第15話 冥福
蜘蛛の糸。これは厄介なものが出た。俺はそう思った。しかし、糸といえども鋼鉄ではない。剣で切れるならば、恐れるに足りない。
俺は「強化」を最大限にした。青白い光が強まった。そして言った。
「ならば、力比べと行こうではないか……!」
そして、男へと斬りかかったのである。刻一刻と、男の顔が近くなる。このまま行けば、直撃コースは間違いがない。
そのような確信を持った時、俺の剣は塗り固められたように、動かなくなった。視界には網がある。あの厄介な糸が、剣をがんじがらめにした証拠だ。
男は高笑いしながら、言った。
「飛んで火に入る夏の虫だな。多くは語るまい。きさまは死ね!」
そう言いながら、網をたぐり寄せようとしたのである。
俺は、とっさの判断で、剣を手放した。そして、身をよじるようにしてその場を離れたのである。それをしていなかったら、俺は網にからめ取られて、取り返しの付かないことになっていただろう。
しかし、俺は丸腰になり、とうとう男に追い詰められた。そこは土地の隅である。男は剣を抜くことなく、両手で網を広げた。
「飛車角落ち、と言ったことが分かっただろう。きさまは所詮、二、三流にすぎなかったのだ」
俺は、身動きを取ることができなかった。なぜなら、土地の隅に転がっている、大きな岩が背後にあったからである。岩? 俺はとっさに、手を回した。非常に大きい。
俺は、差し迫る男に対して、振り向いた。そして、非常に大きい岩に腕を回して、つかもうとした。
「強化!」
俺は叫んだ。剣の場合のように、岩へ向かって魔力を流した。全身全霊の力である。
そして、俺はその岩を男に向かって、投げつけたのだ。単なる重さだけではなく、岩そのものが「強化」されていたのである。
男の顔に驚愕の色が浮かんだ。男はとっさに蜘蛛の糸を広げた。しかし、あまりに重い岩に対して、そのような糸は意味がなかった。
岩は、無慈悲に網を裂き、その下にある男を押し潰したのだ。男は吐血しながら絶命していた。
◇ ◇ ◇
俺は、ユリアのもとへと舞い戻ろうとした。むろん、あの憐れな子供も助けなければならない。背の低い男は戦闘要員ではないらしいが、こうなったらただでは置かない。俺はそう思った。
「ユリア……!」
そう言いながら、裏口の扉を開けたのである。
ユリアは、背の低い男と、じっと睨み合いを続けていたようだ。相手の出方がどうなるか、全く読めなかったからである。神経戦であった。
そのため、ユリアは無事だった。ユリアはこちらを向いた。
「俺は大丈夫だ。あの中肉の男は、何とか倒した」
「怪我はない?」
「ああ。しかし、ここまで来たら、あの男もただでは置かない」
そして、俺は背の低い男の方向を向いた。男は露骨にうろたえた表情を見せた。そして、荷物として抱え込んでいた、子供に何かをしようとした。その瞬間、憐れな子供が小さく呻き、その場で倒れた。
「貴様……!」
そして、俺は男の企みを止めようとした。すると、その背の低い男は、裏口を開けて、一目散に逃走を図ったのである。
「逃げるな! 必ず捕まえてやる!」
俺はそう叫んだが、ユリアはその背後で言った。
「まず子供を!」
振り向くと、子供の表情は決して思わしくなかった。器具で腕を拷問されていた時とは違い、その顔は灰色に変わっていた。死相である。
「一瞬で死にかかっている……猛毒か?」
「それはあとで調べればいい。とにかく、今は」
「そうだな」
俺は、子供の顔をまっすぐに見つめた。子供の唇がわずかに動いた。
「まだ、名前も知らないが、俺たちはここにいる。何か言いたいことがあるか? 言える余裕があるか?」
そのように大声で伝えたのである。死期が迫っていても、耳だけは最後まで聞こえている。子供はあごをわずかに動かした。そして言った。
「あり……がとう」
その声は紛れもなく、はっきりと聞こえたのである。そして、子供はゆっくりと言った。
「こどもたち、を……よろしく」
それが最後の言葉であった。子供は目を閉じて、動かなくなった。
俺は涙を流した。名前も知らない一人の子供は、ある意味では俺の運命とはまったく関係がなかった。地球の裏側で、死に至った人々と同じである。
にもかかわらず、これほどの重い感情が動いたのは、予想外であった。
ユリアはこちらへ来て、俺の頭を両手で優しく持った。それだけで、ユリアの思いは伝わった。
二時間が経った。俺とユリアは、一連の出来事の後始末を終えていた。
足がキメラ化した憐れな子供は、土を掘ってその中に埋めた。そして、後知恵ではあるが、イデアル女神の下で冥福を願った。
背の低い卑劣な男は、逃してしまった。したがって、上にどんな報告をされるか、知れたものではない。したがって、俺とユリアは行動を急がなければならなかった。
問題は、俺が倒した中肉の男である。その男の所持品はきちんと調べてみる価値があった。また、そうでなければ、死んだ子供が浮かばれないであろう。
俺とユリアは、所持品の一切を押収した上で、明日に備えることにした。しかし、俺はあまり食欲が湧かなかった。重苦しい感情を覚えていたからである。
ともあれ、異世界転生した以上、やれるだけのことは遂行する必要があった。




