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秋葉原メモリー・リライト――壊れた端末に残る記憶の幽霊  作者: 伊達ジン


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第2話 見えたもの、残ったもの

「あんたの友達のスマートフォンを、最後に持っていたのは、おそらく本人じゃない」


 悠作の低く落ち着いた声が、静まり返った再起堂の作業場に響いた。


 すずは丸椅子に座ったまま、モニターに映し出された解像度の粗いサムネイル画像を食い入るように見つめた。

 同人ゲーム制作サークルの進行管理と、メイドカフェの裏方業務。ただでさえ睡眠不足が続いていたところに、沢村真紀の失踪、そして先ほど破損したスマートフォンから読み取った『記憶の幽霊』による強烈な負荷が重なっていた。指先はまだわずかに冷たく、こめかみの奥には鈍い痛みが居座っている。

 だが、画面の中の不鮮明な画像が、彼女の睡魔を完全に吹き飛ばしていた。


 画像には、どこかのガラス面――おそらく駅の案内板か、ショーウィンドウ――に反射した人物の姿が写り込んでいる。解像度が低く、ノイズも混じっているため顔までは判別できない。しかし、その人物はスマートフォンを顔の前に構え、こちらへレンズを向けていた。

 すずの心臓が、不安で嫌な音を立てる。


「……真紀じゃ、ありません」

「言い切れるか」

「はい。真紀はこんな服、持ってません。真紀はいつも、もっと動きやすくて飾り気のないパーカーばかり着ています。徹夜で作業する時なんかは特に、髪も適当に結んで、おしゃれなんて二の次になるくらい集中する子なんです。それに、手……」


 すずは身を乗り出し、画像の隅、スマートフォンを握る指先を指した。


「真紀は同人ゲームのスクリプトを組むから、キーボードが打ちやすいように爪はいつも短く切って、透明なベースコートしか塗らないんです。でも、この指先は違います。うっすらと色がついているし……それに、指の形も。真紀の指はもっと細くて、関節が目立つから。スマホの持ち方も、真紀なら片手でこんな風には持ちません」

「なるほど。十分な根拠だ」


 悠作はマウスを操作し、画像のメタデータを別のウィンドウへ並べた。黒い背景に白と緑の文字列が無機質に並ぶ。彼の視線はディスプレイに釘付けになったままだ。店内に響くのは、古い換気扇の音と、悠作が叩く乾いたキーボードの打鍵音だけだった。


「整理しよう。このスマートフォンの本体システムは、4日前の夜、23時14分に完全に死んでいる。だが、この画像がmicroSDに書き込まれたのは3日前の昼。本体が死んでいる以上、このカードは別の機器……例えばノートPCや別のAndroid端末に差し込まれたということだ」


 すずは、悠作の言葉を脳内で慎重に反芻した。


「真紀以外の誰かが、壊れた真紀のスマホからカードを抜いて、自分の端末でこれを見たってことですか?」

「ああ。OSの仕様上、外部ストレージを読み込んだ際に勝手にキャッシュやサムネイルが生成されることはよくある。これはその痕跡だ。誰かが中身を確認しようとして、無意識に痕跡を残した。あるいは、データを別の場所へ移そうとしたか」


 悠作はキーボードを叩き、今度は専用のフォレンジックツールでmicroSDの奥深く、不可視領域やシステムフォルダの残骸を探り始めた。黒い画面に、緑色の文字列が滝のように流れていく。

 その横顔は冷徹で、ただ目の前の事実だけを追っていた。

 すずは自分の両手を見下ろした。さっき、ひび割れた画面に触れた時に流れ込んできた感覚が、生々しく脳裏にこびりついている。

 異常な感覚。電子機器に残る「誰かの強い感情」を拾ってしまう体質。今まで誰に話しても、気味が悪いと遠ざけられるか、疲れているだけだと笑われるかだった。自分でも、この感覚をどう扱えばいいのかわからず、ただ蓋をして隠してきた。

 だが、目の前にいるこの店主は違った。


『変なことかどうかは、裏付けが取れてから決める』


 その言葉が、すずの中に小さな芯を作っていた。

 すずは小さく深呼吸をして、先ほど悠作に渡されたメモ帳を手に取った。


「鈴木さん。さっき私が見たもの……もう一度、整理していいですか」


 すずが声をかけると、悠作は画面から目を離さずに「やってみろ」と短く応じた。


「推測は混ぜるなよ。見えたものだけを言え」

「はい。女性の声で『返して』と聞こえました。でも、それは真紀の声じゃありません。もっと切実で、泣きそうな声でした。私が感じたのは、激しい雨、水たまりを強く踏む音。万世橋の近く。赤いランプが並ぶ金属のロッカー。……それと、スマートフォンを操作する、誰かの手」


 すずはモニターのサムネイル画像を見据えた。


「その時の手の感覚が……さっきの画像の手と、似ていたような気がします」

「……」


 悠作はキーボードを叩く手を止め、画面のスクロールをピタリと止めた。

 彼が抽出したテキストデータの断片が、ハイライトされて浮かび上がる。


「見つけた。通知キャッシュの残骸だ」

「通知、ですか?」

「ああ。スマホの上から降りてくる、アプリの通知履歴だ。本来の本体は死んでるが、別の端末にこのmicroSDを刺した時、その『別端末』が受け取った通知のキャッシュの一部が、カード側に書き込まれたらしい。普通はすぐ上書きされて消えるような微細なデータだが、断片が残ってた」


 悠作が指差した画面には、意味不明な文字列に混じって、わずかに読み取れる英数字があった。


『...cker_PIN_4...』

『smart-box...』


「スマートロッカーの利用通知と、ワンタイム暗証番号の一部だ。ドメインは国内大手のロッカー運営会社のものだな」

「それって……」

「あんたの証言した『赤いランプが並ぶロッカー』と、このデータ。完全に一致する」


 悠作は作業用コピーの保存を確認し、元のmicroSDを安全に取り外した。即座にPCをロックし、椅子の背にかけてあった薄手のジャケットを羽織る。


「行くぞ。万世橋だ」


 迷いのない行動に、すずは弾かれたように立ち上がった。


「私も行きます」

「顔色がまだ悪い。足手まといになるなら置いていくぞ。現地に行っても、お前のその力に頼るつもりはない」

「大丈夫です。行かせてください。真紀のことなんです」


 すずが強く睨み返すと、悠作はわずかに視線を泳がせ、観念したように小さく息を吐いた。


「……勝手にしろ」とだけ言って、彼は店のシャッターキーを手にした。


★★★★★★★★★★★


 夜の秋葉原は、昼間の騒熱が嘘のように別の顔を見せる。

 裏通りから中央通りに出ると、まだ観光客や仕事帰りの人々で賑わっているが、街全体を覆う空気はどこか涼しげだった。メイドカフェの派手な制服を着た女の子たちが、プラカードを持って通り沿いに立っている。すずも週に数回、裏方としてあの仕事を手伝っているため、ついそちらに目が行ってしまう。彼女たちの笑顔の裏にある疲労を知っているからだ。

 隣を歩く悠作は、呼び込みの声に見向きもせず、人混みを縫うようにして長い脚で足早に歩を進めていた。すずは遅れまいと必死についていく。


「ほらよ」


 ふいに、悠作が立ち止まり、近くの自動販売機で買ったペットボトルをすずに放り投げた。


「え、あ、ありがとうございます……」


 慌てて受け取ると、手のひらに冷たいスポーツドリンクの結露がにじむ。火照っていた手に、その冷たさが心地よかった。


「糖分と水分を入れとけ。途中で倒れられて、俺が誘拐犯に間違われたら面倒だ」


 言うが早いか、悠作は自分の分の缶コーヒーのプルタブを開け、再び歩き出す。すずは冷たいボトルを両手で握りしめ、小走りで彼の隣に並んだ。


 きらびやかなネオンの下、肩が触れそうな距離で並んで歩く。ふと、周囲を行き交うカップルたちが目に入り、すずは急に自分の耳が熱くなるのを感じた。

 隣を歩いているのは、端正な顔立ちをした同年代の男性。ぶっきらぼうで口は悪いが、体調を気遣って飲み物を買ってくれるさりげない優しさがある。


(違う。真紀を探すためだ。変なことを考えるな、私)


 すずは慌てて頭を振り、冷たいペットボトルを頬に押し当てて熱を冷ます。

 悠作の横顔を盗み見る。彼はただ、前だけを見据えていた。彼にとって自分は、検証すべきデータソースの一つにすぎないのだろう。彼の視線の先にあるのは、真紀という失踪者と、機械に残されたデジタルな事実だけだ。

 それでも。

 自分の感覚を、隣で現実のデータと照らし合わせてくれる人がいるという存在が、すずの心をどれほど救っているか、彼は知らないだろう。一人で抱え込んでいた気味の悪い体質が、今夜初めて、誰かを探すための意味を持ち始めている。


「万世橋だ」


 悠作の声に、すずはハッと顔を上げた。

 目の前には、神田川にかかる万世橋。歴史を感じさせる赤レンガの美しいアーチが、夜の街灯に照らされて暗い川面に影を落としている。遠くに見える電気街の極彩色のネオンとは対照的に、この橋の周辺はしっとりとした暗さを保っていた。


 夜の万世橋。川面をすべる湿った風が、すずの頬を撫でた。


 悠作は橋を渡らず、高架下の暗がりや、周辺の商業ビルの壁面へ視線を走らせた。周囲にはいくつかのコインロッカーが設置されているが、悠作は古い鍵穴式のものには目もくれなかった。

 ほどなくして、薄暗い路地の一角に、壁に埋め込まれるように設置された赤いランプの列を見つけた。


 スマートロッカーだった。


 従来のような物理キーや硬貨の投入口はなく、中央のタッチパネルに暗証番号やQRコードを入力して開閉するタイプだ。使用中のボックスには、小さな赤いLEDランプが点灯している。


「あの赤いランプ……」

「ああ。あんたが見たものと同じだろ。監視カメラも一応上についてるが、この暗さだと顔までは抜けないかもしれないな」


 悠作はロッカーに近づき、側面に貼られた運営会社のステッカーを確認した。


「さっき抽出したキャッシュのドメインと一致する。間違いない、ここだ」


 暗闇にずらりと並ぶ、スマートロッカーの赤いLED。この小さな金属の箱のどれかの中に、真紀の失踪に繋がる、決定的な何かが眠っている。すずは思わず唾を飲み込んだ。スマートフォンを通して感じた、あの冷たい金属の感触がフラッシュバックする。


「ビンゴだ。だが、勝手には開けられないな」

「暗証番号が、分からないからですか?」

「それもあるが、他人のロッカーを無理やりこじ開けたら立派な犯罪だ。俺たちはただの修理屋と依頼人で、警察じゃない」


 悠作はポケットからスマートフォンを取り出すと、迷いのない手つきで画面をタップし、誰かへメッセージを送り始めた。


「真っ当な手続きを踏む。管理会社に開けさせるための、適任者を知ってる」


 かすかに光る画面を見つめる悠作の横顔を、すずはただじっと見つめ続けた。

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