第二次モスクワ会戦⑩
【1942年8月31日 第二装甲軍 第48装甲軍団】
号令は下したものの、実際に全軍団を南にむけることは出来なかった。
連戦に次ぐ連戦で部隊の消耗は激しい。中央軍集団司令部との協議の末、第48装甲軍団に増援の予備兵力を加えて、攻勢を実施することにした。
第48装甲軍団はグデーリアンの計画に沿うように増強された。
損耗の大きい第10装甲師団が引き抜かれ、代わりに第24装甲軍団の第3装甲師団と司令部予備の大ドイツ装甲擲弾兵師団を麾下に加えた。
軍団は合計4個装甲師団(第6、第17、第3、大ドイツ)を指揮することになる。中でも大ドイツ師団はパンター中戦車79両を擁する最強の装甲兵力(通常は22両)で、攻撃時は先鋒を務める。
さらに第216砲兵師団、司令部予備の第33軍団(3個歩兵師団)、第2航空師団が支援に加わる。
グデーリアンはこの強力な攻撃部隊で赤軍第33軍の軍団境界線を突いた。
部隊の境界線は時として二つの部隊の作戦範囲が不明確で、そのために脆弱になってしまう場合が多い。
読み通り、軍団境界線には哨戒線程度しかなく、赤軍の前線は最初の一撃で破れた。
わずか数分にして79両のパンター中戦車と、50台の三号突撃砲、2個装甲擲弾兵連隊が突破口をこじ開け、第33軍を綺麗に立ち割った。
赤軍は幅30キロ、深さ10キロにわたって崩れさり、グデーリアンはこの間隙に3個装甲師団から成る強力な機動部隊を叩きこんだ。
この一撃で勝敗は決した。第48装甲軍団は4時間余りで突破に成功し、撤退部隊の側面を守る第33軍をバラバラに引き裂いた。
その南方には無防備な側面をさらす敵主力に通じる空隙が大きく開けていた。
【1942年8月31日 南方戦区 西部戦線軍】
コーネフは北で生じた深刻な脅威の対処に追われていた。
少なくとも数日は持つと計算していた北の守りが、わずか数時間で突破されたのだ。
このままでは撤退中の主力部隊がモロに側面を突かれることになる。
動かせる機動部隊と対戦車部隊が即座に集められた。
司令部予備の独立戦車旅団2個と対戦車旅団3個が北に急行。ドイツ軍戦車の進路上に封鎖線を張った。
さらに第3戦車軍から引き抜かれた第9戦車軍団が北上を命じられた。
しかし、第48装甲軍団の先鋒大ドイツ師団の進撃速度はコーネフの予想をはるかに上回っていた。
全ての対戦車旅団の到着が完了する前に、パンター中戦車が阻止線に殺到した。
赤軍は十数か所で突破され、戦車旅団を小隊や中隊毎にバラバラに投入しなければならなかった。
対戦車部隊は至近距離からの待ち伏せ攻撃で戦車やハーフトラックを破壊したが、戦車を援護する装甲擲弾兵に次々となぎ倒された。
2時間の戦闘で防衛線は細切れに分断され、赤軍は再び突破を許すことになる。
コーネフは近郊の部隊を次々と進路上に配置した。
しかし、ドイツ軍は迂回を繰り返し、撤退路を遮断するため南下を続けた。強力な装甲部隊が決壊したダムのようになだれこみ、進路上の抵抗部隊は激流の中の小岩のように迂回され無力化されていく。
ドイツ軍の電撃的な侵攻により赤軍は大混乱に陥った。
反応する間もなくドイツ軍に襲われ、粉砕されるというのもしょっちゅうだった。
敵がどこからくるかわからない恐怖にさいなまれ、指揮系統は完全にマヒしている。
第9戦車軍団が迎撃地点に着いた時、大ドイツ師団はとうの昔に通りすぎていた。軍団があわてて追いかけた所、後続の第3装甲師団に背後を突かれ、一瞬で叩きのめされてしまった。
もうコーネフの手元には一つの予備しかない。
西方からは第三装甲軍が第3戦車軍と第29軍の防衛線を断ちつつあり、よそから兵力を引き抜くことも難しい。
最後の戦略予備である第2親衛機械化騎兵軍団をどちらにむけるかで、コーネフは悩んでいた。
西方の第三装甲軍か?それとも北方の第48装甲軍団か?
部隊を二分すれば、軍団としての役割をはたせなくなる。どちらの突破も防げないという最悪な事態にもなりかねない。
かといって優先度をつけることもできない。北から猛進撃を続ける第48装甲軍団も危険だが、装甲軍全てを投入してきている西方の脅威も侮れないのだ。
コーネフは思い悩んだ末に、北の脅威を優先することにした。連戦が続く第48装甲軍団の方が迎撃しやすいと判断したのだ。
直ちに第2親衛機械化騎兵軍団に出動の命令が下った。
精鋭の証拠である「親衛」の称号を持つだけあって、同軍団の戦力は極めて強力だった。
ロシア内戦期に活躍した第1騎兵軍の主力を担った名残で、騎兵軍団の名を冠してはいるが、実質的な戦力は通常の戦車軍団・機械化軍団をはるかに凌ぐ。
5個戦車旅団、3個重戦車大隊を持ち、300両のT-34中戦車と60両のKV-1重戦車を保有。
歩兵部隊も砲兵部隊も高度に機械化されており、適切な場面で投入すれば、状況を立て直すことも難しくない。
また、戦車の数では大ドイツ師団を3対1で上回っていた。
軍団が装甲偵察大隊を出すと、3キロ先の街道に大ドイツ師団の戦車群がひしめていることが判明した。
軍団長のパンクラチェンコ大将は一度西へ迂回することで、側面を襲おうと試みた。
南へと猛進撃を続ける大ドイツ師団はこの動きに全く気付いていなかった。
皮肉にもヴャジマへと殺到した赤軍機甲部隊と同じ立場に立たされたのだ。




