モスクワ会戦⑤
【1941年7月27日 ソビエト社会主義共和国連邦 ロシア社会主義共和国 第二装甲軍 第四装甲師団司令部】
カリ―ニンからクリンを抜けてモスクワへと続く街道をめぐり、独ソ両軍の死闘は続いている。
進撃は順調で、攻勢開始から五日目でカリ―ニン=クリン街道を制圧した。
クリン地区を守る第十六軍を壊滅させ、救援に駆けつけてきた戦略予備軍の第一打撃軍にも大損害を与えた。第十六軍が危機に陥ると、赤軍は第一打撃軍麾下の三個戦車師団を救援に差し向けてきた。新たな脅威に対して先行していた第二装甲師団と第四装甲師団が共同で迎撃、突撃砲中隊を有利な地点に埋伏させ、巧妙に仕掛けた罠に誘いこんだ。赤軍機械化戦力は何度も波状攻撃を繰り返したが、ことごとく失敗。八度目の突撃で完全に壊滅状態となり、200両以上の残骸戦車を放棄して逃走した。
両師団の装甲擲弾兵連隊は後退する第一打撃軍を砲撃で捕え、この砲撃で第一打撃軍司令官レウリシャン中将を戦死させた。司令部機能も機甲戦力も失った第一打撃軍は名前だけの存在となり、クリンへの扉は開かれた。
先行する第四装甲師団はクリンから40キロの地点に到達している。
目の前の陣地を抜けば、戦車を遮る障害はなにもない。
師団長ハインリヒ・エーベルバッハ大将以下、全ての幕僚が司令部テントに集まった。航空偵察の結果を作戦参謀が地図に書き込み、敵陣地と敵戦力の詳細が示される。全員が地図に注目すると、作戦参謀が説明を始めた。
「現在、我が第四装甲師団が保有する戦力は以下の通りです。パンター中戦車三個中隊56両、四号中戦車五個中隊82両。いずれも、万全の稼働状態にあります。加えて二個装甲擲弾兵連隊8000名に、三個三号自走砲中隊、八個砲兵大隊。これだけの戦力があれば眼前の敵を撃滅するのも難しくありません」
作戦参謀の言葉は決しておごりでも油断でもなかった。パンターは装甲力、火力、機動力、全ての面でT-34中戦車を上回る。四号戦車も長砲身の改良型で、Tー34への十分な対抗手段を持つ。なにより戦車兵としての技量が天と地ほど違う。
数に劣る赤軍機甲部隊など敵ではなかった。
「対する敵戦力は、T―34中戦車三個中隊62両、各種支援砲兵部隊が一個大隊ずつに二個狙撃連隊と全ての戦力を合わせても我々には及びません。ですが、航空偵察によると新たな作戦予備部隊がクリン方面に急行してるとのこと。これは新規編制のT-34約200両とKV-1約50両からなる作戦機動集団であり、早ければ二日後には防衛線に到着すると思われます」
エーベルバッハは唇をかみしめた。敵の増援軍が合流すれば戦力比は逆転し、師団は一転して劣勢に立たされるであろう。
「第二装甲師団はいつ合流する?」
「はやくても五日はかかるとのことです」
第一打撃軍との戦いで矢面に立たされた第二装甲師団は被害も大きく、戦力の再編に手間取っていた。
敵の増援を考えると第二装甲師団との合流を待つか、増援を到着する前に決着をつけるしかない。
だが、消耗した第二装甲師団と合流したところで作戦予備を加えた敵を上回るわけでもない。ならば、こちらから先に仕掛ける方が得策だ。
「各個撃破の好機を逃すわけにはいくまい。戦力が優位なうちに眼前の敵戦力を撃破する。その後、万全の状態で敵の作戦予備軍を迎えうち、第二装甲師団との合流を待つ」
エーベルバッハが命令を下すと、作戦参謀と全指揮官が敬礼し同意を示した。
【1941年7月28日 ソビエト社会主義共和国連邦 ロシア社会主義共和国 クリン モスクワ防衛軍 第二十軍司令部】
凄まじい圧力の戦車だった。
あらゆる防御放火をものともせずに突っ込んでくる。一見、蛮勇に見えるが一度陣地を突破すると、抗しきれないほどの圧力をかけてくるのだ。その進退は変幻自在で味方の機動防御はほとんど上手くいっていない。やはり正面から機動戦をに挑むには、技量差がありすぎる。
第二十軍司令官コンスタンチン・ロコソフスキー大将の手元には100両の戦車もなかった。
軍といっても予備部隊や壊滅してバラバラになった軍の大隊や中隊を集めて作った寄せ集めにすぎない。火砲の不足も深刻で、現状第二十軍は全ての面で敵の師団にすら劣っていた。
「増援が到着するまで我が軍の兵力は敵の第四装甲師団に遠く及びません。陣地を死守しても、戦力差がありすぎます」
参謀の一人が苦しい現状を告げる。
もともとクリン地区は第十六軍が防衛し、第一打撃軍が反撃用の戦略予備軍だった。それが、第十六軍の余りにはやい崩壊により、反撃に使う予定だった兵力が次々とクリン防衛に投入され、大損害を受けた。
基幹戦力を引き抜かれた第一打撃軍は分断撃破されて壊滅の憂き目にある。もはや反撃して敵を撃滅するどころか、クリンすら守り切れないような戦況だった。
幸い赤色空軍が全力投入されてことで、敵の航空攻撃は抑えられているが、味方の航空機にも大規模な地上支援を行う余裕はない。
「ここは撤退するしかないのでは?」
「撤退してどうする?陣地を捨てたところで敵が止まるわけでもない。敵装甲部隊は撤退する我が軍の背後を突き、悠遊とクリンへ殺到するだろう」
ロコソフスキーの言葉に幕僚達は途方にくれたように沈黙する。撤退するということはクリンを放棄することに等しい。クリンが抜かれれば敵の装甲部隊はモスクワの背後に回りこみ、モスクワ防衛軍そのものが壊滅するだろう。
そこへ、政治委員のジューコフ大佐が遅れてテントに入ってきた。
「ご安心ください皆さま。眼前のファシストは一人残らず殲滅できるでしょう」
司令部に緊張が走る。彼はソビエトの権威ある政治委員であり、モスクワ防衛軍総司令官ジューコフ上級大将の甥でもある。いわば、この軍の目付け役であり、彼にはいざとなればロコソフスキーを処分する権限さえ与えられている。
「どういうことか説明したまえ?同志大佐。」
「敵は恐らく増援の到着前に決着をつけようとするはず。その時こそ敵装甲部隊を撃滅するチャンスなのです」
モスクワ防衛軍司令部から持ってきた作戦を自信満々に語るジューコフ大佐だが、司令部の面々には不安しかなかった。どんな無謀な作戦をやらされるか気が気でなかったのだ。なにしろ目の前の大佐もジューコフ総司令官も味方を平然と捨て石にした前科がある。自分たちも捨て石にされるのでは?という恐怖心を司令部幕僚達は拭い去れなかった。
そんな、幕僚達をものともせず、ジューコフ大佐は作戦の詳細を語りはじめた。




