第十話 標的:桧山砺波
「邪魔が入った」
そう、声が告げる。真円の月の下、校舎の屋上の端、手すりに片腕を乗せて。
「そう、邪魔。
こう、良いタイミングで邪魔してくる奴らがいるんだよな」
その声は言う。スマートフォンを耳に当てて、ここではないところにいる誰かに。
「怪異も怖がらねえし。
よほど豪胆なのか──マジで人間じゃねえのか」
怪しむように、訝しむように。
「そう、あいつらとは別。
邪魔だから、潰す許可くれ。
片方がアレの標的だから、人間の魂一つ分無駄にしちまうが。
いいな?」
その声に、応答が返る。それに口角をつり上げた。
「標的は、化野朔螺と桧山砺波だ」
昼休みの学園の廊下を、長身の男子生徒が歩いて行く。
移動教室なのか、手には教科書とノート、ペンケースを持っている。
不意に走ってきた比較的小柄な体格の男子生徒が彼に話しかけた。
「桧山先輩!」
「おや、日向くん。どうしました?」
長身の男子生徒──桧山砺波は顔にかけてある眼鏡を軽く押し上げて、話しかけて来た後輩──日向彼方に向き直る。
「先輩、不便ない?
俺がスマホ借りてるだろ?」
「それはお互い様ではありませんか?」
「そうなんだけど、先輩は巻き込まれてるわけだし」
先輩はメリーさんやってないしさあ、と日向は苦笑する。
「気にしないでください。
可愛い後輩になにかあったら困りますから」
温和な笑顔で答えた桧山に、日向が少し安堵した。
「そういえば聞きました?」
「なにが?」
「あのとき部室で君を狙ってきた三年生二人、その日の夜には意識不明のまま元の病室に戻っていたそうですよ」
その言葉に、日向がハッと息を呑む。
「それ、誰かが」
「そもそも誰かに操られていたような感じでしたから、まあ背後にいるんでしょうね。
意識不明の人間の身体を乗っ取れる、誰か」
「看護師は気づかなかったのか?
身体がなくなってたんだろ?」
「なぜか、その時間、看護師は彼らが入院していることを失念していたそうです。
だから病室にも行かなかった」
不思議でしょう?と桧山は口の端をつり上げて問う。
「なぜか……」
「人間の意識にも干渉出来るんでしょうね。その誰かさんは」
日向は息を詰めると、ぎゅっと拳を握って一度うつむき、意を決したように顔を上げた。
「……先輩、聞いて欲しいんだけど、俺、休日に阿古屋村って言う廃村言ってきたんだ。
化野の従姉妹探しに」
それから、日向は村で起こった詳細を話す。それを桧山は静かに聞いていた。
「だから、そういうことが出来る奴がいるんだと思う。
ただ、どうも俺たちを寮まで運んだ奴らは、なんか」
「味方……」
「そう、味方っぽい。多分、俺たちの魂を取ろうとしたメリーさんもそいつが退けたんだと思う」
桧山の呟きに日向は頷いて、自分なりの推論を口にする。
「おそらく、僕たちにとっての敵と味方がいるんでしょうね。
同じ、人間ではないひとでなしさんで。
日向くん、前に僕が『種を蒔いた』人がいるって話をしたの覚えています?」
「あー、なんか、メリーさんを流行らせた奴がいるって話?」
「そうです。多分、それが敵側の人なんだと思います」
桧山はそう告げて、眼鏡をカチャ、と押し上げた。
「なにが目的か知りませんが、この学園を使って、なにかしようとしている。
全く、迷惑なことです」
かすかに苛立ちをにじませた声音に、日向は背筋を震わせた。
この常に温和な先輩が、そんな苛立ちを覗かせたことは劣勢の試合中ですらない。
「こうは思いませんか?
敵のひとでなしと味方のひとでなしが、この学園を使ってチェスでもしているようだと」
「チェス?」
「そう、白と黒の陣地取り合戦です」
「それ、勝ち負けって」
「そうですね……。キングを取った方か、もしくは、全ての駒を奪ったほう。
後者の場合、全ての駒というのは、おそらくこの学園の生徒全員。
──なんて、実際のところどうだか知りませんが」
真に迫った声音で話していたのに、不意にふっとおどけたトーンになった桧山の話に、日向は知らず知らず詰めていた息を吐いた。
「ちょ、先輩」
「今の推論はちょっと、ゲームに毒されすぎましたね。
ただ、実際そんな事態でも起こっていないと、おかしいでしょう?
この学園で起こっていることは」
「……まあ、確かに」
「僕としては、大会前に騒動が落ち着くことを願ってやまないんですが」
そう言いながらも、少し楽しそうな雰囲気に見えて日向は首をかしげる。
「あ、先輩、結構こういう話好き?」
「ホラーは好きですよ?」
「じゃあいつまで?って妖怪知ってる?」
「知ってます。以津真天ですね」
やはり知っていた、と日向は思う。桧山は博識だから、興味のある分野で知らないことのほうが少ない。
「その阿古屋村って、そいつが出たって話があるんだって」
「ほう?」
「なあ、どういう妖怪?」
興味を惹かれたらしい日向の質問に、桧山は少し考え顎に手を当てる。
「さあ、これと言ってどういった怪鳥なのか、文献に残ってはいませんからねえ。
名前の由来がどういった意味なのかもわからない。
ただ、そうですね。もしその怪鳥がこの学園に出たなら、」
「……出たなら?」
桧山の口角が上がる。押し上げられた眼鏡のレンズが背後の窓から差し込んだ陽光を反射して、奥が見えなくなる。
「『いつまで続ける気だ』と言っているように聞こえるでしょうね」
そう静かに不穏に、温和な先輩は告げたのだ。
その日の放課後、サッカー部の部活が終わった後の時刻だ。
すっかり暗くなった男子寮の駐車場で、大型バイクにまたがってヘルメットを被ろうとした桧山に、近寄ってきた男が声をかけた。
「おい、桧山」
「おや? ……これはこれは、御堂先生、なにか御用で?」
相手は化学教師の御堂で、彼は目をつり上げて桧山を見る。
「こんな時間からどこ行く気だ。普通に門限だぞ」
「すみません。実は楽しみにしていたミステリー小説の発売日だったのを忘れていて」
「駄目だ。大人しく寮に戻れ」
「はい、すみません」
素直に謝った桧山に、御堂は「ったく」とため息を吐きながら背を向け、校舎のほうに歩いて行く。
遠ざかっていく背中を見送って、桧山はヘルメットを被る。
「……なんてね」
そのままバイクで街に出かけた桧山は、書店に寄って目当ての本を買うと、寮に帰るため道路を走っていた。
不意にポケットのスマートフォンが振動する。
着信音が聞こえた。
ちょうど信号で停車したところだったので、スマートフォンを手に取ってヘルメット越しに耳に押し当てる。
「はい、もしもし」
『私メリーさん』
「すみませんが僕は日向くんでは」
『私の言うことを聞いて』
その言葉がまるで聞こえたかのように、バイクが勝手にアクセルをふかした。
「は」
桧山が息を呑んだ瞬間、バイクが発進する。
青信号で交差点に進入してきた車とぶつかりそうになったが、バイクが一人でにハンドルを切って、その車を躱して走って行く。
桧山はスマートフォンを手に持ったまま、ブレーキを踏む。
だが効果がない。ハンドルを曲げてもその方向には曲がらない。
「なるほど、こちらの指示がバイクに伝わらなくなっている。
バイクの行き先を変えて、僕をどうしたいのか……」
そう呟いた桧山は、スマートフォンの画面を開いてナビを起動した。
現在地から学園までのルートでナビを開始する。
バイクは学園とは反対の方角に進んでいく。
「この先は、高速ですね」
バイクは止まらず、そのままインターチェンジを突っ切って高速道路に進入した。
高速を走るバイクは、どんどん速度を上げている。
手をハンドルに添えているのは振り落とされないためで、バイクを操作するためではない。その権限が今の自分にはない。
不意にスマートフォンに着信が入った。
相手は日向だ。
画面をタップして耳に当てる。
「もしもし、日向くん?」
『すんません。俺です』
「おや、忍野くんですか。どうしました?」
『不躾なこと聞くんですけど、先輩もなにかに巻き込まれてませんよね?』
忍野は彼らしい余裕のない声で聞いて来る。
「どういうことです?」
『御堂先生が、先輩が外出したまま帰らないって』
「そうですか。まあ、もう少ししたら帰りますよ」
『そう、ですか? ほんまになんか巻き込まれとるんちゃいますよね?』
「ええ、大丈夫です」
走っているのは高速。速度は100キロを超えている。バイクは言うことを聞かない。
それでも桧山はそう答えた。
『あんまり、先輩のそういうの信用出来ないんですわ。
あんた、去年腕捻挫してたの隠して試合出てたし』
「でも勝ったでしょう?」
『そういう問題やないんで』
「はい、肝に銘じておきます。
直に帰りますから、そう言っておいてください」
『…………はい』
なにか言いたげにしながらも、忍野からの通話は切れた。
ナビの画面に戻ったスマートフォンを眺め、桧山は少し笑う。
「全く、心配性な子が多いですね」
そう呟いた矢先だ。ウインカーのライトがついた。
ウインカーは左を指している。
「車線変更?」
バイクが車線を変更する。左側の車線は、インターチェンジに繋がる道ではない。
車が全く通っていない道をバイクが走る。
『この先一キロメートル、直進です』
ナビの声に従うように、バイクが速度を上げた。
『この先五百メートル、地獄です』
「おや?」
『この先、三百メートル、地獄です』
一瞬、聞き間違いかと思ったが、違う。はっきりと、電子音声は告げた。
『この先二百メートル、道なり、地獄です。
もうすぐ目的地付近です。
お疲れ様で──…………ね、』
声は、一瞬途切れて、ノイズが混ざった後に、まるで笑い声のように歪になった。
『死ね、死ね、死ね』
無機質な電子音声が、自分の死を嘲笑う。
工事中の看板、その先はなにもない。百メートルほどの長さで、道路のない穴がある。
道なりに行けば、その穴から落下する。数百メートル下は車が行き交う一般道路。
「まあ、落ちたら死、でしょうね」
のんびりと、バイクから飛び降りるでもなく呟く。
バサッと、遙か頭上、羽音が聞こえる。
「……で」
けれど、確かにこの耳に鳴き声が聞こえるのだ。
「いつまで」
その声に、桧山は口角をつり上げる。
「やっぱり、僕には『いつまで続ける気だ』と言う風に聞こえるんですよ。
ね、日向くん」
そう、うっすらと微笑んだ。
その一時間後、寮の駐車場でバイクを停めると、寮のほうから数人の生徒が走ってきた。「おや?」
走ってくる影が近くなる。それは日向と忍野だとわかった。
「先輩!」
「どうしました?」
ひどく心配そうな顔をした日向が飛びつくような勢いで呼んできたので、桧山は首をかしげた。
「どうもこうもないわ。帰りが遅すぎるから待っとったんですわ。
俺らのせいで先輩巻き込んでしもてるし、なんかあったらどないしよって彼方が心配して」
「それはすみません。日向くん、心配かけましたね。
この通り、ちょっと先の書店に本買いに行っただけですから」
桧山はそう言って、椅子の下のスペースから取り出した書店の紙袋を示す。
「まあ、なんにもなかったんならよかったけど」
「嘘吐け。めっちゃ心配したくせに」
「うるせえ」
強がって答えた日向に、忍野がツッコんで小突かれた。
「ふふ」
「なんです?」
「いや、日向くんは良い子だなあと」
「でしょ? 良い子でしょう俺の幼なじみ」
書店の紙袋を抱えながら、桧山が言うと忍野が誇らしげに答える。
「なんで礼賀が得意げなんだよ」
「褒めてるんですから素直に受け取ってください」
照れ隠しにツッコんだ日向も、桧山にそう言われて少し頬を赤くした。
「そういえば、先輩。なに買ってきたの?」
「ミステリー小説の新刊と、あとは新進気鋭の作家のホラー小説を」
「もうしばらくホラーはいい……」
桧山の返答に、日向は見るからにげんなりした顔になった。
「もうおなかいっぱいって顔ですね」
「俺も同じ心境ですわ。もう腹いっぱいです」
「まあ、そうでしょうねえ」
似たような表情で頷いた忍野に、桧山は笑って同意する。
その頭上を、旋回するような鳥の羽音が響いた。




