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モスクワ会戦③

【1941年7月13日 ソビエト社会主義共和国連邦 ロシア社会主義共和国 カシーラ モスクワ防衛軍司令部】


ボロジノも瞬く間に抜かれた。

新兵器である多連装ロケット砲「カチューシャ」大隊、T34大隊、対戦車連隊をつぎ込んだが、効果はなかった。十日は持つとジューコフは考えていたが、一日も持たなかった。増援を送ったにも関わらず守備隊はあまりに呆気なく蹴散らされてしまった。

ドイツ軍はモジャイスク防衛線の中央に楔を打ち込み、北のカリ―ニンや南のカルーガでも圧迫を強めてきている。

第二防衛線が抜かれるのも時間の問題だ。ボロジノが陥落した日、モスクワ指導部は政府機能を東方のクイビシェフに移転させることを決定した。モスクワ陥落が現実味を帯びたことで、スターリンも覚悟したのだろう。

ただ、一つありがたかったのはモスクワからなにもいってこないことだ。モスクワの正面まで押し込まれた状況でもうるさく騒ぎたてることもせず、現場に一任してくれている。


この段階になるとやれることは二つしかない。一つは全力を挙げてボロジノを奪還し、モジャイスク防衛線を立て直すこと。もう一つは全兵力をモスクワ最終防衛線に下げて、最後の決戦を挑むこと。

後者の場合だとあとがない。負ければ全てを失う。


将軍達は全力で反撃する機会を失ったのでは?と戦況を絶望視するものもいたが、ジューコフはもっとドイツ軍をひきこむべきだと考えていた。機動の余地がなくなるほど縦深を狭めた時。その時こそ総力で反撃に転じる。

ただし、モスクワ最終防衛線で決戦する場合は大きな問題が一つあった。モスクワ最終防衛線は北は運河を防衛線とし、西方は三重の陣地帯で覆われているが、南への広がりに欠ける。

そのため、南西方向のトゥーラやカシーラからまわりこまれた場合、モスクワは全くの無防備なのだ。

モジャイスク防衛線を捨てれば、南方面でドイツ軍の障害となる要塞線は存在しなくなる。ジューコフの反対者達(ほぼ全員がそうなのだが)はこの弱点を知るが故にモジャイスク防衛線での決戦を訴えている。


かといって、反撃にはまだはやかった。ドイツ軍は依然として隙がなく、消耗している様子もない。

中途半端な反撃をしてもスモレンスクやミンスクの時のように返り討ちにあうだけだ。

仕掛けるには早いが手をこまねいていては戦況はますます不利になる。一見、頭を抱えたくなるような矛盾だが、ジューコフは不思議と落ち着いていた。


モジャイスク防衛線を抜けばドイツ軍装甲師団は水を得た魚のように無防備な南西方向から殺到してくるだろう。しかし、考えようによっては大きな隙が出来るという事でもある。


「ワシレフスキー中将。今のうちにいっておくが私はモジャイスク防衛線にこだわるつもりはない。各守備隊には危なくなったら退くように伝えろ」


「ついにご決意なされましたか」


「ああ。貴官には感謝している。貴官の働きのおかげで私は作戦の考案に専念できた」


ワシレフスキーは数少ないジューコフの理解者だ。彼の高度な事務処理能力がなければ、これだけ短期間に大規模な防衛体制を組織することはかなわなかった。

彼が雑多な事務を代行してくれたことで、脳内にはドイツ軍装甲部隊を撃滅する具体的な作戦計画ができつつある。あとは細かい調整と推敲だけだ。


決戦の日は近いように思われた。



【1941年7月15日 ソビエト社会主義共和国連邦 ロシア社会主義共和国 ヴャジマ 第二装甲軍司令部】


ボロジノを落として三日間様子を見たが、赤軍に変化はなかった。

モジャイスク防衛線でこちらを止める考えははじめからなかったのだろう。こちらが増援を蹴散らすと、さっさと後退していった。第三装甲軍が攻撃を担当した南のカルーガでも、赤軍はとくに抵抗することなく後退した。


「これでジューコフの狙いがはっきりしたな。どうやら、決戦場はモスクワ最終防衛線と決めたようだ」


そばにいたアリスにグデーリアンがいった。


「はい。ですが我々にとっては好都合です。モジャイスク防衛線を抜けば装甲師団は防衛線の背後に回り込み、無防備なモスクワの背後を直撃できます」


モスクワ最終防衛線は南が薄く、迂回されるとひとたまりもない。モジャイスク防衛線を抜いた時点で装甲師団は得意の機動戦でモスクワまで一気に駆け抜けられる。

にも関わらず赤軍の動きに目立った変化はない。防衛線の弱点は赤軍もよく知っているはずなのにだ。

有利な迎撃地点であるモジャイスク防衛線をあっさり捨て、こちらが有利なはずのモスクワ最終防衛線に引き下がった。その動きがなにを意味するのかはわからないが、不気味という他ない。

このまま進めばなにかまずい気がする。

作戦会議が終わり、司令部をでるとアリスが声をかけてきた。


「なにを考えこんでるのハインツ?」


俺の表情が深刻な危惧を宿していたことに彼女は気付いたようだ。


「悩んでるのは作戦のこと?」


「ああそうだ。敵は明らかに誘いをかけている。俺たちを懐まで引き込んで決着をつける気だ」


「それは私もおじさまもわかっているわ。でも敵が決戦を望んでいるのなら私達にとっても好都合なはずよ」


「それは違う」


たんに決戦するつもりなら自軍に有利なモジャイスク防衛線を捨てるはずがない。わざわざ、モスクワ最終防衛線を決戦場に選んだのは、国防軍を殲滅する大規模な策があるからだ。備えなしに突っ込めば恐ろしいことになる。スモレンスク戦の時も赤軍は装甲部隊に許容値以上の損失を与えることで、勝利をもぎとろうとしてきた。


そう告げると、アリスは本気で表情を改めた。


「すると、今回の敵は一撃必殺の罠を仕掛けてると?」


「そうだ」


「他ならぬあなたのいう事なら私が疑う余地はないわ。でもどうしておじさまに言わなかったの?」


「確証がない。今言ったことは全て憶測の域をでていない。作戦計画として司令部に採用されるには根拠が薄すぎる」


アリスにもグデーリアンにも伝えていないが作戦は一つだけ考えてある。

ただ、俺自身も確信を持てていない。赤軍の動きは史実と明らかに異なる。歴史を変えた影響で転生者としての強みが失われたのは皮肉という他ないが、今まで俺を助けてきた神通力は今回通用しない。

杞憂なのではないか?という不安にしばしば襲われる。もしそうなら俺が余計な献策をしたせいで赤軍に立ち直る機会を与えてしまうかもしれない。

覚悟を決めたつもりでいたが、負けたら全ておしまいという重圧が恐怖をかきたてる。


「ともかくこのことは頭の片隅にでもいれておいてくれ」


考える時間はまだある。アリスが去った後も俺は地図に見入っていた。考えて考え抜かなければ、わきでてくる不安や恐怖に耐えられない。

ソ連最高の名将と対峙しているのだ。経験も実績もない俺が苦しむのは当然と言える。

むしろ、苦しんで苦しみ抜いた時こそ答えがでてくるような気がしていた。


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