北アフリカ戦線③
【1943年7月05日~7月08日 北アフリカ・地中海戦域 チュニジア アメリカ第2軍団vsドイツ・アフリカ装甲軍団】
ロンメルの出撃はアメリカ第2軍団を指揮するフリーデンダール少将を驚愕させた。
アルジェリアに上陸した東部任務部隊は第2軍団として再編成されており、チュニスへの再攻撃を検討している最中だった。
数で劣るドイツ軍に先手をうたれるとは思っていなかったフリーデンダールは急いで状況確認を始める。
「敵の数は?」
「偵察機からの報告では3個装甲師団。戦車の数は300輌程度とのことです」
フリーデンダールの指揮下には第1機甲師団A戦闘団、第1歩兵師団、第34歩兵師団が展開している。
さらに第1軍団(西部任務部隊)から派遣された第2機甲師団が指揮下に入る予定だ。
アメリカ軍の機甲師団は320輌の戦車を定数とする重機甲師団であり、戦闘団でも100輌以上もの戦車を指揮下に置く。
対するドイツ軍装甲師団の実質的な定数は100輌~150輌程度。
同じ1個師団でも2~3倍の戦力差がある。
つまり、フリーデンダールは第2機甲師団を合わせると480輌もの戦車を動かせる。
ただ、第2機甲師団は現在カセリーヌ峠に移動中であり、前衛のファイド峠には第1機甲師団A戦闘団だけが布陣している。
ロンメルの部隊が総力で撃ちかかってきた場合、数で圧倒される危険性があった。
「第1歩兵師団にファイド峠を固めさせろ。第2機甲師団が到着するまで我々は守勢に徹する」
第1歩兵師団は『ビッグ・レッド・ワン』と呼称されるアメリカ軍最精鋭の自動車化師団であり、機動性が非常に高い。
支援用の独立戦車大隊や対戦車大隊も豊富に揃えられているので、A戦闘団と組ませれば十分持ちこたえられる。
第2機甲師団が到着し、戦力比が逆転してから攻勢にでればいい。
この時フリーデンダールは自身の考えが悠長だとは微塵も思わなかった。
第1機甲師団A戦闘団の機甲歩兵大隊は先遣隊としてファイド峠の東数キロ地点に哨戒線を敷いていた。
砲兵の支援部隊はまだファイド峠にあり、740人の歩兵だけがここまで進出している。
彼らの前に8輌のティーガーが現れたのは未明の少し後のことだった。
ティーガーの隊列が2マイル先にまで接近してきた時、アメリカ軍はあわてて軽迫撃砲による応射を開始した。
数発が弧を描いてティーガーに命中したがびくともしない。
機甲歩兵大隊を指揮するウォーカー大尉は60ミリ迫撃砲、81ミリ迫撃砲による反撃を命じたが、部下からの回答は持ってきていないというものだった。
やむをえず後方の砲兵隊と空軍に支援を要請したが、戦闘団本部は機甲歩兵大隊の位置を把握しておらず、要請は却下された。
こうなると、逃げる以外の選択肢はなく兵士達は雲の子を散らすように逃走を始めた。
武器も物資もそこら中に投げ出された。
第1歩兵師団の第16歩兵連隊が異変に気付き現場に駆け付けたが、彼らもろくな対戦車兵器を持っておらず、ティーガーがおしよせてくるとパニック状態になって逃げだした。
随伴していた第753独立戦車大隊もM4中戦車の主砲が全く通じないとみるや、歩兵をみすてて走り去った。
ドイツ軍の強大な戦車群は連合軍の戦車群よりもはるかに強大であることが判明した。
とくに連合軍が上陸間際で十分な航空戦力を展開出来ないうちは決定的な力を発揮した。
有効射程外からM4中戦車を一撃で粉砕する88ミリ砲、そして至近距離まで接近しないと貫通できない重装甲は対戦車戦闘において一方的な虐殺をもたらした。
例え鍛えぬかれた精鋭であっても、有効な支援戦車や対戦車兵器を欠いた状態での対戦車戦闘に冷静さを保つことはできない。
パニックがパニックを呼び、まともに応戦する間もなくアメリカ軍は次々と敗走。
第16歩兵連隊本部は蹂躙され、第1機甲師団A戦闘団は61輌の戦車を撃破された。
ティーガー大隊を先頭にした第10装甲師団の攻撃は大成功に終わり、ファイド峠は陥落。
アメリカ第2軍団はファイド峠西方のシジーブージット村への退却を余儀なくされた。
ロンメルは攻撃の手を緩めずファイド峠を抜けると、部隊を二手に分け第21装甲師団、第15装甲師団を北から、第10装甲師団を南からシジーブージット村に殺到させた。
フリーデンダール少将は第1機甲師団A戦闘団に第21装甲師団の迎撃を命じたが、二つの戦闘団に分かれた師団は正面からの戦車戦を避けて、側面へ迂回。
第501独立重戦車大隊を先頭にA戦闘団を徹底的に叩き、44輌のM4中戦車を撃破。
第1機甲師団A戦闘団を3つの残余部隊に分断し、孤立させた。
第1機甲師団司令部は予備兵力を集めたC戦闘団に救出を命じ、200輌以上のM4とM3が果敢に突撃したが、百戦練磨のドイツ軍は救出を読んでおり、88ミリ高射砲をそこかしこに埋伏させていた。
C戦闘団の密集突撃はドイツ軍の正確な対戦車射撃にめったうちにされ、隊列が乱れた所を戦車隊に各個包囲されていき、最終的にありったけの火力を叩きこまれて殲滅された。
包囲されたA戦闘団も掃討され、この日だけでアメリカ第2軍団は285輌の戦車を喪失した。
ABCの各戦闘団を失ったことで第1機甲師団は事実上全滅、機甲兵力を失ったアメリカ第2軍団はカセリーヌ峠方面に退却していった。




