第八話 身近に迫るもの
ハッと意識が戻って、日向はベッドの上で固まった。
薄暗い室内。照明の消えた天井は、見慣れた寮の部屋のもの。カーテンが引かれた窓の外から車の走行音が一瞬聞こえてすぐ遠ざかった。
「…………あ、れ」
擦れた声が漏れる。
なにがあったっけ。自分はなにをしていたっけ。
そうだ。確か廃村に行って、そこで化野が怪我をして、メリーさんが。
「礼賀!」
そうだきっと彼も無事で済んではいない、と思った瞬間に飛び起きていた。
間違いなく寮の自室だ。隣のベッドで忍野が眠っている。
その忍野のベッドに移動して忍野の顔を軽く叩いた。
「礼賀! 礼賀! 起きろって!」
「………んー…………なに、かなた」
「寝てる場合じゃねえんだって!
お前だってメリーさんに遭っただろ!?」
「……………………は?」
眠そうに瞼を開けた忍野は最初こそ夢の中のような返事をしていたが、日向の言葉を聞いて瞼をはっきり開け、固まった。
直後に勢いよく飛び起きる。
「そうや、俺、あの村に行ってメリーさんに……」
意識を失う前のことを思い出して呟き、茫然と室内を見回してここが寮の自室であることを確認した後、傍らで様子を伺っていた日向の肩を掴んだ。
「彼方! 無事か!?」
「う、うん、なんか無事、っぽい。礼賀こそ」
「俺も、なんか、無事、やな」
まだ状況を整理しきっておらず曖昧に答えた日向に、忍野も同じように答える。
「俺ら、阿古屋村に行って、……メリーさんが出たよな?」
「出た」
「で、相当やばかった、よな?」
「うん」
「……あそこから寮まで帰ってきた記憶、あるか?」
「……ないな」
日向の確認に、忍野は擦れた声で返事をした。
薄暗い室内。雑誌や服が散乱した床。窓の外から虫の鳴き声が聞こえる。
「…………なにがあったんだ?」
「…………わからん」
二人はしばらく顔を見合わせ、黙る。眠気はすっかり消えてしまった。
「ねー? なにがあったのかわかんないよね?」
翌日の昼、クラスの違う桐生と化野と学食で待ち合わせをして、窓際の席に座って日向と忍野は昨夜お互いにした確認を桐生と化野にもした。
それで返ってきたのが心底不可解そうな化野の声だ。
「帰った記憶もなんにもないのに、寮の部屋にいるんだもの。
だって俺、確かにメリーさんの顔見たよ?」
「俺もだな。気づいたら寮の部屋で寝ていた。メリーさんに遭遇した記憶もある」
「だよなあ。意味わかんねえよな」
「な? 四人とも帰った記憶がないなら、誰が俺たちを寮まで運んだんやって話やで」
化野、桐生の返答に日向、忍野も心底訳がわからないという風に答える。
「一瞬失踪者がこうなってたのかと思ったが、じゃあなんで今までの失踪者は家や寮に帰って来ないんだって話だしな」
「そもそも魂取られてないやん俺ら。取られたと思たけど」
「だよねえ」
桐生、忍野、化野の話を聞いて、日向は「うーん」と唸って腕を組む。
ちなみに各人の前には注文した食事が並んでおり、日向は唐揚げ定食、忍野はカツ丼、化野はサンドウィッチとスープ、桐生は天ぷら定食だ。
「あっ!」
「どうした日向。なにか思い出したか?」
「ちょ、化野! 腕見せて!」
不意に日向は席から立ち上がって、向かいに座った化野の左手の二の腕に触る。
今日は気温が高く化野は冬用のシャツとベストのみでブレザーは教室に置いて来たようだ。シャツに覆われているが、包帯などの感触はなく、触れても痛がる様子はない。
「傷? ないよ? 俺、昨夜起きてすぐ確認したもん。
綺麗になくなってる」
「マジで?」
「マジで」
半信半疑の日向に化野はうん、と頷いてサンドウィッチを一口食べる。
「え? 化野、怪我したん?」
「うん、俺のこと庇って。肩が真っ赤になっててさあ」
「ああ、あれかなりズタズタになってたみたい。金具でざっくりやった感触あったもん」
「はっきり言うなぞわっとするから」
今更にあの怪我を思い出して、鳥肌を立てた日向に化野は面白そうに笑う。
「化野」
「なに? 忍野」
「おおきにな」
にっこりと、化野を見て礼を口にした忍野に、化野は若干身を引いた。
「え? なにその、初めて見たくらい優しい笑顔。
俺、お前のそんな菩薩みたいな笑顔初めて見たんだけど」
「俺も初めて見た……」
忍野の表情はなんというか、化野が形容した通りの笑顔だ。
そんな顔は俺も初めて見る、と日向が驚く。
「いやあ、実のところな? 場合によったら化野殺そうかと思うとったんやけど、やめたわ。
感謝の証に半殺しで勘弁したる」
「えっ、なにそれ怖」
「お前はそれくらいのことした自覚を持て」
今度は大仰に身を引いた化野に、桐生が呆れ顔でツッコんだ。
この間も、忍野は菩薩顔のままである。
「つか、忍野。お前、日向には言うなって俺を口止めしといて……」
「ああ、すまんすまん。口が滑った」
「滑ったどころか大暴投だよ」
桐生の呆れた声に忍野はイイ笑顔で答え、化野がドン引きした時だ。
「あら、おそろいで」
横から声がかかって四人は視線を向け、そこに立っていたセイ、椿、空碧を見てちょっと身を引いてしまった。
「やだ、なにその失礼な反応」
「いや、なんか、今はその人外感あんま見たくない……」
「人外感ってなによ」
「安心しろ褒め言葉だ。人外のような美人って意味だからな」
「あたしも?」
「なんで君が例外なのかわからない」
セイ、日向、椿、桐生、空碧、化野のやり取りに、唯一喋っていなかった忍野が「まあなんや、美人すぎて人外感あって、今目にしたい女の顔とちゃうもんな」と思った。
だってメリーさんも女性だし。
「まあいいや。一個聞きたいことあったんだ。いい?」
「なに?」
「君たちさ、あの場にいた?」
真顔で踏み込んだ化野に、空碧が軽く首をかしげて頬に立てた指を当てる。
「あの場って?」
「阿古屋村」
「知らない場所ねえ」
「へえ、でもさ、昨夜目覚めた時にちょっと君たちの気配っぽいもの感じたんだよね。
すぐ消えたけど」
化野はとん、とテーブルを指で叩いて問う。
忍野と桐生はそれを静かに見つめて、日向は息を呑んだ。
「そもそも君たちって割と怪しいよね。
この騒ぎになってるタイミングで転校してくるの。
それでメリーさんをやった俺たちに接近してくるって、なに?
なにか企んでる?」
「返す返すも失礼ね。企んでるのは」
「答えじゃないなら黙って。俺、今あんまり余裕ないんだ。
やっと手がかりが見付かるかもと思ったのに」
言いかけた椿を遮って、低い声で化野は三人を詰る。
そうだ、と日向は思い出す。
化野は行方不明になった従姉妹を探したくてあの村に行ったんだ。
自分の責任だってきっと後悔して、わらにもすがる思いで、きっと。
「少なくとも、あなたの従姉妹の話は知らない。
でも、もう危ないことしないほうがいいわ」
セイが息を吐いて冷静に告げる。
「あなたたち、本当に危なかったのよ?」
「へえ? それって自白?」
「お好きにどうぞ。これ以上はなにも語らないわ。
わかったら死に急がないことね」
冷ややかに問うた化野にセイは落ち着き払ったまま答えて、空碧と椿を促すとこちらに背を向け、歩いて行った。
その背中をただ見送って、日向は怖い顔をしたままの化野の顔を見やる。
瞬間、化野の隣の席に座っていた桐生が化野の頭を叩いた。
化野はびっくりして、頭に手を当てて桐生の横顔を見る。
「とにかく、てめえは先走るな。
業腹だが、てめえが俺たちの命綱でもあるんだぞ」
「せやなあ。意味深やけど、役に立つ場合多いからな。
それで大目に見たるからこれ以上独断専行すんなや」
「ま、まあ、落ち着けよ」
低い声で窘めた桐生と忍野に対し、日向はややどもりながら声を発する。
化野は三人の顔を見て、それから小さく息を吐くと、
「……気をつけるよ」
と答えた。
昼休みはあのあと食事を食べてから解散してそれぞれの教室に戻った。
放課後の部活も変わりなく過ぎて、部室で着替えて薄暗い校庭を歩いて寮へと向かう。
「やべ。遅くなった。配信間に合うかな」
「ああ、ゲームの新情報?」
「そう。まあ大体最新情報は配信の最後にやるんだけど、ちょっと時間厳しいかも……てあれ?」
日向がポケットをあさりながら戸惑った声を上げた。
「どないした?」
「……やべ、スマホ忘れた」
鞄の中も探して青ざめた日向に、忍野は呆れ顔になる。
「あかんやん。今、彼方が使うとるの桧山先輩のやろが」
「多分部室! 取ってくる!」
「待っとこか?」
「いや、部屋帰って配信チェックしといて! アーカイブはあるけど、最新情報すぐ知りたい!」
「了解」
そのまま部室に大急ぎで走って行った日向を見送り、忍野は寮までの道を歩き始める。
忍野と日向の部屋には大型タブレットがあり、配信などの映像を見たい時は大体タブレットを使って見るのだ。
忍野はなんならここで待ちながら配信見ててもいいけど、桐生のスマートフォンを借りているため、桐生のスマートフォンにゲームの配信履歴を残すのはなんか気が引ける、と思った。(名家のお坊ちゃんなので)
「えーっと、スマホスマホ。どこ置いたかな」
部室の中に入って自分のロッカーをあさっていた日向は、不意に指先に触れた感触に「あった」と呟き、それを握る。
瞬間、部室の灯りが消えて息を呑んだ。
視線を動かすと、日向一人だった部室の入り口に三年部員二人の姿がある。
「よう、日向、お前良い度胸だなあ。二年レギュラーのくせにゲームかよ」
「そんなの先輩に関係ないと思うけど」
「そう言わずにちょっと付き合えよ」
「お断りします」
日向は「またか」と内心思った。
いかんせん強豪サッカー部の二年スタメンだ。レギュラーじゃない三年からやっかまれることはあった。最近はこういうのなくなっていたと思ったが、そうでもなかったか。
そう考えた矢先だ。
「ヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒムカイ、オオオオオオマエイイ度胸ダナア」
「チチチチチチチチチチチチチョットツキアエヨオオオオオ」
二人の言動が明らかにおかしくなり、ガクンと首を曲げ、まるで操り人形のように首や手足が妙な折れ方をしたまま話している。
その目は白目を剥いていて、それを見た瞬間に背筋がぞっと震えた。
あれ、なんか違和感があると思ったら、そうだ。
(この二人の先輩、意識不明になって病院に入院してるはずじゃん!)
歪な動きでこちらに迫ってくる二人に、日向が後ずさった時だ。
「ちょっと失礼しますよ」
戸口から聞こえた冷静な声。頼りになるあの先輩だと思った瞬間には、その桧山が二人に背後から近づいて踵落としを後頭部に叩き込んでいた。
衝撃で二人の身体が床に倒れる。
「日向くん! こっち!」
「は、はい!」
二人の身体を飛び越えて、日向は桧山に手を引かれるまま部室の外に出る。
桧山が部室の扉を閉めて、「走りますよ」と日向に言った。
そのまま走って、寮の近くまで来る。すっかり陽が沈んだ世界は暗い。
「ひとまず追っては来なさそうですね」
「た、助かりました。桧山先輩、なんであそこに?」
「宿題のノートを忘れたので取りに戻ったんですよ。そしたらあの状況でしたから」
「あ、宿題大丈夫ですか?」
「多分大丈夫です。朝練の時に回収して、すぐやりますよ」
桧山は笑顔で答えて、少し考え込む。
「しかし、相手は随分とやり方を変えたんですね」
「そう、ですよね……」
確かに、意識不明の生徒の肉体を操って襲ってくるなんて、明らかに異常だ。
「日向くん、忍野くんにも言っておいて欲しいんですが、これから先この一件が片付くまで、誰かに『部屋まで遊びに行っていい?』って聞かれても、絶対に『はい』と言ってはいけませんよ。例え誰でも、どんなに仲の良い友達でもです」
「……えっと、化野や桐生は?」
「そうですね。彼らも同じ状況なので、同じように伝えておいてください。
それ以外の相手は、絶対に駄目です」
背の高い桧山の顔を見上げて、日向は頷く。
「わかった、けど、なんで?」
「まあ、念のためと言いますか……」
桧山は顔にかけてある眼鏡のつるを指で押して、少し笑う。
「古今東西、悪いものは相手の許可を得ないと家の中には入れないものなんですよ」




