ミンスク・ケッセル②
【1941年5月27日 ソビエト社会主義共和国連邦 白ロシア社会主義共和国 ボリソフ 第二装甲軍 第十八装甲師団司令部】
第二装甲軍と第三装甲軍が合流し、ミンスク包囲戦は成功に終わった。
ただ、包囲が完成したとはいえ赤軍は依然として頑強に抵抗し、包囲の維持に装甲軍主力は拘束されてしまっている。
前進スピードが低下することを懸念なさったおじさまは第十八装甲師団にベレジナ河西岸に位置するボリソフの確保と守備をご命じになった。ベレジナ河を赤軍が先に抑え防衛線として利用された場合、厄介なことになるからだ。
第十八装甲師団の任務は本隊が西部戦線軍の殲滅を完了させるまで、ボリソフ橋頭保を維持すること。
当然、赤軍の激しい攻撃が予想される。赤軍にしてみれば橋頭保を潰しさえすれば、ベレジナ河で長期間国防軍の進撃を食い止められる。
予想通りオルシャ方面に数百両以上の戦車の集結が確認されたのは一時間前のこと。
その中には冬戦争でその存在が明らかになったKV1重戦車、T34中戦車も100両ほど含まれているという。
この巨大な戦力を一個装甲師団で阻止しなければならない。
「さてどうするよ嬢ちゃん?敵は最低でも400両は超える。対する我が師団はたったの157両。私としては降伏か撤退を提案したいのだが」
アリスを嬢ちゃん呼ばわりするのはこの世で一人しかいない。
ヴァルター・ネーリング大将。おじさまが装甲部隊を立ち上げたころからの腹心で、最も信頼する装甲司令官の一人でもある。やや軽薄で悪戯好きな一面とは裏腹に装甲司令官としての技量は群を抜いている。
「冗談はよしてください閣下。もちろん私達だけで叩き潰します」
ネーリングは我が意を得たりというように頷く。
「スモレンスクからボリソフに至るまでの街道近辺には埋伏に適した小麦畑や果樹園、森林が複数あります。伏撃で敵を叩くには絶好の環境といえるでしょう」
アリスは地図上に対戦車砲部隊、高射砲部隊、戦車部隊をチェスの駒のように配置していく。
火砲部隊は伏撃地点に潜んで敵戦車部隊を叩き、戦車部隊は迂回して敵戦車に後続する後方支援車両を叩く。キルゾーンに誘い込み前後左右から袋叩きにしてすり潰す。ただ撃退するのではなく殲滅する。
「なかなか粋な作戦をたてるじゃねえか嬢ちゃん。一人も逃さず皆殺しにしようとは顔に似合わず恐いねえ」
大袈裟にこわがってみせるネーリングだが、その表情は獰猛な狩人のそれに変わっていた。
賛意を示すなによりの証拠だろう。
ここで敵機械化軍団を壊滅させればぞの分本隊の前進は楽になる。ハインツの作戦を成功させるには少々私達が無理をしてでも、敵を減殺し、一歩でもはやくモスクワに足を進めなければいけない。
「敵に立ち直る機会を与えるわけにはいきませんから。叩けるうちに叩いておくべきです」
アリスが焦るのには理由があった。
ここ数日間、アリスはソ連兵の尋常ではないほど勇敢かつ頑強な抵抗を何度も目にしている。奇襲による混乱で組織的な動きは欠いているが、どの戦闘でも逃げたり降伏したりする兵士は一度も見かけておらず、全員殲滅し終えるまでその抵抗がやむことはない。
もし彼らが奇襲から立ち直れば国防軍は開戦以来最大の試練に直面することになるのではないだろうか?
そう思わせるようななにか嫌な予感をアリスは感じていた。
【1941年5月27日 ソビエト社会主義共和国連邦 白ロシア社会主義共和国 オルシャ 第十八機械化軍団司令部】
第十八機械化軍団は西ドヴィナ川に布陣する予備戦線軍の戦略予備であり、その装甲戦力はT34中戦車三個大隊、KV2重戦車一個大隊、BT快速戦車七個大隊、機械化歩兵五個大隊に達する強力な機動兵力である。
西部戦線軍がミンスク近郊で包囲されると最高総司令部(大本営)は救出を諦め、敵主力が包囲している間にベレジナ河を防衛線として確保する計画を建てた。
その計画の第一段階として第十八機械化軍団がベレジナ河西岸にドイツ軍が築いたボリソフ橋頭保を攻め潰す。
軍団長のウラジーミル・ヴァ―ニン中将は正面からボリソフを強襲することを決定した。
側面を突くことも陽動を仕掛けることもなく、奇をてらわず数の優位で押しつぶす。司令部の中では作戦地図が広げられ十数人の司令部幕僚と数人の戦車部隊長、そして党から派遣された政治委員が集まり、ヴァ―ニンの説明する作戦を聞きふけっている。
「――――以上で作戦計画の説明は終わりだ。なにか質問があるものは?」
「私は反対です同志中将。なんの策もなく平押しで倒せるほどファシストは甘い相手ではありません。失礼ながら同志中将の作戦では我が軍団は全滅することになります」
ヴァ―ニンが各人を見回す中、冷静な声が響いた。
全員の視線がその将校に集中する。
アレクサンドル・ジューコフ大佐。フルンゼ陸軍大学を主席で卒業後、軍中央の参謀畑を渡り歩いてきた若き俊才である。20代の若さで大佐の階級章を持つことが彼の優秀さをなによりも証明している。
ヴァ―ニンも含めた司令部幕僚達がジューコフ大佐の発言に露骨に顔をしかめる。階級こそヴァ―ニンより下だが、彼はソビエト権力の象徴ともいえる政治委員なのだ。
ソビエト共産党にとって旧帝政軍人で占められた赤軍は潜在的な敵であり、党による文民統制を徹底するため、前線の各上級司令部には監視役の政治委員が派遣される。
党組織の最高意思決定機関である中央委員会に直属し、フルンゼ陸軍大学を高位で卒業した軍事エリートだけで構成された政治委員は前線におけるスターリンの代理人であり、司令部において絶対の権力を持つ。その気になれば軍団長を罷免することも出来る。
政治委員の役職は多岐に渡るが現場指揮官達が最も懸念するのが軍事指揮権への介入である。スターリンの代理人たる政治委員には軍事指揮権に干渉することが許されており、この二重指揮権問題が現場指揮官と政治委員の見解が衝突した際におおきな弊害をもたらしてしまう。故にどの上級司令部も政治委員が作戦に口を出すことを好まない。
「なにか懸念があるのかね同志ジューコフ。我が軍団の戦車保有数は敵の三倍に達する。兵力の優位を確保できるうちに速攻で片づけるべきだと私は考えるのだが…」
ジューコフ大佐は露骨に侮蔑を含んだ視線をヴァ―ニンにむけながら自らの考えを説明した。
「兵力の優位ですと?そんなものは私に言わせれば存在しませんよ同志中将。我が軍団の保有する戦車の60%以上が整備不足で修理を必要とし、ゴム、部品、燃料の欠乏は極めて深刻。おまけに補給能力を有する輸送部隊の80%は現場に到着しておらず、制空権すら欠いている有様。このような惨状で兵力を額面通りに受け取ってどうするのです」
「しかしだな同志政治委員。ボリソフ攻略は最高総司令部からの命令なのだ。我々には複雑な作戦を行うだけの燃料も弾薬もない以上、正面攻撃以外にとれる手段はない」
ヴァ―ニンにもなんの工夫もない正面突撃で倒せるほどドイツ軍が甘い相手でないことはわかっているが、手持ちの物資で最高総司令部の命令を実行するとなるととれる作戦は限られてくる。
「命令を無視するという最良の選択肢があるではないですか同志中将。今の最高総司令部が現状を把握しているとは私にはとても思えません」
党を無視するようなジューコフ大佐の発言にヴァ―ニンは絶句する。あまりの暴言に司令部もざわつきはじめた。
「命令を無視しろなどと正気かね?!最高総司令部の命令は絶対だ!党の秩序を守るべき君がなにをいっているのだ!?」
ヴァ―ニンの保身をあざ笑うかのようにジューコフ大佐は自論を続ける。
「同志中将。同志スターリンは我々が命令を無視することよりも我々が兵力を失い惨敗することをお咎めになりますよ。このまま突進して惨敗すればあなたも私も間違いなく銃殺刑だ。それでも行くとおっしゃるのか?」
「あ、あたりまえだ!党に逆らうなど考えられん」
ヴァ―ニンの顔は恐怖の余り青白くなっている。もしジューコフ大佐が政治委員でなければ即逮捕か銃殺されてもおかしくないような発言だ。巻き込まれることを恐れたヴァ―ニンは必死に党への忠誠をアピールしている。
その様子をみたジューコフ大佐は心底呆れたようにため息をつく。
「そうですか。ならば私はここオルシャに残らせていただきますよ。巻き込まれるのはごめんなんでね」
「勝手にしろ!だが私達は最高総司令部の命令を忠実に実行する。残るなら君一人で残りたまえ!」
ジューコフ大佐が司令部から出ていくと、参謀長が声を潜めてヴァ―ニンにささやいた。
「このままでよろしいのですか?同志政治委員が好き勝手やれば共同責任ということで閣下のお立場に関わりますぞ?」
「ようは我々が勝てばいいのだ。勝ちさえすれば政治委員をモスクワに告発し処断することもできる。それまでは余計なことはするな。変にこちらが動けばどのような報告をされるかわからんのだ」
大粛清を生き残った世代のヴァ―ニンからすれば党の命令は絶対であり神聖不可侵なものだった。
とはいえ万一敗北しようものなら無能者としてのレッテルをはられ全責任を押し付けられて銃殺される。
ヴァ―ニンには勝つ以外に生き残る選択肢は残されていなかった。




