第14話 蜘蛛
そして、器具の内側に付いているトゲの列は、みるみる内に、腕の肉の中にめり込んだ。
常人ならば、深層に達するほどの傷であった。にもかかわらず、子供は叫び声一つ、出していない。ただ、顔がいくぶん蒼ざめているだけである。
そして、トゲの列が肉から抜き取られた。むろん、子供の腕の状態は、酸鼻をきわめている。
不思議なことはそれからである。俺がそれを見つめていると、肉と肉の間が埋まり始めたのである。少しずつであるが、見間違いではなかった。傷の再生・回復である。
中肉の男は、器具と子供の傷を見比べた。そして言った。
「どうやら、本物か」
「お分かりいただけたなら、と思うわ」
「『実験体』に対して、こんなに深々と傷をつけられるのは、本物でしかないからな」
「じゃあ、対価については、ご考慮いただけることでしょうね」
すると、男はテーブルの上に、膨らんだ袋を置いた。仮に中身が金貨だとするなら、ずいぶん多額である。
そして男は言った。
「対価はある。事前に伝えておいた通りだ」
「では——」
すると、男はみるみる、曇った顔つきをした。
「しかし、この取引には、不満があるな」
俺はぎくりとした。まさか贋作であることがバレたのか? しかし、さっき、男は「本物だ」と言ったはずではないか?
俺はユリアを見ると、ユリアは緊張の表情を浮かべていた。そして言った。
「不満? リガルドの製造器具は、本物であると認めていただいたはずですが?」
「そうではないのだ。誤解しては困るな。あなた方にあまりに有利すぎる取引だから、ということだ」
「何が言いたい?」
「この額の対価だけではなく、俺たちの方から、プレゼントを追加したい」
ユリアは言った。
「虚実交えた取引をするつもりはない。もし不満があるなら、減額して私たちは受け取るわ」
「ふうん。じゃあ、これが俺たちからのプレゼントだ」
そう言って、中肉の男は手を伸ばして、膨らんだ袋をほどいた。
そこにあったのは、金貨ではなかった。水晶玉か? しかし、そう気づいた次の瞬間、俺の視界は闇に包まれた。俺はすぐさま、見えぬままに剣を抜いた。
「ユリア!」
俺はそのように叫び、ユリアはこれに呼応した。気配でそのことが分かった。
二人組の男は、高笑いしながら、言った。
「この世界では、まじめに取引しようというのが、そもそもバカなんだよ! リガルドの深い情報を知っている虫けらどもは、一人残らず消すしかないな!」
中肉の男の声が、そう聞こえた。そして、俺は腹に打撃を受けた。もし、とっさに「強化」を身体に纏っていなかったら、どうなっていたか分からない。
最初の一撃は、目くらましのようだった。俺は、闇の中から視界を取り戻した。ユリアも同様である。
中肉の男は、剣を抜いていた。背の低い男は、戦闘要員ではないらしい。
しかし、そんなことはどうでも良かった。降りかかって来る炎は、完膚なきまでに鎮めなければならない。ここが最初の天王山である。俺はそう思った。
(……強化!)
俺はそう念じながら、剣に魔力を帯びさせた。剣が薄青く光った。
そして、断固とした構えを取りながら、男へと攻撃を行おうとした。すると、中肉の男は裏口の近くに寄っていた。そして、扉を開け放って、言った。
「来いよ。どうせ、その女は戦闘とは違う能力者なんだろう? サシでやろう、どちらかが死ぬまでな」
「ああ、望むところだ……!」
裂帛の気合いであった。
そして、俺と中肉の男は外へと出た。
そこはだだっ広い空き地で、草が点々と生えている。なぜか、土地の隅には大きな岩が転がっていた。ここなら、存分に動いても、建物を壊すという心配はない。
俺は、間合いをしっかりと取りながら、言った。
「そうだ。名前くらい、最後に聞いておこう」
「掲示板を見ていなかったのか?」
俺はその符牒が読めないのだということは、言わなかった。
「見ていたが、下の名前は書いてなかったのでな」
「どうせ偽名だが」
「偽名はお前らにぴったりだ。墓碑にその偽名を刻み込んでやる」
「死ぬのは、きさまの方だ……!」
そして、男はこちらに斬りかかった。速い。そう思った。これが、一撃で死にかねない実戦なのか。俺は、男の攻撃と切り結びながら、戦い方を考えていた。
男は、ほくそ笑みながら言った。
「下手の考え休むに似たり、と言うものだ。きさまは戦い慣れていないな。太刀筋からそれが分かる」
「だとすれば、何だというのだ」
「今、こう思っているだろう? 俺は人生の主人公だ。これは俺の物語だ。だから、死ぬことはない、とね。残念! 人間は死ぬし、きさまも死ぬんだよ! 今から、そのことを教えてやろう」
そして、男は何やら、口の中からねばねばしたものを吐き出した。そして、手の中に取ったのである。
俺は、最大限の注意を払って、その様子を見ていた。驚くべきことに、男の口周りは人間のそれではなかった。
蜘蛛。その腹にある突起器官が、なぜか口にくっ付いているのだ。いわば、糸を出す尻の側が、あべこべに口となっているのである。
しかし、それを不審に思っている暇はなかった。男は、手の中にあるものを練りながら、言った。
「剣は使わない。飛車角落ちでやってやるよ。来い」




