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第十一話 標的:化野朔螺

「桧山先輩が?」

「そう。どうもなにかあったらしいんだよ」

 北麗学園男子寮の四階にある、化野の部屋。

 机の前の椅子に腰掛け、音楽を聴いていたヘッドホンを外して化野は傍らに立った桐生の言葉に聞き返した。

「なにかってなに」

「それがわかんねえんだよ。桧山先輩はただ書店行ってきただけって言い張るし、日向や忍野はあの人に弱いからあの人がそう言ったらそれで頷いちまうだろ」

「ああ、懐いてるもんね」

 桐生は腑に落ちない、という顔をしている。化野はふ、と笑って、それから真顔になった。

「ていうか、桧山先輩が標的になる理由がわからない。

 あの人メリーさんやってないんでしょ?」

「ないって聞いたな。性格的にもやるとは思えない」

「ならなんで」

「ただ、あの人、特に日向に慕われてるだろ。

 メリーさんの件でいろいろ日向にアドバイスしてるし、二回日向を危機から助けてるし」

 桐生はがしがしと頭を掻いて、解せないという顔をする。

 それは桧山が嘘を吐いていると思っている顔だ。

「日向が話してたぜ。この学園には二種類の人外がいて、それは俺たちにとって敵と味方で、チェスで陣取り合戦みたいなことしてる──って桧山先輩が推理してたってな」

「なるほど。一理ある」

 化野は首にかけていたヘッドホンを外して、一つ頷いた。

「お前が一理あると思うほどの推論を言える人だ。その推論がマジなら、そういう意味であの人は邪魔だろ」

「そうだね。頭が切れるって言う一点において、あの人は盤面を乱しかねない」

 ヘッドホンを机の上に置いて、化野は伸びをすると不可解そうに首をかしげた。

「でも、俺の目から見てあの人は普通の人間なんだよなあ」

「つまり、なにもなかったって言葉を額面通りに信じろって?」

「そうじゃないと、無事に帰って来れた説明がつかない、と思う」

 化野らしくなく、腑に落ちないという顔をしている。

 そのまま化野は口にした。

「なんで今回に限って、日向と忍野が騒いだと思う?」

「あ? そりゃ、なかなか帰って来ないから……」

「以前も似たようなことあったけど、そのときはあの二人そんな気にしなかったよ。

 でも今回は違った」

「……そういや」

 言われてみて、確かにそうだと桐生も呟く。

「多分、感度が上がってるんだと思う」

「感度?」

「そう。メリーさんの件で霊的なものに多く触れて、そういう気配を察知しやすくなってるんだ。だから今回、その気配を察知してじっとしていられなかった。

 そう考えると筋が通る」

 考えながら言葉にした化野に、桐生は腕を組んで疑うように化野の顔を見る。

「桧山先輩に、なんかあったってことか? 本気で」

「ただ、そう考えるとなんで無事だったか、の説明がつかないけど。

 まああの人、頭切れるしフィジカル強いからそれだけで凌いだ可能性もゼロじゃないんだけどね。たまにいるんだ。そういう脳筋で全て解決する奴」

 化野の声は実感がこもっていた。そういうタイプの人間に心当たりがあるのかもしれない。

「……とりあえず、桧山先輩は『邪魔だ』って思われたから排除されそうになった可能性があるってことか?」

「本気でなにかあったならね」

「なら、第一に危ない奴がいるだろ」

 そう言って桐生は化野を指さす。

「俺?」

「そう、お前。メリーさんやってて、明らかに普通じゃない。

 本当にそんな奴らがこの学園でゲームやってるなら、お前は真っ先に潰したいキングだと思うぜ」

「うーん、既に今まででいろいろあった気がするんだけどなあ。

 ま、なんとかなるでしょ」

 楽観的なことを言う化野に、桐生が呆れる。

「お前なあ」

 それに化野はへらっと笑って言った。さも当然のように。

「仕方ないじゃない。俺の人生、そんな感じでうまく行ってきたんだからさ」




 その翌日だ。日曜日で、部活は午前中だけだった。

 映画を見に出かけた化野は電車に乗っていたが、不意に聞こえたある声に眉を寄せた。

 女性のすすり泣く声が聞こえる。

 ほかの誰も反応していない。なのに、そのすすり泣く声は無視出来ない大きさで響いてくる。

 ぐ、と片足に力を込めた。

 あ、やばそう。こういうのは無視するに限る。

 ぴちょん、ぴちょん。

 水音がする。自分の目の前に、水たまりが出来ている。

 目の前に、女性が立っている。

「お、にい、ちゃん」

 切れ切れの声が、自分をそう呼んだ。

「…………………」

 言葉を失ったのは、その全身濡れた女が、あまりに従姉妹に似ていたからだ。

 彼女が、自分の手を掴む。

「いこ、行こう」

「……どこに?」

 返事をしてはいけないとわかりながら、聞いていた。

「こ、こっち」

 彼女は自分の手を引いて、電車を降りる。いつの間にか電車は駅に停車していた。

 ぴちょん、ぴちょんと水音がする。

 電車を降りて、歩いて行く。

 彼女の足跡に、水の跡がある。

 誰も気にしない。見えていない。

 自分だけに、見える。

「ここ」

 不意に立ち止まった彼女に、息を呑む。

 そこは、橋だった。

 橋の欄干、そこから下の海を指して彼女は訴える。

「行こう」

「行ったら、俺は死んじゃうよ」

 苦笑して答える。

 彼女はふる、と首を横に振った。

「おにい、ちゃん、なら、しなない。

 いこう」

 そのどこか舌っ足らずな声にはあの子の面影があるのに、その内容はあり得ないものだ。

 ふ、と自嘲した。全く、こんなものに引っかかるなんて。

「あーあ、尻尾出したね」

 そう口角を上げて、嫌味ったらしく言う。

「あの子は、俺の体質なんてなんにも知らないよ」

 そう告げた自分を見た、あの子そっくりの顔がにたり、と別人のように笑った。

 自分の手をぐいっと引っ張って海に身を投げる。

 がしっと欄干にしがみついたが、彼女の身体の重みで引きずられる。

 まるで、人間というより水の詰まったポリタンクのような重たさだ。

「生憎、だけどさ、俺、まだここで死ねないんだよね」

 擦れた声で必死に訴える。

「君は邪魔な俺を始末しに来たんだろうけど、駄目なんだ」

 手が痺れる。それでも必死に欄干に縋り付く。

「俺は自分の不始末をどうにかするまで、死ねないんだよ!」

「よく言った」

 不意に頭上で聞こえたのは、この場にいないはずの同級生の声。

 しっかりと腕を掴まれる。そのままぐいっと上に引き上げられた。

 間近にあったその顔を見て、安堵に名を呼ぶ。

「桐生…っ」

 化野の腕を掴んだ桐生は、もう片方の手で自分の鞄を投げる。

 それがあの女の身体の上に落ちて、一緒に海に落下する。

 ドボン、と遠くで水音が聞こえた。

「な、なんで」

 橋の上に座り込みながら、自分から手を離した桐生を見上げる。

「てめえからその質問を聞くのはいい気分だな」

 口の端を上げた桐生はそう満足そうに笑って、

「てめえにもなにかあるかもしれないって、桧山先輩に言われてな。

 尾けてた」

 と事も無げに答えた。

「ちょ、それ犯罪」

「危機一髪で助かったんだからいいだろ」

 あっけらかんと言い切ってから、桐生は化野に手を差し出す。

「あれが、お前には従姉妹に見えたのか」

「桐生にはどう見えたの?」

「不気味な濡れた女だな。お前に従姉妹の写真を見せてもらったが、似ても似つかねえ」

「そう……」

 化野は力が抜けたように、その場にへたりと座ったまま、桐生の手を取らない。

「そんなに大事だったか」

「可愛い従姉妹なんだ。俺が、名前を名付けた」

「お前が? 当時三歳とかのガキだろ?」

 意外そうに少し声のトーンを上げた桐生に、化野は苦笑した。

「俺もよく覚えてないけど、赤ん坊のあの子を見て名前を呼んだんだって。

 俺の変わってるところは両親も伯父さんも知ってたから、それにあやかってそのまま名付けたって聞いた。

 本人もその名前を気に入ってくれてて、……本当に、可愛い従姉妹なんだ」

 その顔が、くしゃりと歪む。

「やっと、会えたと思ったのに」

 震えた声が綴る。頬を、一筋涙が伝った。

「珍しいもんを見た」

 かすかに驚いた顔をして、桐生はハンカチを差し出す。

「お前の人間らしいところを見るのは、初めてだ」

「泣くくらいするよ。

 ……俺だって人間だもの」

 そう、化野はやはりハンカチを受け取らないまま、うつむいて答えた。


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