第三次ハリコフ会戦①
【1943年5月28日 ウクライナ ザポロジュ 南方軍集団司令部】
「第43軍団撤退を始めましたっ!」
「第六軍司令部より入電っ!『至急援軍を乞う!』とのこと」
「第5装甲擲弾兵連隊、損耗率64%!このままでは支えきれませんっ!」
「第1航空師団司令部より入電!『直ちに地上支援を開始する』」
「第25師団との通信途絶っ!」
「第136師団、損耗率78%を超えましたっ!」
第六軍が突破されるのは時間の問題だということは南方軍集団司令部幕僚の全員が理解していた。
すでに多くの師団と連絡がつかない。師団本部ごと蹂躙された師団もある。
各装甲軍団を北のモスクワ、南のミウス河に振り分けたタイミングでの、約59個師団の敵による攻撃。
軍集団司令部には悲鳴のような増援要請が矢継ぎ早に飛び込んでくる。
南方軍集団司令官ボック元帥は居並ぶ参謀たちに戦況整理を求める。
「戦況はどうなっている参謀長?」
「敵は2個戦線軍、59個師団の大兵力でハリコフ戦区を圧迫中です。ミウス河にむかわせた第四装甲軍を呼び戻すしかありませんが、最も近い位置にいる第24装甲軍団でも到着は明日以降になるかと思われます」
機動防御戦を行おうにも頼りになる装甲軍団が近場に存在しない。装甲軍団が戻ってくるまで第六軍が持つかどうか。
モスクワに転用された第3、第57、第23の各軍団に至ってはすでに中央軍集団に指揮権が移っていて、干渉不可能になっている。どうするべきか?
そこまで考えた段階で、ボックは思い出したようにヴェステンハーゲン中佐に意見を求めた。
「ヴェステンハーゲン中佐。参謀総長閣下からすでに話はきかせてもらった。貴官の意見をきこう」
「一度ハリコフを棄ててはいかがでしょうか」
「なにっ!?」
「土地で時間を買うのです。ハリコフを獲ればドニエプルへの道がひらけます。恐らく敵はドニエプルの渡河地点に殺到して、我々の退路を断とうとする大攻勢を狙うはず。その間に装甲軍団を呼び戻せばいいのです」
「あえて隙を作ることで敵の大攻勢を誘発し、装甲軍団を再配置する時間を稼ごうというわけか?」
「御意。ハリコフという重荷がなくなれば、第六軍も安全圏まで退避させられます」
「ふーむ。だが、敵は我が軍の機動防御で何度も痛い目にあっている。読まれる危険性はないのか?」
「それはそれでかまいません。敵が警戒して動かないのならば、第四装甲軍を呼び戻す時間は十分に稼げるでしょう。仮にハリコフを失うことになっても、第六軍の壊滅を避けられるのならば安いものです」
「ミウス戦線はどうする?」
「ハリコフに比べると鉄道網の整備が遅れているミウス方面は大軍の展開にむいていません。ミウス河の攻撃は恐らく陽動かと思われます。それに最悪の場合はドネツ河に戦線を下げれば、ハリコフで敵に仕掛ける時間ぐらいは稼げます」
ヴェステンハーゲン中佐の主張は妙な説得力と安心感があった。
この作戦が失敗した所で失うのはハリコフだけ。上手くいけば敵攻撃部隊の主力を撃滅出来る。
そもそも、ボックには選択肢がない。このままハリコフを死守しても装甲軍団の到着は間に合わず、第六軍は全滅するだけだからだ。
ボックはヴェステンハーゲン中佐の作戦案をそのまま了承し、麾下部隊を動かし始めた。
【1943年5月28日 ロシア ヴォロネジ戦線軍司令部】
ドイツ軍の抵抗拠点は限界まで密集させた攻撃砲兵力で徹底的に粉砕し、ヴォロネジ戦線軍は順調に進撃している。
第20戦車軍団が突入したことでハリコフ市も陥落した。
しかし、ハリコフから各方面へと延びる幹線道路、鉄道網は今だに第六軍が保持しており、ドニエプルへの進撃路は固く閉ざされている。
後退中の第六軍も秩序だって後退しており、なかなか崩れない。
「敵の後退は明らかに計画的です。一度様子をみるべきでは同志ワシレフスキー?」
「同志スターリンはドニエプルへの突進をご希望だ。そんな猶予はないぞ同志ヴァトゥーチン」
ヴァトゥーチンに言われるまでもなくワシレフスキーは不安を覚えていた。
ヴォロネジでドイツ軍が消耗しきるまで待てなかったことが悔やまれる。
スターリンの精神が耐えきれなかったせいで、赤軍は確実な勝機を逃してしまった。
「ぼやぼやしていてはミウス河に引き付けた第四装甲軍が戻ってくる。それまでに貴官はなんとしてでもドニエプルへの進撃路を切り開け」
「肉をきらせて骨を断つというべきですかな?この場合の骨がどっちなのかは私にはわかりかねますが」
ヴァトゥーチンの皮肉を聞き流しながら、ワシレフスキーは自らの考えにふけっていた。
装甲兵力をモスクワとミウスに引き付け、その隙にハリコフを突く。作戦としては悪くない。
だが、ハリコフを抜いた後の作戦がいまいち練れていない。
ドニエプルまで突進するのはいいが、その間に敵装甲軍団が戻ってきたらどうするのか?
この辺りの問題を解決するためにヴォロネジ防衛戦が必要とされたはずだ。
敵を十分に消耗させていれば悩む必要すらなかった。
中途半端に攻勢を始めたせいで赤軍は危険な二択を迫られている。
南方軍集団の撤退路を遮断して殲滅戦を成功させるのが先か、もしくは戻ってきた第四装甲軍に逆包囲されるのが先か。
一応、ヴォロネジ戦線軍の南側面はロコソフスキーのドン戦線軍が固めているが、この競争で優位なのはドイツ軍だ。
ドニエプルへの大攻勢を行おうとすると、どうしても第四装甲軍の方が到着がはやくなる。
勝負はドン戦線軍がどれだけ足止めできるかにかかっていた。
「まあ決まったことです。やれと言われればなんとかしましょう。その代わり一つお願いしたいものがあるのですが」
「言ってみたまえ」
「予備の第6突破砲兵軍団と「スターリン」機械化軍団を私に下さいませんか?」
「いいだろう。確実にファシストの先手をうてるというのなら手配しよう」
どちらの軍団もミウス河攻勢を担う南西戦線軍に配属されることになっていたが、最高総司令官代理の裁量でいくらでも変えることができる。
最高総司令官代理は前線における政治・軍事双方の頂点であり、いわばスターリンの代理人だった。
スターリンの意向に沿う限り、その裁量に制限がかかることはない。
増援を受け取ったヴァトゥーチンは猛然とドニエプルへの大進撃を開始した。




