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モスクワ会戦④

ついに攻撃命令がでた。

クリン地区及びトゥーラ地区から二個装甲軍が密集した装甲戦力を叩きつけ、モスクワ地区の赤軍大兵力を包囲し、集中攻撃を持ってこれを撃滅する。北のクリン地区は第二装甲軍(三個装甲軍団、戦車700両、自走砲400両)が担当し、南のトゥーラ地区は第三装甲軍(二個装甲軍団、戦車400両、自走砲200両)が受け持つ。


作戦計画が決まると前線部隊は、砲撃計画と共同作戦計画を検討し、迅速に攻撃準備を進めていった。

赤軍の防御陣地は隅から隅まで調べあげられ、砲兵は空軍と共同で敵砲兵を計画的に制圧する準備を整え、各戦車連隊は機動に必要な空間を速やかに確保する手段を考えた。各工兵中隊は詳細な地雷原の位置を探りあて、各通信中隊は敵の無線情報を少しでも多く傍受すべく懸命に働いた。


そして、とうとう作戦開始日が訪れた。

各装甲擲弾兵連隊は小銃を握って飛び出す瞬間に備え、数百両の戦車群が突進の指令を待っている。

麾下の砲兵部隊は観測所を設置して、照準をすませ、各種砲弾の装填を完了させている。後方の航空基地には638機の支援航空部隊が待機している。軍から師団、連隊、大隊に至るまで全ての将校・兵士が、最後の休息を楽しんでいた。


作戦開始時刻と同時にモスクワに凄まじい砲声が満ちた。

各種口径の火砲が一斉に火を噴き、赤軍の防御陣地、連絡路、集合地点、物資集積所に砲弾の雨を浴びせた。

地獄のような砲火の中で赤軍砲兵も一斉に反撃の火蓋を切った。

戦争が始まって以来、最大規模の砲火が戦場に荒れ狂った。


【1941年7月21日 ソビエト社会主義共和国連邦 ロシア社会主義共和国 ルジェフ 第二装甲軍司令部】


普通、戦車は敵陣地にいきなり突入することはない。味方の歩兵が敵陣地を占拠し、敵の歩兵や砲兵を追い出し、進撃路を確保してから初めて突入する。

だが、今回俺は全戦車の総力を第一撃に投入することにした。圧倒的な密度で装甲戦力を叩きつけ、赤軍の抵抗線を速やかに粉砕する。


なぜこのような無茶をするかというと理由は二つある。

一つは歩兵軍を欠き装甲軍だけでモスクワ攻撃をはじめた影響で、歩兵戦力が圧倒的に足りないことがあげられる。装甲擲弾兵だけでは消耗が大きすぎて、戦車の前衛は任せられない。


二つ目の理由は今作戦の根幹に関わることだ。ジューコフは恐らく南に罠を張っている。ドイツ軍の重点はトゥーラ方面だと予測し、抵抗線の主力は南に置くはずだ。そこで、裏の裏をかき北のクリン地区に攻撃の重点を置くことにした。

赤軍がこちらの意図に気付き予備兵力を移動させる前に決着をつけるには、戦車を一気にぶつけて全力で駆け抜けるしかない。


無論、リスクは大きい。本来、攻勢にむいているのは南のトゥーラ地区なのだ。俺の読みが杞憂だった場合、赤軍の主力は防戦にむいた北のクリン地区に置かれる。そこへ突っ込めば第二装甲軍の全力は第一撃で溶けてしまい、しかも、トゥーラ地区での重点形成を逃してしまう。

決めるまでは失敗した時の恐れで頭がいっぱいだったが、一度決めてしまうと深く思い悩むことはなかった。



第二装甲軍の攻撃はまず支援砲撃部隊と支援航空部隊の猛烈な砲爆撃から始まった。

入念な航空偵察と通信部隊の解析結果によって砲撃陣地や入り組んだ火点の詳細は作戦前に全て把握してある。

シュツーカの大編隊がうなりをあげて降下していき、ピンポイントで対人クラスター弾をお見舞いし、ロケット砲大隊と重砲大隊が正確な砲撃で、各抵抗火点を沈黙させていく。

この圧倒的火力を前に赤軍対戦車陣地は大半が戦闘不能となり、陣地内は火の海に包まれた。それでも、砲火の中を生き残った赤軍の抵抗火点は迅速に立ち直り、砲口を真っ赤に染めながら射ちまくってくる。

そこへ、新型戦車パンターを先頭とする各戦車が防御砲火の中を一斉に突撃していく。圧倒的な密度で突進してくる戦車の奔流により、第一線陣地を守っていた赤軍二個狙撃師団は文字通り踏みつぶされた。



攻撃開始から5時間でクリン地区の第一線陣地はへし折られた。グデーリアンは各装甲師団にモスクワ=ヴォルガ運河の橋梁を目標に設定することを伝達した。「委任戦術」を重視するドイツ軍では上から細かい指示が下ることはない。大きな目標だけが示され、そこに行くまでの作戦や指揮は全て現場指揮官の裁量にゆだねられる。

この柔軟性の高い指揮システムこそがドイツ軍最大の遺産で強みでもあった。


目標を与えられた各装甲師団は自在に暴れ回り、赤軍の主抵抗線をズタズタにしていく。ともかく、全装甲戦力を挙げた第一撃は成功した。


【1941年7月21日 ソビエト社会主義共和国連邦 ロシア社会主義共和国 クロフスコエ モスクワ防衛軍司令部】


完全に不意をうたれた。

時間、場所、戦力投入と全ての面で奇襲を許してしまった。

ドイツ軍は攻勢が容易なトゥーラ方面ではなく、陣地群が密集し、運河を盾とできるクリン方面に重点を置いてきた。クリン地区の主抵抗線は敵主力の猛攻を受け、深く広く食い破られつつある。すでに防衛線はめちゃくちゃで、各抵抗火点は各地に散在してしまった。

クリンへと続く幹線道路もドイツ軍の手に落ち、連立する陣地群は次々と抜かれている。

トゥーラ方面に火砲と戦車の主力を置き、意気揚々と待ち伏せていたモスクワ防衛軍司令部は恐慌状態におちいっていた。


司令部は機動予備の第二七機械化軍団を急ぎ差し向けたが、わずか3時間で連絡が途絶した。敵はパンターという新型戦車を投入していて、T₋34では太刀打ちできないことがわかった。76ミリ砲ではパンターの前面装甲を破れず、逆に敵の主砲はT₋34を一撃で粉砕した。


「なんとしても敵の進撃を食い止めろ!ありったけの機動予備をクリンに差し向けるのだ!」


「死守だ!全部隊死守しろ!」


幕僚たちの怒号が響く中、ジューコフは脳みそをフル稼働させて、対処法を考えていた。

突破された箇所に増援を派遣し修復、孤立した部隊を後退させて、防衛線を縫い直す。

彼の頭の中には敵味方の位置と全ての地形が入っている。どこを失えば防衛線の崩壊に直結するのかもわかっている。


「同志ジューコフ!このままではクリンは持ちこたえられません!トゥーラに置いた戦車と砲兵を急ぎ呼び戻しましょう!」


「馬鹿者っ!そんなことをすれば第三装甲軍がトゥーラから殺到してくるではないか。南は要塞線も運河もないのだぞ?」


奇襲によって正常な指揮能力を麻痺させるのはドイツ軍の十八番だ。こちらが焦ってうかつな判断をすることも計算のうちなのだろう。クリンで衝撃を与えておきながら、トゥーラ方面でも虎視眈々とモスクワを伺っている。トゥーラからクリンに主力を動かせば、すぐにでも第三装甲軍が殺到してくる。実に狡猾だ。


味方の防衛線が次々と抜かれているのも、奇襲による混乱効果が大きい。

ドイツ軍は装甲軍だけで突っ込んできている。冷静になれば撃退できない戦力ではない。

まずは混乱を鎮めるのが先決だ。


「全支援航空隊をクリン地区にむけろ。一時的でもいい。敵の航空支援を止めろ。その間に防衛線を立て直す」


「しかし、航空隊がクリンにむけばトゥーラ方面が危機に陥るのでは?」


「問題ない。火砲と戦車の主力を動かしさせしなければ、トゥーラ防衛線は維持できる。それに、敵は支援航空戦力のほぼ全てをクリンにむけているのだ。こちらが航空隊を動かしても問題はなかろう」


航空戦力を抑えればドイツ軍の突撃衝力は半減する。その間に防衛線を復活させ、防御砲火の中に戦車を捕えれば、突入してきた各装甲師団を止められる。

幸い戦闘を避けて後退してきたおかげで予備兵力は豊富だ。少々、穴をあけられてもすぐに防衛線が崩壊することはない。ドイツ軍が全ての攻撃能力を出し尽くすまで耐え抜く。


鉄の神経を持つ男ジューコフの本領が発揮されようとしていた。

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