青作戦⑦
ハリコフにおける敗北は赤軍にとって高くついたが、同時に多くの教訓も得られた。
赤軍参謀本部は開戦したその日から個々の戦役、作戦、戦闘を徹底的に解析し、そこから得られた教訓を「戦争体験」として全部隊に普及させる作業を進めてきた。
数多くの敗北と引き換えに会得した財産は十分な程蓄積されている。
赤軍最高総司令官代理ワシレフスキー上級大将と参謀次長(参謀総長代理)アントーノフ大将の仕事はこの貴重な「戦争体験」から最適の戦術概念を生み出し、理想的な縦深作戦が遂行可能な真の意味での統合兵科軍を作りあげることにあった。
各種兵科による統合作戦部隊の編成、機動部隊の適切な運用法、下部部隊への権限移譲と裁量の分散、突破地点の局所的優勢を作り上げる欺瞞術と機動術、攻勢箇所に攻撃兵力を集中させるための兵力節約術、各戦線軍間の綿密な協力。
機甲兵、砲兵、工兵、自動車化歩兵。
全ての兵科を統合し、単独であらゆる敵と戦える作戦部隊。機械化されたこれら統合兵科部隊が縦深作戦の矛先を担うことになる。
統合兵科部隊の編成は火星作戦前にジューコフ将軍がクリアした。
問題は統合兵科部隊をいかに運用するかだった。
戦術的突破をどのように実現するか?いつ停止するか?機動防御によるドイツ軍の反撃をいかに封じるか?
刻一刻と戦況が変わる目まぐるしい機動戦において、機動部隊の将校は一分一秒でもはやく行動し選択し、相手を出し抜かなければならない。
委任戦術を運用するドイツ軍に対して上級司令部の命令にガチガチに縛られる赤軍は意思決定速度で深刻な遅れを生じさせてしまう。
赤軍がしばしば破滅的な損害を被ったのは、正面装備などの物的問題ではなく、部隊運用面の問題が大きなウエイトを占めていた。
熱意をもって敵を撃滅せんとする者を罰してはならない。責任を恐れる余り臆病になり、勝利のためにあらゆる手段を尽くさない者こそ叱責しなければならないのだ。
危険を自ら引き受け必要な決断を現場で下せる土壌を作るため、アントーノフとワシレフスキーは漸次的な権限の分散を進めた。
前線の監視役だった政治将校からは指揮権を剥奪、参謀部や上級司令部が持っていた様々な権限を現場指揮官に移譲させることにした。
そして、縦深作戦は数的優勢が絶対条件となる。
攻勢箇所に圧倒的な兵力をドイツ軍に悟られることなく迅速に集結させるには高度な欺瞞術が求められた。
攻勢意図を見破られればドイツ軍は強力無比な機動予備を配置して、味方の攻勢部隊は逆に粉砕されてしまう。火星作戦もハリコフ=ベロゴルド攻勢も大前提として欺瞞の欠如が上がられた。
攻撃砲部隊や機械化部隊の移動を秘匿し、集中させるには軍事的欺瞞を作戦レベルでこうじなければならない。
ワシレフスキーは国防人民委員部と連携して、欺瞞に必要な専用装備を秘かに作り上げてきた。
カムフラージュ用の網、地形欺瞞用の設置物、戦車や自走砲などの大型兵器の実物模型に偽飛行場、偽塹壕、偽戦車置き場。
こうした設備は欺瞞専門の特殊任務中隊が運用するのだが、従来の赤軍では軍司令部に一つの割合でしか設置されてこなかった。そこで参謀本部はこの欺瞞中隊を大幅に拡充。
軍司令部~連隊司令部まで全ての戦闘部隊に設置し、戦術・作戦・戦略と全ての面で欺瞞の実施を可能なようにした(情報収集面の重視から偵察大隊も同様の処置がなされた)。
局地的優勢を実現する手段は欺瞞だけではない。
攻勢に大兵力を投じるには効率的な兵力節約術を用いて、非攻勢部隊から出来るだけ多くの兵力を引き抜く必要がある。
そのためにアントーノフが考案したのが野戦要塞部隊だった。野戦要塞部隊は重機関銃部隊、軽機関銃部隊、重迫撃砲部隊を主兵力とし、火制地帯を出来るだけ広くとり、通常の戦闘部隊の10倍の作戦区画をカバーする。
この野戦要塞部隊を大量に編成することで攻撃に投じられる兵力は1.5倍~2倍に上昇する。
他戦線軍との連携の欠如はハリコフ=ベロゴルド攻勢でも、もろに影響がでている。
南部戦線軍が第48装甲軍団を拘束していれば勝敗はどうなっていたかわからない。
他方面からの兵力転用を阻止するためには攻勢に参加しない戦線軍の協力も必要なのだ。
ワシレフスキーもアントーノフも大きな作戦一つで戦局が変わるとは思わなかったし、変えようとも思わなかった。
縦深作戦に適合した軍隊を作り上げること。これこそが軍の至上命題であり、勝利に最も近い道だと二人は確信していた。
それまではスターリンの面目をたたせるための限定攻勢さえ実施すればよく、リソースの浪費となる大攻勢はなるべく抑えなければならない。
ドイツ軍が終わりをむかえるのはなにか大きな会戦においてではない。
決勝理論を明確に否定している赤軍には、大会戦で勝負を決めるという発想そのものがないのだ。
赤軍が縦深作戦を遂行可能な能力を身に着けた時。それこそがファシストの最期になるだろう。




