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秋葉原メモリー・リライト――壊れた端末に残る記憶の幽霊  作者: 伊達ジン


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第6話 持ち主の違う記憶

 再起堂PCサービスの奥に据えられた作業台。その上を照らすアーム付きLEDの無機質な白い光の下で、銀色の金属カバーに覆われたむき出しのベアドライブが鈍い光を放っていた。それは、秋葉原のジャンク屋や修理店で何千回、何万回と目にする、ありふれた2.5インチのストレージ部品にすぎない。だが、その表面に貼られた古びた仕様ラベルの端――わずかな余白部分に、黒の油性ペンで小さく、しかしはっきりと手書きされた文字列が、悠作の視線を完全に釘付けにしていた。


『R-17-05』


 悠作は、右手に持っていた精密ドライバーを作業マットの上にコトリと置くことすら忘れ、鋭く冷ややかな視線でその記号を睨みつけていた。周囲の換気扇の低い唸り音や、表通りからかすかに届く秋葉原の喧騒が、まるで遠い水底の出来事のように遠ざかっていく。

 数日前、真紀が自ら破壊したスマートフォンの基板に残されていた『03』。そして、彼女の潔白を証明するために送りつけられた圧縮データに付与されていた『08』。それに続く、第三の枝番号。

 まったく無関係であるはずのアキバボックスの未回収品の中から、こうして同じ符丁が現れた。

 五年前、あの取り返しのつかない失敗。その引き金となった作業台の上で、嫌というほど目にした文字列が、今、この秋葉原の街で再び目の前に現れた。偶然にしては、あまりにも出来すぎている。過去の亡霊が、じわりと足元から這い上がってくるような不気味さを覚えながら、悠作は冷や汗をにじませた。


「悠作……? どうしたの、その番号がどうかした?」


 カウンター越しに覗き込んでいた千尋のいぶかしげな声で、悠作は薄暗い過去の底から現実の作業台へと乱暴に意識を引き戻された。

 ゆっくりと視線を上げると、青ざめた顔で丸椅子に座り込むすずの姿が目に入る。荒い呼吸はまだ完全には整っておらず、作業台の縁を掴む指先は血の気を失って白く強張っていた。得体の知れない怪異――他人の生々しい悲鳴や雨の記憶――に触れた彼女の身体は、限界に近い緊張状態にあった。


「……いや。それより、高橋さん」


 悠作は傍らに置かれていた結露した缶コーヒー――先ほどすずが差し入れてくれた、手つかずのまま置いてあった微糖の缶――を手に取り、彼女の目の前にコツンと置いた。


「冷たいものでも握って落ち着け。あんたの仕事はもう終わった」

「あ……すみません、悠作さん……」


 すずは震える両手で、冷えたスチール缶をそっと包み込んだ。手のひらに伝わる物理的な、鋭いほどの冷たさが、彼女を過去の幻影から、はんだの匂いが漂う現在の再起堂へと引き戻していく。

 何度か深く瞬きをして、すずは小さく、しかし確かな息を吐き出した。こわばっていた肩の力が少しだけ抜けるのを確認し、悠作は再び手元のドライブへと向き直った。


 その様子を、千尋は腕を組んだまま見つめていた。すずの異常な反応に対する警戒と、悠作の不可解な態度に対する胡乱な視線は、まだ完全には解けていない。


「ねえ、悠作。さっきあんたが言った『ニコイチ』って話だけど」

「ああ」


 悠作は淡々と答えながら、取り出した内蔵ドライブのSATA端子部分をルーペで覗き込み、接点の摩耗具合を確認し始めた。過去の記憶を押し殺し、あくまで一人の修理屋としての顔を取り繕う。


「中身のハードディスクに印字されている製造年は、外側のプラスチックケースの裏面にある金型の製造ロットより3年も古い。端子の金メッキの剥がれ方を見ても、このドライブがケースよりも長く使われてきたのは明らかだ。どこかの誰かが、古いドライブを比較的新しいケースに詰め替えたってことだ。自作PC界隈やジャンクパーツを漁る連中の間じゃ、ニコイチなんて珍しい話じゃない」

「……つまり、この中身のドライブに残っているデータは、うちの委託者である20代の独身男性のものとは限らないってこと?」

「そういうことだ」


 悠作はルーペを作業マットに置き、カウンター越しの千尋をまっすぐに見据えた。


「高橋さんが読み取った『小さな子供』や『泣きながら謝る女性』の様子は、間違いなくこのドライブの『前の持ち主』の記録だ」


 千尋はあからさまに眉根を寄せた。


「ちょっと待って。あんた、さっきからなんなの? すずちゃんが他人の生活の残骸に触れて気分が悪くなったって言うならまだ分かるけど、まるでこの子が『データを見る前に中身をピタリと言い当てた』みたいに聞こえるんだけど」

「みたい、じゃない。こいつは機械に触ると、前の持ち主の記憶が見えることがあるらしい」

「は?」


 千尋の低い声が作業場に響いた。彼女の目は完全に冷え切っている。


「あのねえ。触っただけで他人の悲鳴が聞こえるとか、そんな手品みたいなオカルト話、あたしが信じるとでも思ってるわけ?」

「信じられないだろうが、事実だ、千尋」

「……」

「俺も最初は疑った。だが、こいつが触れて感じた内容が、隠された物理データと寸分違わず一致するのを、俺は実際にこの目で確認している」


 千尋はしばらくの間、淡々と告げる悠作の真剣な横顔と、丸椅子で縮こまっているいまだに顔色の悪いすずを交互に見比べていた。やがて、大きくため息をつく。


「……あんたが技術に絶対嘘をつかないってことくらい、あたしだって知ってるよ。でもね、だからって幽霊の声でうちの委託品をどうこうするわけにはいかないの。報告書にそんなオカルト書けないでしょ」


 そう言いながら、千尋は着ていたパーカーのポケットをごそごそと漁り、何かをすずの膝の上へ放り投げた。

 ぽす、と軽い音を立てて落ちたのは、市販の塩飴だった。


「あ……」

「オカルトは信じない。でも、あんたが演技じゃなく、本気で身を削ってうちの預かり物のために動いてくれたことだけは認める。これ以上追及するのは大人げないからね」


 千尋はふいっと視線を逸らし、首から提げたスタッフ証の横にある業務用のスマートフォンを素早く取り出した。


「舐めときな。そんなに危なっかしいと、うちの預かり物の件が片付く前に、そこの修理屋が胃に穴をあけて倒れちゃうからさ」


 辛辣な言葉の裏に隠された不器用な労わりに、すずは小さく瞬きをして、それから「……ありがとうございます」と塩飴を握りしめた。


「それで……裏付けを取るなら、購入経路くらいはうちの決済記録から辿れるかもしれない」


 千尋はスマートフォンの画面をタップし、アキバボックスの委託管理システムへアクセスする。彼女の長い爪が、的確にディスプレイのアイコンを叩いていく。日頃から多数の委託品と顧客を管理している彼女ならではの、澱みのない手際だった。


「お前の店の記録で、他店での購入履歴まで分かるのか?」


 悠作が眉を寄せると、千尋は得意げに口角を上げた。


「甘いね、悠作。このHDD、委託品としてうちのボックスに入る前に、代理受取のサービスを経由してるの。委託者の男が、ネットかどこかで買った荷物を直接うちの店宛てに発送させて、あたしらが受け取った後、そのままボックスで委託販売に回した形跡があるんだよ」


 千尋は画面をスクロールさせながら、電子決済の履歴と、過去の配送控えのデータを照合していく。長い爪の先が画面を滑り、やがてピタリと止まった。


「……あった。2年前の配送控えのデータ。発送元は、秋葉原のジャンク屋専門のネットオークション業者だね。品名は『ジャンク外付けHDD・部品取り用』。備考欄に……『パソコン修理店・閉店処分品一括仕入れ分』って書いてある」


『閉店処分品』――千尋が読み上げたその言葉と、ドライブに記された『R-17』の文字列が、悠作の脳内で一瞬にして結びついた。

 五年前、秋葉原の片隅でひっそりと消えたあの店。そして、自分が関わってしまったあの最悪の失敗。

 なぜ今になって、アキバボックスの未回収品からその残滓が現れるのか。目の前にある銀色のドライブが、まるで過去から送られてきた不穏な呼び出し状のように見え、悠作は無言で奥歯を噛み締めた。


「……千尋。そのオークション業者の名前は?」

「ん? 『アキバ・ジャンク・トレード』だって。今はもうアカウント自体が消えてるみたいだけどね」


 悠作は黙って頷き、再び手元の銀色のドライブへ視線を落とした。

 なぜ自分の過去の因縁が、無関係なはずの千尋の持ち込み品から出てくるのか。点と点がつながらず、不気味な偶然が頭の中で渦を巻く。五年前にどこかの家庭で記録され、誰かの手で中古市場へ流れた記憶の残滓。それが、今こうして再び自分の前に現れたのだ。


「それで十分だ」


 悠作が会話を切り上げるように、作業台の横にある検証用PCの電源を入れた。低いファンの駆動音が、静かな店内に響き始める。


「高橋さんの言葉は、あくまでどこを調べるかのアタリをつけるためのものだ。裏付けなら、俺がこの基板から引きずり出してやる。千尋、私的なファイルは一切開かない約束だったな?」

「うん。写真とか文書ファイルの中身は絶対に見ないで。連絡先の手がかりになるようなシステムログとか、接続履歴、そういうのだけお願い。料金はちゃんと払うから」

「分かってる」


 悠作はベアドライブにSATA-USB変換ケーブルを取り付け、検証用PCに慎重に接続した。

 ウィーンという低い駆動音とともに、ディスクが回転し始める。幸い、物理的なクラッシュやヘッドの損傷は起こしていないようだ。悠作はデータ復旧用の専用フォレンジックツールを立ち上げ、ユーザーからは見えない不可視領域にあるシステムログや、過去の接続履歴の解析を開始した。


 黒い背景のモニターに、ヘキサダンプされた白い文字列が滝のように流れていく。

 悠作はキーボードに指を載せ、無機質に流れるコードのタイムスタンプとセクタ番号を目で追った。特定のセグメントでスクロールを止め、異常なエラー値を示す数行をハイライトしていく。数千台のストレージを診てきた彼の指先が、ディスプレイの向こうに潜む微小な不整合を、正確に捉えようとしていた。

 やがて、カチリとマウスをクリックする音が響き、画面の動きが完全に止まった。


「……どうしたの、悠作さん」


 すずが、悠作の背中から漂う僅かな緊張を感じ取って身を乗り出した。


「……接続履歴と、システムの処理ログが出た。だが、妙だな」


 悠作の低い声に、千尋もカウンター越しに画面を覗き込む。


「どう妙なの?」

「このドライブ、今の持ち主の元へ渡る前……つまり、数年前に、一度データ復旧のプロセスをかけられている痕跡がある。それも、かなり古いタイプの支援ソフトを使った形跡だ」


 悠作はマウスを操作し、ログの一部分を黄色くハイライトした。


「見てみろ。このセクタに残っている独自の署名。それに、この修復されずに放置された音声ファイルの断片データ……」


 悠作が示した画面の文字列を見つめたまま、すずの喉が小さく鳴った。まだ冷たさの残る缶コーヒーを握る手に、ぎゅっと力がこもる。

 彼女には技術的なコードの意味は分からない。だが、その画面の配置と、モニターの光に照らされた悠作の険しい横顔には見覚えがあった。つい数日前、真紀のスマートフォンを解析した時と、全く同じ空気がそこにあった。


「それって……」

「ああ」


 悠作は低く唸るように言った。


「……真紀のスマートフォンのmicroSDに残っていた処理痕と、酷似している。使われた古い復旧ソフトの署名……いや、それだけじゃない。この壊れた音声ファイルの破損パターンまでが、あのデータと同じ規則性を示している」


 偶然などという言葉では、到底片付けられない。

 真紀が失踪前に使っていたスマートフォンと、千尋が持ち込んだ持ち主不明の古い外付けHDD。持ち主も、使われていた年代も、用途も全く違う二つの機器。

 それらが今、同じ『R-17』という符丁によって、不気味に繋がりかけていた。

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