クローゼットの光
リリィたちが異世界へ帰ってから、一か月が過ぎた。
部屋は静かだった。
いや――静かすぎた。
「……平和だ」
ソファに座りながら、雄一はぽつりと呟く。
テレビの音だけが部屋に響いている。
床にゲームソフトは散らかっていない。
勝手に冷蔵庫のアイスが消えることもない。
夜中に、
『雄一! わたくし夜食が食べたいですわ!』
などと叩き起こされることもない。
平穏。
理想的。
なのに――。
「……なんだろうな」
雄一はコーヒーを飲みながら眉をひそめた。
「落ち着かねぇ……」
完全に生活リズムを破壊されていた。
仕事から帰宅しても、妙に静かで。
ゲームをしていても、横から、
『その装備はセンスがありませんわね』
などと口を挟む奴がいない。
休日に出かけても、
『雄一! あれは何ですの!?』
と騒ぐ金髪王女はいない。
ようやく日常が戻ったはずなのに。
なぜか胸の奥に、小さな空洞が残っていた。
「……いやいや」
雄一は首を振る。
「戻ってきたら絶対面倒だろ」
断言できる。
あいつは面倒だ。
騒がしい。
偉そう。
人の話を聞かない。
しかも魔法を使う。
危険人物である。
「……うん、戻ってこない方がいい」
自分に言い聞かせるように呟く。
だが、その夜だった。
◆
「うおおおおおっ!! 待て!! 転移魔法を使うなぁぁぁ!!」
雄一は飛び起きた。
全身汗だくだった。
「はぁっ……はぁっ……」
夢。
またあの夢だった。
異世界の城。
大量の騎士。
そして。
『雄一! この者をわたくしの夫にしますわ!』
玉座の上で高笑いするリリィ。
周囲から巻き起こる歓声。
『王配殿下万歳!!』
『おめでとうございます!!』
『逃がすな!!』
「悪夢すぎるだろ……!」
雄一は頭を抱えた。
最近、この夢ばかり見ている。
しかも妙にリアルなのが腹立たしい。
「……水飲むか」
喉が乾いていた。
雄一は重い身体を起こし、暗い部屋を歩く。
そのときだった。
――パァァァ……
「……っ?」
一瞬。
本当に一瞬だけ。
寝室のクローゼットの隙間が、淡く光った気がした。
雄一の動きが止まる。
「……は?」
静寂。
だが確かに、今――。
「……いやいやいや」
疲れているのだ。
仕事も忙しい。
最近寝不足でもある。
きっと見間違い。
そうに決まっている。
雄一は恐る恐るクローゼットへ近づいた。
「……」
静かだ。
当然、光などない。
ゆっくり扉を開ける。
中にはスーツ。
収納ケース。
クリーニングに出し忘れたコート。
普通のクローゼットだった。
「……だよな」
当たり前だ。
異世界への扉なんて、そう何度も開くわけがない。
雄一は苦笑しながら扉を閉めようとして――。
ふと、足元を見る。
「……ん?」
床に何か落ちていた。
白い紙切れ。
「なんだこれ」
拾い上げる。
メモだった。
見覚えのある、妙に癖の強い字。
『雄一、この世界のプリンを大量に用意しておきなさい』
「……」
沈黙。
「……」
さらに裏返す。
『あとゲームの続きもしますわ』
「……」
雄一は無言でメモを見つめた。
数秒後。
「いやいやいやいや」
ありえない。
絶対ありえない。
だって帰ったのだ。
魔法陣も消えていた。
クリスもいた。
ちゃんと帰還した。
なのに、なんで。
「……夢遊病?」
自分で書いた?
いや、あの字は絶対違う。
というか内容がうるさい。
完全に本人である。
雄一は再びクローゼットを見る。
静かだった。
何もない。
ただのクローゼット。
「……気のせいだ」
そう呟く。
そしてメモを丸めようとして――やめた。
「……」
小さくため息をつき、机の上に置く。
「……本当に戻ってきたら」
ぽつりと呟く。
「今度こそ追い返すからな」
だが。
その声は、自分でも分かるくらい少しだけ笑っていた。
◆
翌朝。
出勤前。
ネクタイを締めながら、雄一はふと机を見る。
昨夜置いたメモ。
そこに、新しい一文が増えていた。
『ツンデレですわね』
「うおおおおおっ!?」
マンション中に、雄一の悲鳴が響き渡った。




