ミンスク・ケッセル①
【1941年5月23日 ソビエト社会主義共和国連邦 白ロシア社会主義共和国領 ミンスク 西部戦線軍司令部】
西部特別軍管区。
併合したポーランド領と白ロシア一帯に設置されたこの軍管区はモスクワまで続く直通ライン「モスクワ街道」を守備する要衝であり、国内第二の兵力と戦車、空軍を傘下に持つ。
ロシアのグデーリアンとまで言われた機械化戦争の権威ドミトリー・パブロフ上級大将が指揮をとり、62万人もの兵士が軍管区内を厳重に固めているはずだった。
しかし、今ミンスクの西部戦線軍司令部では各種警報と悲鳴のような報告が洪水のようにあふれかえっている。
「ブレスト要塞陣地、主防衛陣地と守備兵力の九割を喪失!敵装甲部隊を抑えきれません!」
「西部軍管区内部の航空基地128か所と連絡途絶!航空支援は規定値の13%にまで低下した模様!継続支援に難ありとの通達です!」
「ヴャリストクの第十軍司令部からの通信途絶!敵地上攻撃機の襲撃を受けた模様!」
「ブーク川を突破した大規模な敵装甲部隊がスロニム周辺に出現!現地のNKVD守備隊が応戦してますが支え切れません!」
国境防衛線「モロトフ線」ははやくも崩壊の兆しをみせていた。
敵特殊部隊の破壊工作と空爆により軍管区内の通信網は完全にマヒし、西部戦線軍司令部は麾下部隊との連絡すらとれない。
ようやく連絡が回復した軍司令部も麾下の師団司令部と連絡が取れず、上級司令部は指揮すべき部隊や兵士との通信を断たれ事実上機能していない。矛盾した情報や誤情報も混乱に拍車をかけ、なにから手をつければいいかもわからない。
指揮系統すら機能せず現地の各部隊がバラバラに応戦しているというのが現状だ。
一部の要塞陣地はいまだに機能しているが、このままでは南北から押し寄せる敵装甲部隊に押しつぶされ全滅してしまう。
「このままでは防ぎきれません!包囲される前にひきましょう!」
参謀の一人が叫んだがパブロフは強引に黙らせた。
「いまさらどこへ下がるのだ!?後退したところで道中で捕捉されて全滅するだけだ。中央の命令が下るまで持ち場を死守しろ!もはやわれらにそれ以外の道はない」
他の参謀たちは黙り込んでいる。もともとパブロフを中心とする西部戦線軍司令部はジューコフの提案したスターリン線での迎撃に強硬に反対し、モロトフ線での迎撃にこだわり続けた。
その結果がこのざまでは軍人としての生命は断たれたに等しい。いや、ソビエト体制下では現実の生命すら危ない。
もはやパブロフとその司令部幕僚に選択の余地はなかった。ひたすら中央の命令を待つのみ。今、ここで勝手に撤退などしたら待っているのは銃殺刑しかない。
そこへ国防人民委員部からの命令が届いた。
中身をみたパブロフは呆然としたが、すぐに全ての幕僚を集めて命令を伝達した。
「先ほど国防人民委員部から命令が下った。――――全ての要塞陣地を死守。機械化軍団は想定していた反撃計画に基づきポーランド方面の敵部隊を撃滅。全空軍部隊はドイツ領への空爆を開始せよ」
この命令書ではっきりしたのは中央は現場の情勢をまるで理解していないということだ。
すでにドイツ空軍の奇襲で西部軍管区の空軍部隊は全滅状態だ。ほとんどの航空機が飛び立つ間もなく撃破された。制空権を失った状況で戦車を動かすなど正気の沙汰ではない。
そもそも今の我が軍は全滅を避けるために戦うので精いっぱいで反撃の余力など微塵もない。反撃しても全滅がはやまるだけだ。
「どうなさります?」
「実行するほかあるまい」
「しかし、それでは我が西部戦線軍は文字通り全滅しますぞ!」
「・・・これは命令だ。軍人である我々に拒否は許されん。諸君覚悟を決めてくれ」
長年の軍務経験によりパブロフにはもはや自らと戦闘の趨勢が見えていた。
参謀たちは力を失ったようにうなだれ、司令部内では各地から届く悲劇的な報告だけが響いていた…。
【1941年5月25日 ソビエト社会主義共和国連邦 白ロシア社会主義共和国 第二装甲軍司令部】
奇襲は成功した。
開戦と同時に全ての砲兵連隊が一斉に火を噴いたが、ソ連領からは一発の砲弾もかえってこなかった。
各装甲師団は最初の障害であるブーク川をなんの妨害もなく渡り切り、ソ連領へと殺到していった。
対する赤軍は抵抗陣を組織する間もなく粉砕され、蹴散らされていく。
第二装甲軍の任務はブレスト要塞を迂回して、北の東プロイセンから出撃するホト上級大将の第三装甲軍と合流、西部戦線軍主力をミンスクより西で丸ごと包囲することにある。
すでに第二装甲軍の進路を阻んでいたブレスト地区の第四軍は壊滅し、ブレストリトフスク要塞に立てこもるわずかな守備兵だけが抵抗を続けている。
要塞攻略は後続する歩兵軍に任せて、装甲軍はひたすら前進する。
「油断はするな。ソ連に立ち直る時間を与えてはならん。奇襲効果が継続しているうちに包囲を完成させるのだ」
司令部に入ってきたグデーリアンが激励を飛ばす。
彼の言う通り奇襲による混乱から赤軍が立ち直る前に可能な限り大部隊を撃破してモスクワへの道を開かなければならない。
「今日中にバラノヴィチを落とすぞ少佐。ここを落とせばスロ二ムより西にいる西部戦線軍主力の退路を断てる」
史実ではスロニム包囲は失敗した。脱出した赤軍の方が一歩はやく包囲を抜けられてしまったのだ。パブロフと西部戦線軍司令部は後退を禁じていたが、各軍司令部は独断で撤退を決めた。
結局、スロニムではなくミンスクでの包囲を成功させたが、それなら最初からミンスクに急行した方がてっとりばやい。
「彼らは、脱出に必死になっています。今から急行しても包囲が間に合うかどうかわかりません。スロニムには別動隊をむけ、主力はミンスクに急行しましょう。たとえスロ二ムの包囲に抜けられてもミンスクの大きい包囲に捕えることができましょう」
「小さい包囲を囮に大きな包囲を完成させてしまうというわけか。スロ二ムにはどの程度の戦力を割く?」
「一個装甲師団で十分でしょう。退路をたつ動きさえみせれば脱出に夢中となり、反撃している余裕はないかと」
「ならばバラノヴィチ攻略後、一個装甲師団のみをスロ二ムに派兵し、主力はモスクワ街道を直進してミンスクにむかう。ただちに今の命令を全装甲師団に伝達せよ」
バラノヴィチはモスクワ街道に位置する要衝で北西に進めばスロ二ムに、まっすぐ東に進めばミンスクに到達できる。どちらにせよここは落としておく必要がある。
すでに第二装甲軍の正面にまとまった守備兵力は存在しないが、一つ懸念するのは機動予備の機械化軍団の存在だ。
赤軍の機械化軍団は1000両の戦車を定数とする。定数割れで実際には3~4割の戦車しか配備されていないとはいえ、西部戦線軍司令部は六個機械化軍団を保有する。
合計するとその数は1800~2000両に達し、決して無視できる兵力ではない。
開戦と同時に赤色空軍を壊滅させたドイツ空軍は完全に制空権を握り、地上で動く目標、とくに戦車部隊は片っ端から吹き飛ばしている。それでも全ての戦車部隊を壊滅させたわけではなく、機械化軍団による反撃は十分予想される。
正面から激突しても勝てるだろうが、モスクワまでの道のりを考えると消耗はなるべく少ない方がいい。
史実の第二装甲軍はミンスクの戦いで戦車の稼働率が70%に、次のスモレンスクの戦いでは40%にまで低下している。
装甲軍の消耗はモスクワへの攻略をためらわせる大きな要因になった。
史実の失敗を避けるためにもなるべく犠牲の少ない勝ち方を考えなければ。




