ザイドリッツ作戦⑤
【1942年6月25日 モスクワ 中央軍集団司令部】
「南方戦区は敵砲兵を早期に殲滅したことにより、我が軍の優位に推移。敵第二梯団の一部に突破を許すも装甲師団と砲兵師団の集中攻撃で殲滅に成功」
「北方戦区では第二装甲軍麾下の装甲師団が前面に展開。防衛線が一時安定したことにより、敵第一梯団の撃退に成功するも、敵第二梯団の攻撃を支えきれず、敵の一部が突破口を形成。その結果、赤軍主力機甲部隊が後方に雪崩れ込み、後方地域へと殺到」
「最終的に北方戦区を突破した赤軍機甲部隊が我が軍の後方を遮断。中央軍集団は包囲殲滅を避けるため、モスクワを放棄するも、大損害を受けてスモレンスクまで後退。結果としてモスクワ防衛線は陥落。以上で図上演習の結果報告を終わる」
無念そうな中央軍集団作戦参謀の報告が終わると、入れ替わる形で俺が壇上に上がり説明を続けた。
「演習結果は以上です。これで、北方戦区において『敵第一梯団の殲滅』と『敵第二梯団の殲滅・撃退』を両立するのは困難になったと言わざるをえません」
陸軍参謀本部の派遣将校団は勝ち誇った顔で頷き、中央軍集団参謀部の将校団は壇上の俺を睨みつけてくる。
戦略予備の第二装甲軍を前線に参加させて、第一梯団も第二梯団も撃破する中央軍集団案。
第一梯団の撃破は諦め、従来通り第二装甲軍を後方に温存、第二梯団の撃破に全力を挙げる陸軍総司令部案。
陸軍参謀本部派遣将校団と中央軍集団参謀部将校団は北方戦区の防衛案をめぐって毎日のように論争を繰り広げている。論争の決着をつけるために実施された図上演習は陸軍参謀本部に軍配が上がった。
「失敗の要因は戦略予備として温存すべき第二装甲軍を前線に投入し、早期に消耗させたことでしょう。やはり、本命の第二梯団を撃破するには、装甲師団を戦略予備として後方に温存しておくしかありません」
「・・・一個装甲軍を温存しておくような余裕は我々にはない!」
演習の結果に納得出来なかったのか、中央軍集団参謀の一人が叫ぶ。
「装甲軍を第一梯団の迎撃に回せば、第二梯団迎撃の際に戦力が不足すると、ただ今の演習でご理解いただけたはずですが…」
「第九軍だけでは敵第一梯団の攻撃は防ぎきれん!第一梯団を撃破しなければ、第二梯団の迎撃など問題外だと言っておるのだ!」
「それも演習で結果がでたはずですが?第一梯団はほうっておいても止まります。第二梯団さえ撃破すれば、赤軍の攻撃を阻止できるのです」
陸軍参謀本部案の演習は成功に終わっている。中央軍集団は赤軍に相当数のダメージを与えて、モスクワを守り抜いた。ただし、北方戦区で第一梯団の矢面にたたされた第九軍は3個師団が全滅、2個師団が80%の戦闘力を撃破され、壊滅状態になっている。
「第九軍が壊滅してるではないか!」
「参謀部案だと中央軍集団自体が壊滅してますが」
不毛な論争の再発を見かねたのか、演習のゲームマスター役を務めたトレスコウ少将が怒号を飛ばす。
「演習の結果はすでにでているのだ!見苦しい論争はやめたまえ!」
トレスコウの一喝で場は静まりかえる。場が落ち着いたのを見計らいトレスコウは話を続ける。
「演習の結果、防衛案として有効なのは陸軍参謀本部案だと証明された。今後はこの結果を最大限尊重して防衛案を調整していくことになる。異議がある者は今ここで発言したまえ」
中央軍集団参謀部の将校団は苦虫を潰したような顔だったが、発言するものは一人もいなかった。トレスコウ少将は中央軍集団参謀長、つまり参謀部の筆頭というべき人物だが、演習では自論を抑えて裁定役に徹してくれている。
「よし。今後は第九軍の損失をいかに減らすかを図上演習のテーマとする。早速作業にかかりたまえ」
新しいテーマが決まると各将校団は一斉に動きだす。
ともかく開戦までの時間がない。
人員も資材も時間も有限である以上、限られた範囲で最大限の結果をだすしかなかった。
【1942年6月27日 グレートブリテン連合王国 ロンドン 外務省】
「本気ですかなイーデン卿?」
合衆国大使からの厳しい目線に対して、イーデンは表情一つ変えずに淡々と政府の決定を告げる。
「現状の上陸支援体制、戦力では欧州大反攻の成功はおぼつかないと我々は判断しました」
合衆国と連合王国の戦争プランはロシア人に血を流させるという点で一致している。
スターリンを連合国に留まらせるため、両国は1943年7月に欧州大反攻を予定していたが、イーデンから提案されたのは大反攻作戦の無期限延期だった。
「貴国は本大戦におけるロシアの重要性を理解してないようにみえますな」
ソ連の苦戦を知った合衆国政府は軍を派兵した上での重点的なテコ入れを考えていた。スターリンがファシストと妥協した時点で連合国は戦争の勝利を失う。第二戦線の形成は一刻もはやく実施しなければならない。ここへきての英国の変心に合衆国大使は動揺を隠せなかった。
「我が国とてロシアの価値については十分存じておりますよ大使閣下。ですが、ディエップの惨劇は我々に多くの教訓をもたらしました。現在の脆弱な支援体制で挑めば、ディエップ以上の惨劇がおこるのではないか?と我が国は憂慮しているのです」
思わぬ戦略的効果をあげたディエップ強襲は戦術的には大失敗に終わった。ドイツ側の守備兵はわずか150人たらずだったにも関わらず、上陸部隊は機関銃と砲爆撃で一方的に殺戮され、午後までに全ての戦闘が終結。
1000人が戦死、4300人が捕虜となり、生還した兵士もそのほとんどが重傷を負っていたという。揚陸艦55隻、駆逐艦4隻が沈み、護衛のスピットファイアも119機が撃墜されている。
ただでさえ英陸軍はダンケルクで大損害を被っている。ニュージーランド、オーストラリア、カナダ、インドなどドミニオンや植民地の師団でその損害を補填してきたが、日本の参戦によりニュージーランドとオーストラリアは欧州派遣兵力を自国に呼び戻してしまった。インド師団もアジア方面に再配置せざるを得なくなり、残った数少ない兵力もロンメル将軍の装甲師団に対応するためエジプトに張り付けてある。
こうした英政府の窮状をよく知る合衆国大使は英側の事情が手を取るようにわかった。
ディエップの惨敗はカナダとの関係だけでなく、他のドミニオン諸国との関係も致命的に悪化させてしまった。連合王国は自分達を使い捨てにするつもりではないか?と。確固たる勝算を英側が提示できない限り、今後ドミニオン諸国が欧州派兵に応じることはないだろう。
今の英政府を責めた所で望ましい回答は得られそうにない。
合衆国大使はため息をつくとあらためてイーデンに問い直した。
「・・・貴国のいう延期とはなにを指すのか具体的な説明を願いたい」
「我が国の統合作戦本部は連合軍が欧州大反攻を実施するには三つの問題を解決する必要があると結論をだしました。大西洋からUボートを放逐して制海権を確保すること。欧州上空の制空権を確保すること。十分な上陸支援体制を構築すること。中でも我々が最重視すべきなのは大西洋の問題です。一度、冷静に考えてみてください大使閣下。貴国から海上輸送される戦略物資は、どこの航路を通過するのかを」
痛い所を突かれた。
大西洋航路で暴れ回るUボートの存在は合衆国にとっても頭の痛い問題だ。すでに合衆国の輸送船団にも大きな被害がでている。
Uボートを撲滅し、大西洋の安全を確保しなければ、反攻の拠点となるブリテン島に物資を運ぶことも合衆国の将兵を運ぶことも出来ない。
なにより、ブリテン島に集結した連合軍部隊は合衆国から海上輸送される、燃料、部品、弾薬がなければ稼働しないのだ。
英側の主張通り、Uボートという物理的現実をどうにかしなければ、欧州大反攻など問題外だ。
動揺する合衆国大使を畳みかけるようにイーデンはさらなる現実を突きつける。
「そう。大西洋問題を解決しなければ、欧州大反攻など机上の空論に過ぎません。そして、ディエップ強襲の失敗は要塞化した海岸部への強襲上陸が軍事的にほぼ不可能であることを証明しました。不可能を可能にするには、陸海空三軍の完璧な連携と重厚かつ精密な支援体制の構築が不可欠となります。軍種間を統合した指揮機構の確立、強襲上陸用の専門装備品の開発、複雑化した兵站システムの整理、航空支援システムの拡充、陸海空三軍合同火力統制システムの開発。どれも今の我々が持ちえないものです」
欧州大反攻という複雑かつ大規模な軍種間作戦を成功させるには、稼働部品が足りなさすぎる。
全ての部品を揃えて調和的統制を取れるようになるまで作戦を延期すべき。
ぐうの音もでないイーデンの正論に合衆国大使は反論する言葉が見つからなかった。
欧州大反攻を喧伝する割に合衆国には作戦を可能にする具体案がなく、圧倒的な物量を叩きつけさえすれば上陸作戦など容易だと軽く考えられていた。
この体たらくでは、綿密な計画を考えていた英側に太刀打ちできるはずもなく、合衆国大使は英側の提案を追認するしかなかった。
こうして欧州大反攻、後の世にノルマンディー上陸作戦として知られる大作戦の無期限延期が決まった。




