第五話 奇策
古文の授業はあまり好きじゃない。
日向の得意科目ではないから、という理由ではあるが、なんというか、眠くなるのだ。
古文の担当教師は年配の男性教師だ。
その声と読み方が、なんというか、こう眠気を誘う。
自分だけかと思いきや、結構な数の生徒が「眠くなる」と言っているから、もうそういう声なんだと思う。
その日も日向は窓際の席で頬杖を突きながら教師の声を聞いていたが、やはり眠くなってうとうとと船をこぎ始める。
そういえば、結局あれはどういうことなんだろう。
自分と忍野が写っていなかった画像。あれは一体どういう意味で。
(そもそも妙なんだよな)
そう思った。
あのメリーさん、意識不明になった生徒だけで三十人いると言うが、それだけの数の生徒がわざわざメリーさんという名のこっくりさんをやるだろうか。
まあ高校生なんて、流行ってれば興味本位でやりたがるものかもしれないが。
そう考えながら眠気に抗えず、瞼を閉じかけた時だ。
ピピピピ、とスマートフォンの着信音が鳴り始めてびくっと身体が跳ねた。
眠気が一気に吹っ飛ぶ。だがすぐに、自分のスマートフォンではないと気づいた。
生徒たちがざわざわし始める。教師が「誰だー?」と間延びした声を上げた時だ。
「いやああああああああああ!」
女子の悲鳴がいきなり響いた。
席から立ち上がった女生徒が、錯乱したように叫ぶ。
「なんで切れないの!? 電源落としたのに! もうやだ怖い!」
半泣きになったある女生徒が、自分のスマートフォンを手に金切り声をあげる。
「君、落ち着きなさい。どうしたんだ」
「先生! これ壊して! 変なの! おかしいの! 電源落としたのに切れない!」
「変って」
年配の教師は怪訝な顔をして、女生徒の手の中にあるスマートフォンを見る。
「君、それは応答ボタンじゃないのか?」
「え?」
教師の声に女生徒が息を呑む。
その指が、電源ボタンではなく通話に応答するための電話表示をタップしていると、その教師の言葉で日向ですら気づいた。
さっきまで、女生徒と同じく電源ボタンを押していたように見えたのに。
『もしもし、私メリーさん。今あなたの後ろにいるの』
無邪気な少女の声が響いて、女生徒の目がぐるんと回ったように白目になる。
そのまま床に倒れた女生徒に、ほかの女子たちまで悲鳴を上げた。
教室の中は騒然としてしまって、とても授業どころではない。
「……彼方」
不意に忍野がとん、と日向の肩を叩いて小声で話しかけてくる。
「さっき、あの子の後ろに」
「ああ、……いた」
小声の確認に、日向も頷く。
さっき、あの画像の女があの女生徒の背後にいた。
その手が女生徒の口を覆って、なにかを抜き取った。
白く光る、なにか。まるで、漫画で見る魂のような。
「そんなことがあったんですか?」
「うん……」
放課後、日向は男子寮の駐車場にいた。
向かいに立って尋ねてきたのは三年生の桧山砺波。
肩より少し長めの茶色の髪を後ろでひとまとめにした、銀縁の眼鏡をかけた背の高い生徒で、男子サッカー部の先輩だ。
「もう女子は泣いちゃって収まんねえし、男子も噂聞いてたのか青くなってて……。
なんであんな沢山の奴がやってんだよ。
失踪者が出たとか、その時点でやるのやめろよ」
なんだか泣きたい気持ちになって独り言のように詰ったら、桧山は少し考えて、
「集団心理は厄介ですから」
と言った。
「え? どういうことっすか?」
「あいつもやったんだから、とか、みんなやってるから、みたいな。
そういう集団心理って、ブレーキがかからないんですよ。
やりたくないなあと内心思ってても、でもあいつもやったし、で免罪符みたいになる。
特に高校生なんて、周りと同じことしないと浮いてしまうという強迫観念がありますから。
女子はとりわけそういうのが強い。誰々がやっていたんだから一緒にやってよ、と言われて流されたり、断れなかったり」
「あー…………」
桧山の話に、日向は納得したように間延びした声をあげる。
確かに、思い当たる節がある。自分も流されてやったくちだ。
「ただ、誰が種を蒔いたのか、は疑問ですね」
「種?」
桧山が停めてあるバイクの上に置いてあったヘルメットを被って、「種です」と頷く。
「誰か、明確に『こういう面白いことがあるからやらないか』と種を蒔いた人間がいるはずなんです。ネットのインフルエンサーとかなら、うちの学園でだけ流行っているのはおかしい。SNSとかでそんな投稿なんて目にしました?」
「………全然」
「でしょう? 僕も記憶にありません。
だから、誰か。この学園の人間で、いるんですよ」
その言葉が耳に残った。
そのまま桧山にヘルメットを渡され、後ろの座席に乗って運転する桧山の腰に腕を回す。
バイクが走り出した。
今日は部活は休みだ。あのあと、ほかの授業も自習になって、気分が落ち込んでしまうから大型バイクの免許を持っている桧山に声をかけて、ドライブに連れて行ってもらうことにしたのだ。
道路をしばらく走り、そのまま高速道路に乗る。
「なあ、桧山先輩」
「なんです?」
「この前、高速で事故った先輩いんの知ってる?」
「ああ、話は聞きました。僕が大型の免許を持っているの、知っている先生からは『お前も気をつけろ』と言われて」
高速道路を走りながら、声量を大きくして会話する。
「その先輩がメリーさんやってたの知ってた?」
「知りませんでしたが、そういえば誘われたな、と思って」
「誘われた?」
オウム返しした日向に、桧山が頷く。
「お前こういうのやらないかって。
面倒そうだったので、『いい』と断りましたけどね」
「はは、先輩が正しい」
自分も、桧山のような意志の強さがあれば、と思ってしまう。
その時だ。
あの、バンドの音楽が流れ始めた。
心臓が大きく跳ねる。今度は、間違いなく自分のスマートフォンだ。
出なければいい。バイクに乗ってるんだから、出られるわけないだろ。
そう思っていたら、ふつり、と音楽が途切れた。
『もしもし、私メリーさん』
息が止まった。
明確に、鮮明にその声が聞こえてきた。
勝手に繋がった。出てもいないのに。
『今、○○インターにいるの』
それきり、通話が切れる。
「先輩。聞こえた!?」
「え? なにがですか?」
不思議そうに声を張った桧山に、今の声も着信音も、桧山には聞こえていないのだと知る。
そういえば古文の授業中、あの女生徒のスマートフォンはスピーカーにはなっていなかった。だからその通話の声はほかの生徒には聞こえていなかった。
あの女の姿も、自分と忍野以外には見えていなかった。
だから、この音声は桧山には聞こえない?
「先輩! ××インターから降りられる!?」
「なにかありましたか?」
「メリーさん! ○○インターにいるって!」
「! ……わかりました!」
息を呑んだ桧山が頷いて、進路を変更する。
そのまま××インターから降りたバイクが側道を走る。
また着信音が鳴った。すぐに通話の声になる。
『もしもし、私メリーさん。今、××インターにいるの』
それですぐ切れる。
さっき通ったインターにいる。もう近くにいる。
心臓がばくばくとうるさい。ぎゅうっと桧山の身体にしがみつく。
どうしよう。学園のほうに戻ったら駄目なんじゃないか?
「先輩! 学園と逆方向行ける!?」
「やってみます」
そのままバイクが点滅する青信号の下を通過し、右に曲がった。
学園は左側だ。
また、着信音が鳴る。
『もしもし、私メリーさん。今、西和泉町のコンビニにいるの』
学園すぐ近くのコンビニだ。
でも、メリーさんなら一瞬で空間を飛んでくる。
この逃亡劇に、意味はないかもしれない。
「今、どこにいると!?」
「西和泉町のコンビニ!」
「……近いですね。もう時間がないか」
そう呟いた桧山は、不意にブレーキをかけるとすぐそばのセルフガソリンスタンドに侵入する。そしてバイクを停車させた。
「先輩! 停まっちゃったら……!」
「僕に案があります。スマートフォンを貸してください。
君はそのままバイクの影に隠れて」
思わず怒鳴った日向は、桧山に冷静な口調で言われて、訳がわからないまま鞄から取り出したスマートフォンを手渡し、バイクの影にしゃがんで隠れる。
途端に着信音が鳴り出した。心臓がドッと速く脈打つ。
着信音がふつりと切れた。
『もしもし、私メリーさん。今あなたの』
「それは本当に日向くんですか?」
冷ややかに問うた桧山に、ハッと息を呑む気配がした。
バイクの影に息を潜めて隠れながら、バイクの隙間から桧山の背後をうかがう。
女の、足が見える。それがふっと消えた。
その場に沈黙が落ちた。
桧山は背後を確認し、誰もいないことを確かめて、しばらく待ってスマートフォンが鳴らないことを認識し、ほっと息を吐く。
「ひとまず、今回は大丈夫そうですよ」
そう、バイクの影に隠れた日向を覗き込んでそう微笑んだ。
その言葉に日向は大きな息を吐くと立ち上がった。
「びっ、くりした。なにするのかと」
「すみません。怖がらせちゃいましたね」
「えっと、どういうこと?」
日向は桧山の取った作戦の意味がわからず尋ねる。
桧山は日向のスマートフォンを手に、にっと笑った。
「つまり、相手が『その人』と認識しているのは人間とスマートフォンだと言うことです。
どちらかが欠けても魂は取れない。
だから今回、日向くんじゃない僕がスマートフォンを持っていたのでは魂は取れなかった」
「………な、るほど?」
「スマートフォンを壊そうとした人の話をしてくれましたけど、その作戦自体は悪くなかったということです」
してやったりという顔をした桧山に、なんとなく納得して声を漏らす。
そんな作戦があったとは思わなかった。
「ところで日向くん、スマートフォンをしばらく僕に貸すと困ることはありますか?」
「……えー、困ること。あ、」
「あります?」
「ソシャゲのログイン記録……。三十日ごとにガチャ石30個もらえる……」
「僕がログインしておきますからしばらくゲームは我慢しなさいね」
命とどっちが大事ですか?ともっともなことを窘める口調で言われ、日向は「おっしゃる通りです」と白旗を揚げた。




