青作戦③
【1942年10月20日 ソビエト連邦 クイビシェフ 最高総司令部】
赤軍は三つの戦線を抱えている。
一つはレニングラードを中心とする北方戦線。
北方軍集団によってレニングラードは厳重に包囲され、完全に孤立している。ヴォルホフ戦線軍とレニングラード戦線軍が手持ちの兵力で何度か反撃したが、ことごとく失敗。
独ソ両軍共に主力は別方面に投じたので膠着状態に陥っている。
中央戦線はモスクワに座する中央軍集団とウラルに座する西部戦線軍がにらみ合っている。
火星作戦では両軍の主力が激突したが、作戦後は損耗を回復するため休養と戦力の再配置に専念し、大規模な戦闘は生じていない。
一方でドイツ軍のウラル侵攻を抑止するために補充戦力の大半がこの戦線に投じられている。
南方戦線は南方軍集団と南西戦線軍がドネツ河で対峙している。モスクワ陥落後、南方軍集団の攻勢により、ソビエトはハリコフ工業地帯とドネツ工業地帯を喪失。ドイツ軍はドネツ河とアゾフ海に達してロストフを落とした。クリミア半島も本土から切り離され、いつ落ちるかわからない。
赤軍はドネツ河、ドン河、ヴォルガ河に兵力を展開。カフカスの入り口を守っているが、ロストフ陥落によりドネツ河防衛線に大きな穴が開いてしまった。
南西戦線軍は防衛線を安定させるため、ロストフ奪還を検討中である。
北、中央、南で赤軍が展開している兵力は兵員470万人、火砲4万7300門、戦車・自走砲6573両、航空機2235機。入院中の傷病兵は185万人。中央アジア軍管区の兵力は224万人。極東方面に展開中の兵力は80万人。
対する枢軸軍(ドイツ+同盟国)は兵員386万人、火砲4万2398門、戦車・自走砲6897両、航空機4822機(参謀本部情報局推計)。
アントーノフ参謀次長の状況説明をききながらワシレフスキー最高総司令官代理はじっと地図を見つめていた。ジューコフ将軍の更迭後、この二人が赤軍を戦略的に操る頭脳だった。
ワシレフスキーは二代目の最高総司令官代理に抜擢され、アントーノフが事実上の参謀総長として参謀本部を取り仕切っている。
「同志スターリンは早期の反撃を望んでおられる」
「ファシストは依然として強大です。先んじて攻勢に転じるのは得策とは思えません」
ワシレフスキーにもそれはわかっていた。
鉄道網の集積地であるモスクワを奪われたことで南北の輸送は大幅に滞っている。
モスクワ東方のキ―ロフまでいちいち迂回しなくてはならないのだ。
北と南で大規模な攻勢に転じるのは現状不可能に近い。モスクワに対する攻勢も火星作戦の失敗を考えればほぼ不可能だろう。
「同志スターリンは軍事だけでなく全ての面で責任を負っておられる。軍事戦略上の都合だけで動くことはできんのだ」
ワシレフスキーはスターリンを擁護しながらソビエトの抱える様々な問題を説明する。
重工業生産の25%、国内生産拠点の30%、資源地帯の42%がファシストの手に落ちた。各部隊の編成と動員に責任を負っていた欧露の軍管区制度も崩壊し、9000万人以上の人口がファシストの占領地に取り残されている。
9000万人分の生みだす富と資源が損なわれ、会計収入は開戦前の6割程度に落ち込んでいる。
「このままなにもしなければ、我が国の継戦能力は国際社会に疑われるだろう。西側はファシストと単独講和するやもしれん」
口には出さなかったがスターリン自身が単独講和に動く可能性もあった。講和が成立すれば戦争で能無しだった赤軍が戦後どのような憂き目にあうかは容易に想像できる。そうなる前になにかしらの戦果が必要だった。
「どうしても…とおっしゃられるのならまずロストフを奪還しましょう。ここを塞がない限り、カフカス資源地帯は常に敵の脅威に晒されます」
ワシレフスキーは思わず黙り込んだ。ロストフを奪還するには南方の兵力だけでは足りない。
ウラルの兵力を南に割かなければならない。だが、鉄道輸送の事情で一度動かせば元の配置に戻すのは難しい。
南へ動かした途端、スターリンの座すウラルにファシストが攻勢を行えばとんでもない惨事になる。
「ウラルの兵力は動かせませんか?」
ワシレフスキーの内心を見透かしたようにアントーノフはといかける。
「・・・いや。貴官の言う通りウラルの兵力を動かすしかない。私から同志スターリンにお願いしてみよう」
ジューコフと違ってワシレフスキーはスターリンにずけずけと進言するのが苦手だった。
彼の性格では最終的にスターリンに押し切られることが多いのだ。
それでも、ウラルに集結している兵力はあまりに過剰だと言わざるを得ない。最優先で補充を受けた西部戦線軍は12個軍(2個戦車軍含む)245万の兵力を擁している。対して南西戦線軍は5個軍62万の兵力しかない。
火星作戦の大惨敗で党指導部ではドイツ軍に対する恐怖心が蔓延している。過度な兵力集中は恐怖心のあらわれといっていい。
そこから兵力を引き抜くのはさぞ骨が折れるだろう。
こういう時、ジューコフがいてくれればとワシレフスキーは思わず嘆息した。




