第三話 増える謎
バイクが夜の高速道路を走っている。
だがそのバイクは無人だ。
誰も乗っていないバイクが、深夜の車通りの少ない道路を走っている。
そのバイクがインターチェンジで速度を若干落としていた車の後ろに衝突する。
車がほとんど通っていない時間帯だったこともあり、車の運転手が車を停め、バイクの運転手に文句を言おうと降りてきて、運転手不在のバイクが道路に転がっているのを見て怪訝な顔になる。
バイクが通って来た道を視線で辿って、向こうのほうになにか落ちているのに気づく。
歩いてそちらに向かって、徐々に近づいてくるその物体を訝しそうに見ていた運転手が、それがバイクから落下したバイクの運転手だと気づいて小さく悲鳴を上げる。
バイクの運転手に意識はない。白目を剥いて、顔は落下した時に負っただろう怪我で真っ赤に染まっていた。
「うわっ!」
思わず声を上げた。瞬間、頭をしたたかに打って痛みに呻く間もなくベッドの下に倒れた。
「いっ、…………てえ~~~~~!」
目が覚めたきっかけは見た夢のせいだが、ベッドからの落下は完全に自分の寝相のせいだ。
日向は窓からの月明かりだけが差し込む真っ暗な室内で、しばらく痛みと衝撃に声を漏らす。
「彼方……うるさい……」
「いてて……ごめん」
同室の忍野が自分のベッドで寝たまま、眠たげな声で文句を言った。
日向はベッドのすぐ下に起き上がって、打ち付けた頭をさする。
とんだ災難だ。見た夢も意味不明なものだったし。
完全に眠気がどこかに行ってしまった。
忍野はもう眠っているし、さっきのは寝言のようなものだろう。
「……トイレ行ってこよ」
そう呟いて立ち上がると、スリッパを履いて部屋から出た。
今夜は随分月が明るい。
そう思いながら高等部男子寮の四階の廊下を歩き、トイレで用を足してまた廊下を歩く。
窓のそばを通りかかった時、ふと何気なく月明かりに照らされた駐車場を視界に入れて、足が止まった。
人がいる。
高等部男子寮の駐車場にいるなら、高等部の人間だろうが、なにやら様子がおかしい。
聞き取れないような叫びを漏らして、何事か文句を言いながら足でなにかを必死に踏みつけている。
なにをそんなに一心不乱に踏んでいるのか、四階からではよく見えない。
「……んで…………れねえんだよ!」
切れ切れに悲鳴じみた叫びが聞こえる。
不意に、耳に触れた音に息を呑んだ。
着信音が聞こえる。デフォルトのままの着信音が、風に乗ってかすかに日向の元まで届いた。
そこで日向は、男が必死に踏みつけているのがスマートフォンだと気づいた。
あの様子では、おそらくばらばらに壊れてしまっているだろう。
にも関わらず、音が鳴っている。着信を知らせる音が。
それに放課後の部活のときのことと妙な符号を感じてぞっとしたときだ。
誰かがいる。
その、男から少し離れた後ろに、誰かが立っている。
こんなに月が眩しいのに、その姿ははっきり見えない。
ただ、髪が長い。小柄な体格から、女だろうと推測出来る。
その女は真っ直ぐに、ただ無言で男の後ろに佇んでいたが、不意に、ゆっくりとその顔がこちらを向く。
やばい、と思った。
隠れなきゃ。見られちゃいけない。
そう思うのに金縛りに遭ったように身体が動かない。目もそらせない。
女は視線を横に向けた後で、顔を上に上げようとした。
そのまま上を見れば、日向と目があうだろう。
だが瞬間、目を後ろから伸びた手に覆われたと思ったらそのまま背後に引っ張られ、床に転ぶような勢いで座り込んでいた。
「あ~~~、ぶな」
「その、声、……化野!?」
「しっ。大声出さないようにね。聞こえちゃう」
目元を覆って床に座らせ、女の視界から自分を隠したのが、いつの間にか廊下にいた化野だと気づいて、日向は背後を振り返って叫ぶ。
化野は寝間着代わりのシャツとハーフパンツ姿で、人差し指を立てて自分の口に押し当てた。
「びっくりしたよ。トイレに起きて来たら日向が窓の下のほう怖い顔で見て固まってるんだもん」
「それは、なんか、変な男が」
日向は答えかけてふと気づく。
着信音が、途絶えている。
あの男はどうなった? あの女は何者だ?
そう思ったけど、口にするのもはばかられた。
「まあとにかくここにいるのもまずそうだし、移動しようか。
日向、立たないで。しゃがんだまま向こうの角まで行こう」
「お、おう」
慣れた様子で指示を出す化野に、やっぱりあれはなにか見たらまずいものなんだろうかと考えながら、床を這って移動する。
廊下の角まで来るとはあ、と化野が息を吐いて立ち上がった。
「ま、ここまで来ればひとまず安全かな」
日向の部屋までまだ少し歩くが、この角からの廊下はあの駐車場に面していないので、あの駐車場からは見えない。
そう考えて日向も立ち上がるとひとまず安堵の息を吐いた。
「つか、お前やけに慣れた感じだったけど、やっぱあれ、」
「聞いちゃ駄目だよ」
しん、とその場が静まりかえるような声で言われて、一瞬意味がわからなかった。
「呼んじゃ駄目。口に出すのも言霊だからね」
立てた人差し指を口に当てた化野の瞳が暗がりで不気味に光っている。
思わず気圧されて、ごくりと唾を飲み込んだ。
「………………じゃあ、あれが、そうだったとして」
ぎゅっと、まだ春先なのにすっかり汗ばんだ手のひらを握りしめて、口を開く。
「なんで、俺たちのところにはすぐ来ないんだ?」
昼間、まるでなんにも知りませんみたいな顔して落胆してみせた化野相手ならこんなことは聞かない。
ただ今の、目の前にいる化野だったら答えてくれる気がした。
「んー……」
化野は少し考え込んだあと、あっけらかんとした口調で、
「時間がかかってるんじゃない?」
と言った。
「いや身も蓋もなっ!
時間かかってるってそんな、定食屋の調理待ち時間みてーに」
「いやそのままだと思うよ?
電話かけてくる人が大勢いるせいで、順番待ち状態になってるんじゃない?」
「怪異にそんな現実的解釈求めんなよ……」
「いやいや、時は金なりって言うからね?
怪異と言えども時間の壁は越えられないってことだと思う」
あっけにとられた日向に、化野は「世知辛いよねえ」などと言っている。
その口調もすっかりいつもの冗談めかしたものだ。
「で、さっきの人は、やっと順番が来たところ」
ふと声を潜めて囁いた化野の瞳が光っているように見えて、心臓が徐々に速く脈打ち始めた。
「…………さっきの、人、って、……どうなんの」
「さあ? 明日ニュース見てみれば?」
「冗談じゃなくて」
「冗談じゃないよ」
はっきりと、化野は答える。
「さすがに数がいい加減多くなって来たから、警察も上ももみ消せなくなってきたと思う。
だから、さっきの人の件は普通に報道されると思うよ」
「………………」
「まあとにかく、今夜はもう寝ようよ。
またあとで質問受け付けるからさ」
そう、化野がやけにあっさりした口調で言うから、聞きたいことを聞けなくなってしまった。
そうだ。化野の言う通りなら、明日にはなにかわかるはずだ。
だから、ニュースを見れば。
そう考えて、日向は化野に背を向ける。それから、
「なあ」
顔を見ては聞けなかったことを、口に乗せた。
「お前、ああなることわかってて、俺たち巻き込んだ?」
「ああなるって、なにが?」
「……………なんでもね。おやすみ」
「うん、おやすみ」
あえて、日向は追求せず、振り向かずに歩き出した。
聞かなかったし、振り返らなかった。
どちらかでも選んでしまえば、きっと化野を殴ってしまいそうだったから。
翌朝、起きてすぐは朝食と部活があって、また寝起きということもあって昨夜のことが頭から抜け落ちており、ネットニュースを確認したのは朝練を終えて教室の自分の席に座ってからだった。
『私立北麗学園。男子寮の駐車場で意識不明の男性発見』
「……意識不明?」
思わず声に出してしまったら、自分の正面から「なにが?」と鈴が鳴るような声が響いた。
「うわ」
「なに失礼ね。人が通りかかった時に声を上げるからなにかと思えば」
言葉の内容と裏腹に気にした様子のない口調のセイが、日向の机の前に立っている。
奥の自分の席に行こうとしていたところで自分がいきなり声を出したから立ち止まったのだろう。
「あ、いやごめん。なんかうちの学校の駐車場で意識不明?の男が発見されたとかって」
「ああ、そのニュース、私も見たわ。
うちの学校の三年らしいわね?」
「へ? そうなの?」
「ええ。ニュースに載ってたわ。
これで三十件目ともなれば、警察も上ももう臭いものに蓋をするじゃ済まないでしょ」
なんだか他人事のような口調で他人事ではないことを言いながら、セイは自分の席に腰を下ろし、スマートフォンを引き出しの中に入れて鞄を机の横にかける。
「うん? 三十件目?」
「あら、知らない?」
「なんの話だよ」
「あらあら、本当に臭いものに蓋をするで済ませてたのねえ」
セイはやれやれと肩をすくめる。日向は意味がわからず、「どういうことだよ」と聞く。
「同様の事件が起こった回数でしょ」
とセイが説明しかけた矢先にチャイムが鳴り、京道が教室に入ってきたのでそれ以上はわからなかった。
「はあ~~~~~」
その日の昼食後の掃除中、日向は自分の班の掃除分担である化学室前の廊下をモップで掃きながらため息を吐いた。
結局あのあとセイには聞く機会が取れず(セイは転校生かつ美人なため休み時間は男子共が群がる)、化野とも会わなかったため、疑問が棚上げになって消化不良なのだ。
いかにもやる気なくモップの柄を腹で押して廊下を歩いていたら正面の廊下を荷物を持って通り過ぎた教員の姿が見えて、もうこの際だ、とモップを放ってその教員が入った教室──化学室の中に飛び込んだ。
「御堂!」
「あ? おう。なんだ日向」
「ちょっと聞きたいことあんだけどいい?」
「人をちゃんと先生と呼ぶならな」
教材の入った箱を教壇の上に置きながら答えたのは、化学教師の御堂だ。
長身に赤い髪で、見目が良いため女子から人気がある。
「で、なんだ?」
「ニュースになってた意識不明のやつ、今回で三十件目って聞いたんだけど」
「あー、それな。だから箝口令なんざ無意味だっつったのに、みんなそろって臭いものに蓋をしたがるんだから」
「同じこと言ってら……」
日向はつい「兵藤と同じこと言ってる」と苦笑してしまった。
「そうだよ。三十件目。これが同じ学校の中で起こってる。
だからマスコミからすりゃいいネタだよな。
まあ今まではもみ消してきたわけだが」
「なんでまた」
「だからマスコミからすりゃいいネタだからだ。
腐ってもここは全国屈指の名門校。そんな醜聞ネタは伏せたいよな」
「あー……」
「まあ最初は、親のほうから言ってきたって聞いてるが。
睡眠薬の服薬の痕跡があって、オーバードーズの疑いがあったから」
淡々とした口調で「いやそれ話していいの?」ということまで御堂は話してくれた。
「ちゃんと掃除しとけよ」と言い置いて一旦職員室に戻っていった御堂を見送って、日向はため息を吐く。
「…………意識不明か」
あれ、メリーさんってあれ、最後どうなるんだっけ。
そう考えた矢先だ。ポケットに入れていたスマートフォンが鳴り始めた。
あの着信音だ。
息が止まる。心臓の音がドッドッと早く脈打ち始めた。
いや、忍野かもしれない。落ち着け。
そう言い聞かせて、ポケットからスマートフォンを取り出す。
『非通知着信』
画面にその文字が浮かんでいて、泣きたくなった。
まだ順番じゃねえとか、化野が言ってたじゃん。
そう詰りたくなる。
震える指で画面をタップする。昨夜見た、あの光景が脳裏に浮かぶ。
あれがそうなら、今、自分の後ろには、
「もしもし…」
『もしもし、わたしメ』
「駄目」
不意に背後から伸びた手が自分の手ごとスマートフォンを掴んで引きよせ、薄紅色の唇が言葉を紡ぐ。
「この子は駄目よ。諦めなさい」
そう囁いて、ちゅ、と唇で画面にキスを落とす。
瞬間、ブツッと通話が切れた。画面が通話中のものから、設定していた壁紙の背景に戻る。
そこで、なんというか展開について行けず半ば思考がフリーズしたまま視線をぎぎっと背後に向けて、自分の手を握ったままこちらを見てにっこり微笑んだセイと目があった。




