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秋葉原メモリー・リライト――壊れた端末に残る記憶の幽霊  作者: 伊達ジン


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10/12

第10話 閉店後の忘れ物

 週末の午前中。秋葉原の中央通りから一本外れた裏通りは、午後からの歩行者天国を控えて、どこかそわそわとした空気を纏っていた。

 路地裏に立ち並ぶパーツショップの軒先には、ジャンク品の詰まったコンテナや特売のケーブル類が雑然と並べられている。その間を縫うようにして、鈴木悠作は大きな紙袋を二つ提げて歩いていた。その隣を、古着風のワンピースにショートブーツを合わせた渡辺千尋が、軽快な足取りで並んで歩いている。


 夏の日差しがアスファルトを焼き、照り返しが容赦なく肌を刺す。千尋の明るめのハニーブラウンの髪が、生ぬるいビル風に揺れていた。


「いい天気だねえ。たまにはこうやって太陽の下を歩くのも悪くないでしょ」

「行き先が業務用スーパーとホームセンターじゃなければ、同意してやったかもしれないな」


 千尋の機嫌のいい声に、悠作はため息交じりに返した。両手に提げた紙袋には、店舗の清掃用具や大容量のコーヒー豆、それに細かい備品がぎっしりと詰まっている。紙袋の硬い持ち手が指に食い込む感覚に、悠作は密かに顔をしかめた。

 千尋は悪びれもせず笑った。はっきりとした目鼻立ちが、面白そうに歪む。


「毎日毎日、あの薄暗い店に引きこもって、はんだごての煙ばっかり吸ってるあんたを、わざわざ外に連れ出してあげたんだから感謝しなさいよね」

「重い洗剤やらコーヒー豆やらを買い込むための荷物持ちが必要だっただけだろ」

「人聞きの悪いこと言わないでよ。ちゃんとご褒美にアイスコーヒー奢ったでしょ」


 千尋が手にしたプラスチックカップのストローを咥える。悠作の右手にも、結露で濡れた同じカップが握られていた。冷たいコーヒーの苦味が、喉の渇きをわずかに癒してくれる。

 彼女はレンタルボックス店『アキバボックス』の店長代理として忙しいはずだが、こうしてたまに強引な理由をつけては悠作を連れ出す。買い出しという名目で不摂生な生活を見かねて引っ張り出しているのだと分かっているから、悠作も結局は文句を言いながら付き合っていた。


「……で、お前の店の方はどうなんだ。最近、妙な預かり物は来てないか」


 悠作が話題を変えるように問いかけると、千尋はストローから唇を離し、少しだけ歩調を緩めた。


「うち? うちは相変わらずよ。持ち主が引き取りに来ない得体の知れない箱とか、怪しいジャンク品とか。……まあ、連絡がつかなくなるお客さんなんて、この街じゃ珍しくもないけどね」


 千尋の口調はいつも通り軽かったが、言葉の端に微かな陰りが混ざった。

 以前彼女が持ち込んだ、持ち主の分からない外付けHDDの件が悠作の頭をよぎる。期限を過ぎても戻らない客への、彼女なりの後悔。だが、それをここで言葉にするほど悠作は無粋ではない。手元の紙袋を持ち直すことで、意識を切り替えた。


「あんまり不良在庫を溜め込むなよ。お前の店がガラクタ屋だと思われるぞ」

「失礼ね、ちゃんと管理してるわよ。あんたこそ、ロクに寝ないで修理ばっかりやってて倒れないでよね」


 千尋はそう言って、悠作の肩を軽く小突いた。遠慮のない、実務上の協力者としての距離感。それが今の悠作にとっては気楽だった。


 千尋と別れて再起堂PCサービスへ戻ると、店内の空気は外の暴力的なまでの陽気とは打って変わって、ひんやりとした静けさに満ちていた。

 ジャンクパーツの埃っぽい匂いと、微かな機械油、それに長年染み付いたはんだの匂いが混ざり合っている。

 カウンターの奥では、高橋すずがパイプ椅子に座ってバインダーを広げていた。同人ゲームの進行表かシナリオのチェックをしているらしい。週に数回入っているメイドカフェの裏方業務のシフト明けなのか、いつものブラウスにカーディガンという落ち着いた服装だ。足元では、子猫のロムが彼女の足首にすり寄って喉を鳴らしている。


「あ、悠作さん。おかえりなさい」

「ああ。……店番、助かった」


 悠作は紙袋をバックヤードに置き、そのまま店舗の奥にある勝手口へ向かった。


「一服してくる。何かあったら呼べ」

「はい」


 勝手口の重い鉄扉を開け、湿った裏路地の空気を吸い込みながら、悠作はポケットから煙草の箱を取り出した。一昨日の夜、他人の記憶に当てられて倒れかけた彼女の顔色が、昨日よりは少しマシになっていることに内心で息を吐く。

 ライターのフリントを弾き、火をつける。短く数口だけ深く吸い込み、肺を満たした紫煙を細く吐き出した。携帯灰皿に火を押し付けると、悠作は再び店内へと戻った。


 悠作が作業台の前に腰を下ろそうとしたその時、入り口のドアベルがカランと涼やかに鳴った。

 現れたのは、狭く薄暗いジャンク屋には到底不釣り合いなほど華やかな女性だった。

 胸元まである明るいミルクティーブラウンの髪が緩く巻かれている。すらりとした長身は、悠作の目線に迫るほどだ。落ち着いた色合いの質の良いワンピースに、薄手のカーディガンをふわりと羽織り、足元はスタイルの良さを際立たせる細身のブーツ。動くたびに、華奢なアクセサリーが店内の無骨な蛍光灯を反射して小さく光り、ほんのりと甘いフローラル系の香水が漂った。


「いらっしゃいませ……あ、中村さん」


 すずが驚いたように声を上げた。

 中村瞳だった。すずが裏方を務めるメイドカフェ『カフェ・ルミナス』の人気キャスト。今日は私服姿だが、人前で作られた完璧な笑顔は店にいる時と変わらない。

 瞳はすずに軽く手を振った後、悠作の方へ向き直った。以前、ルミナスの店舗機器の修理を請け負った際、悠作は彼女と顔を合わせている。


「鈴木さん、こんにちは。今日はうちの店の機器じゃなくて、ちょっと個人的にお願いしたいことがあって来ました」


 瞳の甘い声には、どこか相手を試すような響きがあった。自分の魅力で男がどう動くかを熟知している人間の態度だ。悠作は表情一つ変えず、淡々と応じた。


「修理の依頼か。物は何だ」

「……相変わらず、愛想がないんですね」


 瞳は微かに目を細め、接客用の笑顔に少しだけ棘を混ぜた。自分の外見や愛想に流されない悠作の態度に、少なからず苛立っているのが分かる。彼女は肩から下げていた小さなバッグから、黒いスマートフォンを取り出し、カウンターに置いた。


「これ、見てほしいんです」

「機種は二世代前のAndroidだな。あんたのじゃないだろ」

「はい。うちの常連のお客さんの忘れ物です」


 その言葉に、すずの肩がぴくりと動いた。


「それって、西尾さんのスマートフォンですか……?」

「そう。一昨日からお店に置きっぱなしになっているやつ」


 昨日の昼下がり、新田香織のノートPCから抽出した、削除された出演者連絡表の断片。そこに記載されていた電話番号の持ち主。それが、カフェ・ルミナスの常連客である西尾だった。

 悠作はスマートフォンを鋭く見つめた後、瞳の目を見た。


「忘れ物なら警察に届けるのが筋だろ。店長の許可は取ってあるのか」

「店長には、私が知り合いの修理屋に見せに行くと伝えて、許可をもらっています。ただの忘れ物なら交番に届けますけど……これ、ちょっと変なんです」

「変、とは?」

「電源が入らないんです。画面も真っ暗で、ボタンを押しても反応しない。壊れているんだと思います。でも……」


 瞳は一度言葉を切り、少しだけ声を潜めた。


「お店のバックヤードに保管していたんですけど、深夜になると……時々、通知音が鳴るんです。電源が落ちているはずなのに」


 すずが小さく息を詰めた気配がした。

 悠作は冷静にカウンターの上のスマートフォンを引き寄せる。外装のガラス面に目立った割れや傷はない。充電端子の中をデスクライトで照らし、ピンセットの先でそっと内部の埃を確認するが、ショートした痕跡は見当たらなかった。


「オカルトの類だと思ってるのか?」


 悠作は淡々と言いながら、工具箱からテスターと極細のプローブを取り出した。


「オカルトじゃない。現実の故障だ。おそらくバッテリーの極端な劣化か、電源ICの寿命だな。電圧が不安定になっているせいで、システムが起動プロセスに入ろうとしては、電力が足りずに落ちるのを繰り返しているんだろう。深夜に鳴ったのは、たまたま一瞬だけ起動プロセスが通って、溜まっていた通知を拾った音だろ」

「……直りますか?」

「基板の損傷具合による。中のデータが見たいなら、バッテリーをバイパスして一時的に通電させることはできるかもしれないが」


 悠作はそこで言葉を切り、すずを見た。彼女が不安げに西尾の端末を見つめているのが分かったが、だからといって体調の戻りきっていない彼女に無理をさせるような真似は論外だ。そもそも、これはただの忘れ物であり、今すぐ命に関わるような切迫した事態でもない。


「持ち主が取りに来るのを待つか、さっさと警察に届けるんだな。うちで預かる理由はない」


 悠作がテスターを片付けようとすると、瞳は食い下がるように唇を噛み、バッグから自分のスマートフォンを取り出した。


「……でも、それだけじゃないんです。これを見てください」


 瞳が提示した画面には、西尾のアカウントと思われるSNSのタイムラインが表示されていた。


「今朝も、西尾さんのSNSは更新されていたんです。いつも通りの、見覚えのない風景の写真と、『今日もいい天気』っていう短い言葉で」


 悠作は画面を覗き込んだ。投稿時間は今日の午前8時。


「別の端末からログインしたか、事前にセットした予約投稿だろ」

「ええ、予約投稿だと思います。でも、おかしいと思いませんか?」


 瞳はカウンターに置かれた電源の入らない黒い端末を指さした。


「企業のアカウントじゃあるまいし、個人のアカウントで、何日も先の『今日もいい天気』なんていう意味のない日常の挨拶を、わざわざ予約投稿で敷き詰めておくなんて普通じゃないです。まるで……」

「自分がその日からいなくなることをあらかじめ知っていて、日常が続いているようにカモフラージュしているみたいだ、って言いたいのか」


 悠作が引き取ると、瞳はこくりと頷いた。

 ただの忘れ物だという前提が、微かな音を立てて崩れた。

 悠作は小さく息を吐き、カウンターに置かれた端末へ視線を落とす。電源が入らず、沈黙し続ける黒い画面。それが今は、不気味な空白のように見えた。その空白の向こう側に、西尾直樹という男の真意が、黒々と口を開けて待ち構えているような気がしてならなかった。

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