ヴォロネジ会戦②
当初、混乱していた赤軍は落ち着きを取り戻し始めていた。
トーチカや網目状の塹壕に潜んでいたソビエト兵は収束手榴弾、火炎瓶、対戦車ライフル、76ミリ速射砲で押し寄せてくる重戦車群に立ち向かった。
キャタピラが損傷しただけで、巨大な戦車は動けなくなり、攻撃能力を失う。
ソビエト兵の反撃は戦車そのものを破壊することは少なかったが、確実にその攻撃衝力を削いでいった。
赤色空軍もドイツ軍戦闘機が給油に戻ると同時に反撃に転じた。
とくに地上攻撃機シュトルモヴィクが猛威をふるい、新型の成形炸薬で複数のドイツ軍戦車を炎上させた。
ヴォロネジ戦線軍司令官ヴァトゥーチン大将は予備兵力の対戦車連隊をふんだんに投入し、崩れかかった防衛線を巧みに修復していく。
態勢を立て直した各防御陣地はあらゆる口径の火砲とロケット砲を繰り出し、戦争中最も激しい砲火をドイツ軍に浴びせた。
第二装甲軍も負けずとありったけの重砲、ロケット砲、榴弾砲、自走砲を集中させ、重戦車群を先頭に前線を押し込む。
猛烈な火力の応酬で敵味方共に死傷者が続出。第二装甲軍は1日目の戦闘で600両の装甲戦闘車両を投じたが、夜までに半数以上が動けなくなった。
装甲擲弾兵の死傷者も甚大だった。中央部隊の先鋒第6装甲師団は7個装甲擲弾兵大隊を持っていたが、1日目の戦闘で4個大隊が壊滅。
第二装甲軍全体で8500人が死傷した。
赤軍の被害も大きく、第6親衛軍の前衛師団群3個狙撃師団が壊滅。4個戦車旅団が使いものにならなくなった。
前衛師団群の壊滅は右翼全体を深刻な脅威にさらし、ヴァトゥーチンは早くも戦略予備軍である第1戦車軍の投入を決め、迎撃ポイントへ配置につかせることにした。
【1943年5月15日~16日 北部攻撃部隊 第二装甲軍】
各軍団司令部をまわっていたシュミット上級大将は午後23時にようやく装甲軍司令部に帰ってきた。
「参謀長。報告を」
「はっ。まず右翼部隊ですが第46装甲軍団が第15狙撃師団の撃滅に成功。第二線陣地まで進出しました。
左翼部隊の第41装甲軍団は第三線陣地まで到達。第23軍団は敵右翼部隊の要であるリぺツクを包囲中です。中央部隊は第47装甲軍団が第一目標であるエレツの攻略に取り掛かっています」
「敵予備兵力の動きは?」
「大規模な機甲部隊を含む大兵力がリぺツク、エレツ方面へと移動中とのことです」
第二装甲軍は1日目の攻撃で多くの陣地を落とし、1万人近いソビエト兵を捕虜にし、300両近い戦車を撃破していた。
しかし、想定していた電撃的な突破は実現出来ていない。
計画では左翼部隊が1日目でリぺツクを落とし、東方から押し寄せる敵予備兵力を抑えて、中央部隊のエレツ攻略を支援するはずだった。
エレツはヴォロネジへと続く主街道の玄関口であり、ここを落とせば装甲部隊の進撃路が一気に開ける。
第23軍団の進出が遅れたことで、敵予備兵力の介入阻止に失敗した。
明日にはリぺツクとエレツは敵大兵力で溢れかえっていることだろう。
「予備が必要だな参謀長」
「はい。第5装甲師団、第7装甲師団を第47装甲軍団戦区に投じましょう。左翼は第23軍団に第41装甲軍団を合わせてリぺツクを徹底的に叩かせます」
まず左翼部隊がリぺツクを叩いて敵予備兵力を出来るだけ誘引。その後、第4装甲師団と第7装甲師団を加えた第47装甲軍団がエレツを突破する。
第5装甲師団、第7装甲師団はシュミットに与えられた最後の装甲師団だが、ここで使わなければ本突破の機会を失ってしまう。
2日目の攻撃はリぺツクから始められた。
第1航空師団麾下の第51戦闘航空団、第54戦闘航空団が240機の攻撃機を展開。
第41装甲軍団麾下の第2装甲師団が196両の戦車・自走砲を持ってリぺツク防衛線に殺到した。
ヴァトゥーチンはドイツ軍の重点は右翼だと判断し、リぺツクに十分な支援兵力を用意していた。
同市を守る第307狙撃師団(第6親衛軍麾下)は3個戦車旅団、5個砲兵連隊、7個対戦車連隊に直接支援され、1マイルあたり100門の57ミリ対戦車砲と450門の火砲を展開していた。
攻撃地帯は非常に狭く、第2装甲師団は今まで経験したことのないような猛火力に射すくめられた。
突撃した装甲擲弾兵は雪のように溶けていき、第2装甲師団は散々に痛めつけられて後退した。
第41装甲軍団長ヨーゼフ・ハーペ中将は後続の第4装甲師団を投入。さらに第23軍団の第78突撃師団も加わり、正午ごろにようやく前方陣地の占拠に成功。余勢をかって市内への突入を試みた。
しかし、ドイツ軍を待っていたのは対戦車砲陣地の殺戮地帯だった。
大損害を受けた左翼部隊は、結局リぺツクを抜けず、攻撃開始地点に後退するしかなかった。
一方、主攻である第47装甲軍団は増援の第5装甲師団、第7装甲師団を積極的に展開。
10キロ足らずの前線に450両もの戦車・自走砲を集結させ、ティーガ―重戦車2個大隊を先頭に「パンツァーカイル」と呼ばれる陣形で突撃した。
この陣形は重戦車をくさび型に展開した突破用の陣形で、機動性よりも攻撃衝力を重視している。
攻撃目標のエレツは各街道と鉄道の交接点であり、建物一つ一つが要塞化されていた。
第130狙撃師団(第7親衛軍麾下)が厳重に固めていたが、ヴァトゥーチンは予備兵力の大半をリぺツクに移動させたので、支援戦力は一部のロケット砲師団にとどまっていた。
ドイツ軍にとっては本突破最大の好機だった。




