仇討ち②
孝行はアームチェアーごと後ろにひっくり返った。男が持っていた短銃は当時、最新式の拳銃だった。目標を外すような距離ではない。男の放った銃弾は見事、孝行の胸板を貫いていた。男はゆっくりとした動作で短銃とサーベルを持ち替えると、書斎の床の上に横たわる孝行に歩み寄った。
「う・・・うううう~」
孝行は仰向けになって、呻き声を上げていた。孝行の口からぶくぶくと血泡が噴出して来ていた。男は孝行の傍らに立つとわずかに口元を歪めた。
その顔は笑っているように見えた。
「止めて~!」
背後で、きぬが悲鳴を上げた。廊下を挟んで書斎と寝室は向かい合っており、ドアは開け放したままだった。寝室から書斎の様子は丸見えだった。
きぬは寝室で一人娘の清子を寝かしつけていた。背後に異様な気配を感じて振りかえると、見も知らぬ男が夫に向かって拳銃を発砲するところだった。
男はきぬの悲鳴を無視して、右手に持ったサーベルを振り上げると孝行の心の臓を目がけて突き下ろした。
「ぐむう―――」孝行がまるで押し潰された蛙のような籠った断末魔の悲鳴を上げた。
「きゃああああ―――!」きぬも悲鳴を上げた。
孝行にとどめを差すと、男は寝室のきぬを振り返った。帽子の鍔の陰で男の目がぎらぎらと輝いていた。
きぬは慌ててベッドから立ち上がった。
男の侵入を防がねばならない。きぬは寝室のドアを閉めようとした。それに気が付いた男は、孝行に付き立てたサーベルを引き抜くと、風にように駆けた。きぬがドアに駆け寄り、閉めようとしたその瞬間、一瞬早く、男が駆けつけて来た。男はサーベルを投げ捨てると、血に染まった右手で激しくドアを突いた。
ドアを閉めかけていたきぬは、男がドアを突き飛ばした反動で、後ろに弾け飛んだ。仰向けにひっくり返り、床に背激しく背中を打ちつけた。暫く息ができなかった。
きぬが苦痛を堪えて顔を上げると、寝室のドアの前に幽鬼のような青白い顔をした男が立っていた。
男はゆっくりとした動作で廊下に転がっていたサーベルを拾った。右手にサーベル、左手に拳銃を持っている。ドアを塞ぐ恰好で寝室の入口に仁王立ちになっていた。
きぬは身を起こすと、床を這ってベッドで寝息を立てている清子のもとに向かった。
「止めて・・・お願いです。私はどうなっても構いません。だから、娘の清子は・・・清子の命だけは助けて下さい」
きぬはすやすやと寝息をたてている清子を胸に掻き抱くと、美しい顔を朱に染めて男に哀願を繰り返した。
男は何故か悲しそうな顔をした。
背中を袈裟懸けに斬り付けられたが、イネは生きていた。
二階で凶行を終えた男が屋敷から逃げ出すと、イネは息を吹き返した。背中の傷を押して、屋敷の門前まで這い出ると、助けを求めた。主人一家が心配だったが、イネには二階に上がって主人の無事を確かめる体力が残っていなかった。
幸いイネが路上に這い出すと、間もなく貿易商を乗せた人力車が通りかかった。貿易商は品川港にある貿易会社からの帰宅途中だった。絹織物を英国に輸出する為の通関に手間取り、帰宅が遅くなってしまった。人力車に乗って家路を急いでいた。
人力車の車夫は安田家門前で血を流して倒れているイネに気が付いた。人力車を停めて駆け寄ると、酷い怪我を負っている。虫の息だ。
車上の人だった貿易商も人力車から降りて来て、イネの様子を心配そうに見つめた。そして、「これはいかん!」と隣家に助けを求めに行ってくれた。野次馬も含めて、わらわらと人が集まって来た。やがて、騒ぎを聞いて邏卒が駆けつけて来た。
イネは戸板に乗せられて病院に運ばれた。気丈にも薄れゆく意識を懸命に繋ぎ止め、邏卒に不審者の人相を伝えた。
――軍服を着てピケ帽を被り、サーベルを腰に差している。自分は邏卒で不審者が屋敷に侵入するのを見たと男は言った。中年でやせ形、目つきは鋭く、鼻は鷲鼻で、頬がこけていて皺が傷痕のように頬を走っている。
邏卒は呼子笛を吹いて応援を呼んだ。程なく二人の邏卒が応援に駆けつけて来た。三人はサーベルを片手に、安田家の玄関から屋敷内へと足を踏み入れた。
イネは不審者が屋敷から逃げ去るところを見ていない。(まだ屋敷内に、不審者が潜んでいるかもしれぬ)と邏卒は慎重だった。
フロアから玄関まで血の跡が続いている。イネが深手を負いながら這い回った跡だ。凶行後、早期に事件が露見したのは、一にも二にもイネのお陰だ。
一階部分に人が居ないことを確認した後、三人の邏卒は二階へと続く階段を登って行った。階段を登ると屋敷の二階の廊下に出る。廊下を進むと左右に部屋が広がっており、左手に書斎がある。
二階は獣のような臭いが充満していた。
二階の部屋のドアはどちらも開けっ放しだった。左手の書斎では、椅子がひっくり返り、男が倒れているのが見えた。屋敷の主、安田孝行だ。
三人の邏卒は兇漢の反撃に備えながら、書斎を確認して回った。孝行は血だまりの中でこと切れていた。拳銃で撃たれた傷に刀で止めを刺された跡が見受けられた。
書斎の確認を終えると、三人は廊下を挟んで向かい側にある寝室へと移動した。
廊下の上に点々と血の跡が続いている。孝行に留めを差した刀から滴り落ちた血だ。兇漢は書斎で孝行を殺害すると、血刀を下げて寝室に向かったのだ。
寝室は廊下を隔てて書斎と向かい合っている。寝室のドアは半分閉じられており、ドアにはべっとりと血糊で手形が残っていた。血に染まった手で寝室のドアを押し開けたのだ。
邏卒の一人がサーベルの柄でドアを押した。
「うっ!」戊辰戦争で、戦場に横たわる凄惨な戦死体を幾つも見て来た邏卒たちであったが、寝室の惨状には目を背けたくなった。孝行の妻、きぬは幼い清子を胸に抱えたまま、部屋を逃げ回ったのだろう。床にはあちこち血痕が飛び散っていた。
兇漢により追いつめられたのか、部屋の隅にきぬの遺体があった。きぬの遺体には、背中を中心に無数の傷痕が見られた。きぬは清子を胸に抱えたまま、兇漢のサーベルで赤子と二人、串刺しになって息絶えていた。
――赤子さえも手に掛けるのか!
現場を目にした邏卒たちは、一家を襲った卑劣な兇漢に対して、やり場の無い怒りを感じた。




