第10話 芳香
「話を戻すと、私は憎むべきドムスの下で、絶望的な生活を送っていた。もしリボンをつけた上で、信仰を貫くことができなかったら、とうの昔に舌を噛み切っていたところよ。
その中で、私の才能が開花した。巨大な災いに、幼い子供が襲われた時、サバイバルのために異能が発現することは多いの。
私は十年間、ドムスの組織の下で雑用に使われながら、密かに魔法を練習した。
面従腹背によって、一人で立つ実力がなければ、すぐに逃げ出しても無駄だった。一罰百戒、王国のお尋ね者となり、自滅することが明らかに想像できたの」
「王国のお尋ね者、か。俺も同じだ」
「そして、これ以上タイミングを逃すのは待てないと思われるほど、私は実力を蓄えた。そのあかつきに、逃走を開始したのよ。その頃には、監視の目も緩くなっており、だから追っ手は一人だけだった」
「しかし、『実力を蓄えた』という割には、裏通りで追われていた時、か弱い女に見えたのは、なぜだろうか?」
俺は、シンプルに疑問だった。ユリアは答えた。
「単純に、私が弱く、追っ手の男が強かったからよ。私は、ろくに学校に行っていないし、ドムスのアジトは劣悪な環境だった。それに加えて、目立ちたくもなかったの。もし大掛かりな魔法を展開すれば、良くないことになる恐れもあった」
「なるほど——ところで、ユリアの年齢は何歳なの? 十年間、ドムスに使われていたと言ったけれども」
俺は、そんな素朴なことも聞き忘れていたのだ。それくらい、異世界転生は疾風怒濤だったのである。
「十七歳。六、七歳の時に拉致されたから」
「そうなのか」
俺とユリアは、背丈も顔付きも、同世代である。にもかかわらず、これだけの人生の違いがあるとは、どういうことだろうか。俺は自問自答した。
「まあ、とにかく、このような次第で魔法を身につけた上で、逃げてきたということね」
ユリアはそのように話をまとめた。そして付け加えた。
「ジュンも、きちんと修行しなきゃね」
壮絶な経験をしているユリアの言葉だったので、それには説得力があった。俺は、魔力の発動が苦手だと思っていた自分自身が、恥ずかしくなった。
俺は、改めて「強化」の感覚をつかもうとして、研鑽したのである。
日が暮れる頃には、何とかなる、という感覚が得られた。ユリアのアドバイスも丁寧だった。
俺とユリアは、宿に戻った。ユリアは言った。
「これから、一人でやれそう?」
「教えてくれてありがとう。まあ、大丈夫ではないかな」
「そう。良かった。なら、私はこれから、やらなければならないことがあるから、明日は別々で動くわ」
「ん? ああ、あれか」
「そう。肝心の贋作よ」
拷問の器具の贋作。もちろん、ユリアに聞かされていたが、その贋の器具はすぐに壊れてしまうのである。ただ、取引で確認する時、外側だけが本物のように見えていればいいのだ。
俺はそれについて聞いた。
「じゃあ、その贋作をどうやって調達する? 不可能ではないが、かといって容易とは思えない」
「自分自身で作れれば理想だったけど、そのためには技術力が足りないわ。だから、然るべき筋の人間に頼むことにする」
「それでは、すぐにバレてしまうじゃないか」
「そうではない。その精神を操作して、作らせるの。リスクのあるカードだが、その価値はあるわ」
「操作? では、先日の家のこともそうだが、ユリアの魔法力は——」
「察しが早いわね。その通りよ。私の魔法は人間の精神を『操作』するの」
俺は、やっと話を理解した。といっても、そんなことができるだろうか? 魔法についても、知らなければな、と俺は思った。
「精神を操作できるとしたら、何でもできるじゃないか」
「いいえ。そうではない。私はろくに学校に行っていないということを忘れないで。私が使えるのは、そのレベルのものだけよ」
俺は合点した。無謀な賭けに突っ込んでいくような、ユリアではないだろう。そして、話を戻した上で、翌日は別行動を取ることで打ち合わせをしたのである。
もちろん、ユリアと俺の部屋は別々に取っている。俺はユリアと「おやすみなさい」を言い、部屋の中に戻って、一人になった。
俺の身体は若返っており、しかも魔法すら使えるようになっていたが、これに対して転生した世界は、紛れもなく過酷だった。
リガルド。これは人間の苦痛を代償として花開く、おぞましい麻薬だ。ロラン王国にはこれが蔓延している。
イデアル女神は、「あなたの本質にぴったりとするような世界」に俺を転生させると言った。
しかし、リガルド撲滅が俺の本質か? 俺の前世の家系に、官の世界でお堅い仕事をしている人間は、一人もいないぞ。
俺はそのように自問自答した。しかし、その時、イデアル女神のふわりとした衣服、その衣擦れ、そして漂う芳香を思い出し、しかもそれがユリアの容姿と混じり合った。そして、前世で好きだったアイドルとも絡み合って、しまいにはわけがわからなくなった。
おそらく、自分自身でも意識はしなかったが、「強化」の修行のせいで、疲れているのだろう。
身体を拭き、コップの水を一杯飲んだら、急速に眠気が襲ってきた。
俺は、ごろりとベッドに横になると、すぐに意識を失っていった。




