第三次ハリコフ会戦③
【1943年6月03日~6月13日 ハリコフ近郊 第24装甲軍団vsドン戦線軍】
装甲兵力による強行突破を狙うネーリングに対して、ロコソフスキーのうった手は砲兵主体の火力戦だった。ドイツ軍相手に機動戦を挑んでも勝ち目は薄い。
砲兵を集中させることで装甲兵力の殲滅を狙うのが最も合理的であり現実的な案であるといえた。
ロコソフスキーは虎の子の第4突破砲兵軍団を配置、予想攻撃正面を重点的に強化した。
二日目の戦闘はロコソフスキーの阻止線を第24装甲軍団の先鋒第23装甲師団が突き破ろうとしたことで始まった。
第23装甲師団は1個装甲連隊(第39装甲連隊)を保持しているが、前日の戦いで第2大隊は壊滅、残っているのは第1大隊だけだった。
第1大隊の戦力はパンター31輌、四号戦車(長砲身)19輌、三号戦車(75ミリ)11輌の合計61輌。
これだけでは打撃力が不足するので、支援戦力としてフンメル(150ミリ榴弾砲搭載自走砲)24輌、ヴェスぺ(105ミリ榴弾砲搭載自走砲)12輌が加わった。
対峙している第4突破砲兵軍団は152ミリ榴弾砲を中心とする800門の重砲を戦列に並べ、1個戦車旅団分のT-34中戦車61輌が援護についている。
第24装甲軍団にとって幸いだったのは、第4突破砲兵軍団が重砲を全周配置して、まんべんなく散らせたことだった。
一点に全兵力を集中できる攻撃側と違って防御側が一点に集中できる兵力は限られている。
一点に集中しすぎると迂回され背後を突かれるからだ。
おかげで総砲門数では劣っていても、突破地区において第24装甲軍団は火力面で圧倒的優位にたつことが出来た。
攻勢の矢面に立たされた地区では壊滅的な被害を受ける赤軍部隊が続出したが、ロコソフスキーは防御側の普遍的な弱点を、重砲の集中運用で補ったため、ドイツ側の損失もまた大きかった。
両軍の戦闘はまさに熾烈を極めた。
第23装甲師団は一時的に阻止線に穴をあけたが、第4突破砲兵軍団の猛反撃を食らい、一進一退の砲撃戦に発展。
両軍ともに決定打を与えられないまま日没をむかえた。
「イワンどもなかなかやるじゃねえか。即席の対戦車陣地にここまで手こずらされるとは想定外だ。明日までにドン戦線軍を押し込むぞ参謀長」
「ですが、我々だけで突破できるのでしょうか?後続のSS装甲軍団、第48装甲軍団が合流するまで待った方がいいのでは?」
「馬鹿野郎っ!ぼやぼやしていてはまたイワンどもが逃げちまうだろ。進撃停止など論外だ」
眼前の敵は1個砲兵軍団を基点とする3個狙撃師団。周囲には戦車旅団、対戦車連隊といった支援戦力がひしめいている上に、背後には戦車軍団、機械化軍団といった戦略単位の戦力が潜んでいる。
1個装甲軍団での突破は困難が予想されたが、ネーリングに引き下がる気は毛頭なかった。
第24装甲軍団の執拗な攻撃はドイツ第六軍を攻撃中のヴォロネジ戦線軍にも影響を波及させていた。
ロコソフスキーのドン戦線軍が突破されれば、ヴォロネジ戦線軍は無防備な側面を食い破られてしまう。
ヴァトゥーチンは側面の危機を無視するわけにはいかず、眼前の第六軍攻撃に集中出来なかった。
赤軍最高総司令部も第六軍への攻撃を継続するのか、攻撃を中止して安全圏まで引き下がるのかを決めかねていた。
撤退を求めるヴァトゥーチンの進言に心を動かされ、スターリンの方針は二転三転したが結局は攻撃の続行が決まり、まず側面の脅威を排除するためヴォロネジ戦線軍から大規模な反撃部隊が抽出されることになった。
第20戦車軍団に2個機械化旅団が加わった反撃戦力が第24装甲軍団の迎撃にむかうため、反撃開始地点に移動した。
1個戦車軍団分(160輌)の抽出は第六軍攻撃に支障をきたし、ヴォロネジ戦線軍の攻撃は停滞してしまう。
それだけの代償を払ったにも関わらず、第20戦車軍団の反撃は早々に潰えた。
第20戦車軍団は第23装甲師団と正面衝突したが、ドイツ軍は射程の長さと装甲の厚さを最大限利用。
アウトレンジから一方的にソビエト軍戦車を仕留めた。
第20戦車軍団もなんとか乱戦に持ち込み、至近距離からの砲撃で相当数のパンターを仕留めたが、半数近くにあたる80輌以上の戦車を撃破され後退を余儀なくされた。
しかも、軍団の敗走に巻き込まれる形でロコソフスキーの阻止線にもほころびが生じ、第24装甲軍団は大規模な突破に成功。
その後も第24装甲軍団の順調な進撃は続き攻撃開始から10日目にして、ついにドン戦線軍主力を二つに引き裂いた。
【1943年6月14日~20日 ハリコフ近郊 第四装甲軍vsヴォロネジ戦線軍】
赤軍最高総司令官代理ワシレフスキー上級大将は、最悪の戦況を立て直そうと必死に対処法を考えていた。
ヴォロネジで第四装甲軍に回復不能な損失を与えていれば、こうはならなかった。
スターリンの意向に腰がひけて強く反対出来なかった自分が呪わしい。
14日になってからSS装甲軍団、第48装甲軍団が追いついてきたことで、ドン戦線軍は複数個所で突破を許しズタズタに分断されている。
このままでは第六軍を攻撃中のヴォロネジ戦線軍は側面を叩きやぶられてしまう。
それどころか、退路を断たれてドン戦線軍もろとも全滅という事態すらあり得る。
ここで全滅しては、ヴォロネジ防衛戦も含めて全ての準備、苦労が無駄になる。
それだけは防がなければならない。
「貴官の言っていた通りになったな同志ヴァトゥーチン。残念だが『ルミャンツェフ』は中止するほかない。今より貴官に全ての裁量を委ねる。その手腕を存分に奮って撤退を成功させたまえ」
「お任せください同志ワシレフスキー。直ちに行動を開始します」
そうは言ったものの、状況はヴァトゥーチンの想定よりもはるかに悪かった。
ヴァトゥーチンの仕事はロコソフスキーと共に側面の崩れた戦線を立て直し、整然と撤退することだったが、すでにドン戦線軍は蹂躙され、形骸化した師団が各地に点在していた。
ヴァトゥーチンはまず、側面のドン戦線軍を立て直す作業から始めた。
なけなしの戦車軍団、機械化軍団を全て繰り出し、南から殺到してくる第四装甲軍を迎撃させた。
今だ1000輌以上の戦車・自走砲を有する第四装甲軍に対して、各戦車・機械化軍団の稼働戦車は150~200輌に過ぎない。
しかも、各軍団がバラバラに攻撃したせいで、圧倒的に優勢な第四装甲軍に各個撃破されるはめになり、機甲兵力は次々と崩壊。
ついにロコソフスキーの司令部までもが包囲されてしまい、ドン戦線軍司令部は指揮を放棄して退却。
これによってドン戦線軍の組織的な戦闘能力は完全に潰えた。
反撃が頓挫したことでヴァトゥーチンはドン戦線軍の将兵には各自の裁量で撤退するよう命じ、ヴォロネジ戦線軍の撤退に注力することになる。




