
カークはミリアの額に、誓うように短く唇を触れさせると、音もなく窓から夜の帝都へと飛び出していった。
「カーク……っ!」
残されたミリアは、額に残る熱さと、愛する男が命を懸けて作ろうとしている「活路」の重さに、涙を拭った。
(私は、パルミアン王国の王女。カークが命を懸けて『情報』を持ってくるなら、私は一秒でも早く絶望を捨て、帝国を奈落の底に突き落とするのための『逆転の盤面』を描かなければならない!)
同じ頃、帝都の闇を、カーク率いる第2中隊の精鋭たちが風のように駆けていた。
標的は、帝都の地下深くに存在する、リュシアン王子の秘密作戦本部。
各国諜報工作が渦巻くドロ沼の夜に、パルミアンの「最強の矛」が、容赦なく突き立てられようとしていた。
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