第二話 不審な電話
翌朝、いつものように登校した日向と忍野は、部室の前で「あ、やべ」と呟く。
「今日朝練休みやん」
「あー、しまった。いつものくせで」
日向は忍野の言葉に軽く自分の顔に手を当てた。
「まあええやん。早めに教室行ってゲームしよ」
「あー、もう少し寝れたのに……」
あっさり切り替えた忍野に対し、日向は眠気を引きずっているのか悔しそうだ。
そのまま教室に向かうと、二年C組の教室には既に三人の生徒がいた。
教室の中に足を踏み入れた日向と忍野は目を瞠る。
一人は見覚えがあるが、もう二人が見知らぬ顔だ。
一人は兵藤セイ。あの転校生だ。
だが一緒にいる二人の女生徒は誰だろう。
自分の席に腰掛けたセイの向かい、まだ無人の机に腰を預けた蒼穹の色をした長い髪の美少女も、日向の机に堂々と腰掛けた黒髪の美少女も、どちらもなんというか、人間離れした美しさを持っている。
だからつい、声をかけるのも忘れて魅入ってしまった。
「日向くん?」
不意にセイに声をかけられてハッとする。
セイは頬杖をついて、にこりと微笑んでいる。
「あー、はよ。ていうか、そっちの二人……」
「F組とB組に転校してきた私の友人なの。
黒髪のほうが藍染椿。青い髪のほうが水野空碧」
「あー、うん。俺は、日向彼方。こっちが」
「忍野礼賀や」
まだどこか催眠にでもかけられたような心地でぼうっとしながら忍野を指さした日向に、忍野も似たような状態で名乗る。
「ふーん、なかなか美形」
「でもカロンには劣らない?」
「比較対象が間違ってるわよ」
空碧と椿の会話に、一体誰のことかわからず二人は当惑する。
「二人とも、日向くんたちを置いて行かないの」
窘めたのはセイで、彼女は椅子から立ち上がると椿に机から降りるよう言う。
「椿。そこ、日向くんの席だから」
「はぁい」
冷たい印象を持った椿はセイの言葉に渋々頷いて、日向の机から降りる。
「授業までまだ時間あるから、ここにいるのはいいわよね?」
「そ、りゃあ、まあ」
「そう、よかった」
椿の流し目にドキッとしながら頷くと、椿は日向を見て満足げに口角を上げる。
だが、なんだか落ち着かない。
それは破格の美少女が三人もいたら、思春期の男子としては当然かもしれないがそれとは少し違う緊張感のような。
「彼方、トイレ」
不意に忍野に肩をつつかれ、そう言われてすんなり「おう」と頷いた。
普段なら「なんだよ女子みたいに。一人で行けよ」と反応しただろうが、今ばかりはなんというか、教室に残る緊張感から逃れたかった。
そのまま廊下に二人で出ると、忍野が耳元で、
「なんや、観察されてるみたいやったな」
と囁いた。
ああ、そうだ。あの緊張感は、そう形容するのがおそらく正しい。
三人ともこちらから視線を逸らさないで、まるで観察、いや、監視されているように感じたのだ。
「あ、ねえ、日向くん」
不意に教室から出て来たセイが、明るく笑って日向に声をかける。
「な、なに?」
「ううん、大したことじゃないんだけどね」
そう言って、薔薇色の瞳をたわませ、顔を寄せて、
「メリーさん、やったでしょ」
と秘やかな声で言ったので思わずバッと身を引いてしまう。
セイは変わらぬ微笑のままだ。
「あーあ、やっちゃ駄目って言ったのに」
「え、あの」
「あと、忍野くん、正解」
妙な後ろめたさからどもってしまう日向を余所に、セイは子どもの非難のような口調で言い、すぐ打って変わった柔らかな声音で忍野を見る。
「私たち、あなたたちのこと監視してるの。
だから気まずくなったら逃げていいわよ」
その、先ほどの忍野の呟きを見透かした言葉に忍野も息を呑む。
セイは気にせず、そのまま教室の中に戻ってしまう。
歩調に合わせて揺れる真紅の髪を眺めて、日向はセイが囁いたほうの耳に手を当てる。
「……礼賀」
「なんちゅうか、……けったいな転校生たちやな」
ぼそっと呟いた忍野の言葉に全面同意したくて、日向はため息を吐いた。
その日の放課後だ。
サッカー部の部室は着替える部員でごった返している。
なにも気にせず雑談しながら着替えている三年生、着替える順番を所在なさげに部室の外で待っている一年生に比較して、日向たちは二年生なので多少気楽だ。
「日向。日向」
「なんだよ」
レギュラーなため多少融通されているのもあるな、と考えながら、話しかけて来た化野に応じる。
化野は涼しい顔で、
「ねえ、あれからなにか起こった?」
と聞いて来る。
「は?」
一瞬意味がわからず、間の抜けた声を返した日向に化野は笑って、
「ほら、メリーさん」
と答える。
「あ、ああ。別に、なんにも」
答えてから、「いや、一応一回イタ電はあったか」と思い直す。
完全に忘れていたとは言えない。
「なんだぁ。つまんない。本当にただの噂かあ」
「だからそんなの本気にするほうがどうかしてんだよ」
「いやさあ、失踪者が何人も出てるって聞いたからね?
なにかあるんじゃないかなって」
落胆したように呟いた化野に、日向は引っかかりを覚えて視線を向ける。
「なあ、それどういう意味?」
「うん? だからなにもなくてつまんないって」
「そうじゃなくて」
日向が若干苛立ったように言い募った時だ。
「最近頻発してる失踪者事件って、メリーさんと関係あんの?」
化野と日向の間のロッカーに手を突いて、化野を腕の間に閉じ込めたのは忍野で、彼が口にしたことはそのまま日向が聞きたいことだった。
「て、彼方は聞きたいんやと思うけど?」
「そう、そう」
ぱっと化野を閉じ込めた腕を離して、あっさりした口調で忍野は言う。
日向がうんうんと頷いた。
「ああ、そのこと二人とも知らなかったんだ」
「知らねー。どういうこと?」
「確か、警察でもなんもわかってないって話やなかった?」
「ああ、ほら、俺の親戚が議員だから多少そういう話筒抜けになるんだよね」
化野はあっけらかんと言う。
確かに彼の親戚は東京都の議員だ。だから警察にも顔が利くとは知っていた。
「警察は事件性があるとまでは判じてないけど、なんか失踪した生徒たち、失踪前にメリーさんやってたっぽいんだよ」
「おいこら待て」
何の気なしに答えた化野に、日向がつい低い声を出す。
「それ知ってて俺たちにやらせたのか?」
「まさか。俺がその話聞いたの今日」
「どう思う? 礼賀」
「嘘くさいな」
化野はジャージに着替えながら悪びれもせずに答えるが、どうも嘘くさい。
この化野朔螺という男はなにもかも見通してわざと神が賽を振るように、こちらの行動を仕向ける男だからだ。
「ひどいなあ」
「ひどくねえよ。正当な評価だ」
「そうやな。彼方の言う通りや」
化野は傷ついた様子なく言って、ロッカーに寄りかかる。
「まあ疑うのは自由だけど知らなかったのは本当。
で、結果巻き込んじゃったからなにかあったら心配だなって思ってるとこ。
でもなにもなかったならよかった」
「……まあ、それはな」
化野の言葉全部を信じたわけではないだろうが、忍野は最後にはそう頷いた。
日向は喉に引っかかった言葉を、どうすればいいか迷う。
あれが、イタ電じゃなかったら。
「おい、お前ら、いつまで駄弁ってやがる」
不意に背後から声が響いてびっくりしてしまう。
振り向くと戸口に桐生が立っていた。
視線を動かすと、部室内にはもう一年生ばかりで、二年三年の姿はない。
雑談に夢中になってしまったようだ。
「悪い。今行く」
「早くしろよ」
桐生は彼らしい鷹揚な口調で言って、扉を閉める。
なんとなくその場に沈黙が落ちて、気まずくなる。
「まあ、……電話なんてなかったんだからいいじゃん」
「まあ、そうやな」
「うん」
一瞬の沈黙の後、そう口にした日向に、忍野も化野も頷く。
そのまますぐ着替えて、部室の外に出た。
部活は何事もなく行われた。
全国屈指の名門校である北麗のサッカー部だ。当然レベルは高い。
桐生は既に全日本チームからスカウトがあるし、化野もだ。
日向と忍野はそこまでではないが、全国で知らぬものはいない選手として名を馳せている。
「ほな、行くでー」
「おう」
忍野の言葉に、日向はゴールの前で身構える。
今は二人ペアになっての練習だ。
日向のペアは忍野で、彼のシュートをキャッチして着地する。
「まったく、これやから彼方相手はやりにくいんや」
「へっ、俺の身軽さ舐めんなよ」
正直に言えば、日向の俊敏さに敵う部員は部でもほぼいない。
キーパーは得意分野だ。
だが不意に、耳をかすめた音に日向は足を止めた。
視線が部室のほうに向けられる。
瞬間、忍野が蹴ったボールがゴールに吸い込まれた。
「おい? 彼方?」
「いや、ごめん。待って。なんか」
不平を漏らす忍野にストップをかけて、日向は部室のほうを見たままだ。
音、がする。着信音だ。
それだけなら気にしなかった。
誰かの携帯が鳴っているんだろう、で片付けた。
だが鳴っているのは自分のスマホだ。
わかるのは独特の着信音のせいだ。
好きなバンドの曲のメロディ。この曲に設定している人間を、日向は身近で知らない。
「音」
「音ぉ?」
「俺の、スマホの、音がする」
擦れた声を漏らした日向に、忍野は耳を澄ませて首をかしげる。
「そんなもん、ちっとも聞こえんけど?」
そう、不思議そうに言うのだ。
「そもそもスマホって部室置きっぱやろ?
部室との距離考えてみぃ。
聞こえるわけないやん」
その言葉に気づいてぞくっと背筋が震えた。
いや、待て。おかしい。
そうだ。忍野の言う通りだ。
部室までは距離がある。鞄の中にあるスマホの着信音が、こんな鮮明に聞こえるはずがない。
なのに、確かに自分の耳には鮮明に音楽が聞こえるのだ。
まるで、呼び声みたいに。
心臓がどくどくと鳴っている。指先がかじかんだように痛む。
ぎゅっと手を握った瞬間だ。音が、不意にふつりと切れた。
「おい、なにしてる」
不意に聞こえた声と同時に、ノートでパン、と頭を叩かれた。
びっくりして視線を向けると、そこには担任の京道が立っている。
「京道、せんせ?」
「おう。ほかのなんに見える。
部活中に雑談とは良い度胸だな」
口では窘めながらもさほど怒った様子のない京道の顔を見て、日向は早鐘のように鳴る胸の鼓動を抑えたまま、
「なあ、今、なんか音、したか?」
と聞いていた。
「俺がお前を叩いた音なら」
「いや、そういうんじゃなく、…………聞こえなかったんならいいや」
「は? 変なこと言う奴だな」
京道の不可解そうな反応に、日向は安堵して息を吐く。
「なんでもない。ごめん。真面目にやる」
「なら良し」
満足そうに頷いた京道に、「そういえば京道ってサッカー部の副顧問になったんだったな」と今更に思い出す。
気のせいだ。音楽が聞こえたとか、気のせいだ。
失踪者の話とかも全部、気のせいだ。
そう言い聞かせて、「大丈夫か?」と声をかけてきた忍野に笑った。




