仇討ち①
鬼牟田圭亮・西脇守のコンビが活躍する長編ミステリー
悪霊館で死体が発見された!館に憑りついた幽霊の仕業なのか⁉
明治五年、十月十二日は小雨の降り注ぐ寒い夜だった。
東京品川、鈴ヶ森近くにある安田邸を一人の男が訪れた。安田邸は当時、まだ珍しかったルネッサンス風の洒落た洋館で、二階建ての屋敷をレンガ積の石垣がぐるりと取り囲んでいた。屋敷の辺りは人家がまばらで、周りには雑草の生い茂る空き地が広がっていた。
鈴ヶ森は江戸期に刑場のあったことで有名な場所だ。
東海道を通って江戸に入ってくる旅人に、江戸で罪を犯せばどうなるか、警告を与える意味でここに刑場が設けられたと言われている。鈴ヶ森の刑場は前年の明治四年に廃されていた。安田邸は刑場のあった場所からやや離れた場所にあった。
この日から二日後の十月十四日に、日本で初めての鉄道が東京、新橋と横浜、桜木町の間で開通する。五月に品川の駅舎が完成しており、品川、横浜間が仮営業していた。品川は交通の要所として、今後ますます発展して行くものと思われた。
今は閑散としているが、安田邸の辺りは、この先どんどん賑やかになって行くはずだ。付近に刑場があったことを除けば、絶好の立地条件だったと言える。実際、安田邸の周りの空き地には、将来を見越してか、建設中の建物が多かった。
安田邸を訪ねた男は軍服のような服を着込み、サーベルを腰に下げ、ケピ帽と呼ばれる円筒形をした帽子を被っていた。年は三十過ぎだろう。細見の体で鋭い目付きをしており、頬がそげ落としたようにこけ、顎が尖っていた。
男が口元を結ぶと、頬に縦に皺が寄り、まるで傷痕のように見えた。
男はいかつい肩を細雨に濡らしながら、応対に出て来た安田家の下女、イネに向かい「邏卒である」と名乗った。
イネは当時、五十過ぎ。中肉中背で目が細く、性格は至って温和だ。優しげな外観とは裏腹に苦労人で、農家の三女として生まれ、七歳の時に奉公に出された。奉公先で虐待を受けたことがあり、左足の中指が折れて捻じ曲がっていた。
安田家では人並みに扱われており、骨と皮ばかりだったイネが、最近はお腹の肉を気にするようになっていた。
邏卒とは当時の警察官のことだ。
治安維持のために東京都に邏卒が配置されたのは明治四年のことだ。「日本警察の父」と呼ばれる初代大警視の川路利良が警察制度を研究するため渡欧し、東京警視庁が設立されるのはまだ二年後のことだった。
雨に煙る玄関先に立つ男はゆらゆらと揺れて見えた。イネには男が闇夜から湧き出てきた幽鬼のように見えた。
男は「警邏中に不審者が塀を乗りこけて庭に侵入するのを見た」と言い、「屋敷内を改めさせてもらう」と伝えた。イネは男が漂わせる不気味さに一抹の不安を感じたが、邏卒だと言う男の言葉を信じてしまった。
討幕戦後、薩長軍の藩兵より邏卒に転じた者が多く、幕末からまだ間もないこの頃は、戦場の狂気を漂わせている者が邏卒の中に多かった。当時の世相であったと言えよう。
イネは男を屋敷へと招き入れた。
安田邸の主を安田孝行と言った。一代で安田財閥の基礎を築いた安田善次郎の遠い親戚に当たった。郷里、富山より縁故を頼って安田善次郎を訪ねて上京し、安田商店に雇い入れられた。
安田善次郎が生まれた安田家は父親の代に士分の株を買い、富山藩の下級武士となっている。善次郎は奉公人として江戸に出て両替商となり、やがて一代で安田財閥を築き上げた。孝行が善次郎を訪ねた時期、善次郎は北海道で最初の私鉄である釧路鉄道を敷設し、釧路炭田の開発を行うなど、事業拡大に忙しい時期だった。
孝行の家系は善次郎の家系から血縁的にやや遠かったが、善次郎の父親が士分の株を買い取る時、孝行の祖父の世話になっていた。善次郎はそのことをよく覚えていて、多忙な時期であったが、縁の薄い孝行を快く安田商店に雇い入れてくれた。そして安田商店のあった日本橋からやや離れていたが、品川に所有していた洋館を「当面夜露を凌げるように」と孝行に貸し与えた。
安田孝行はこの時、二十九歳。スラリと細身で、やや下膨れの顔をしているが、目鼻立ちの整った良い男だった。孝行には郷里より伴った「きぬ」と言う名の美しい妻がいた。細面で色白で、目が大きい。顎が薄いことを除けば、完璧な美人と言えた。そして、二人の間には五つになったばかりの一人娘、清子がいた。
イネは男を邏卒だと信じて屋敷に上げた。そして二階にいる孝行夫妻に庭に侵入した不審者のことを伝えようと男に背を向けた。
その瞬間、男は素早く腰に下げたサーベルを引き抜くと、イネの背を目がけて跳躍した。そして、「うむっ!」という籠った掛け声と共に、一刀のもとに斬り下げた。
イネは「あう~ん」と悲鳴を上げると、床の上にどうと倒れた。
男はイネの体を飛び越えると、足音を殺して二階へと続く階段へ向かった。二階の部屋にいた孝行親子は階下の異変に全く気が付いていなかった。
猫のように音を立てずに、男は二階へ駆け上がった。階段を掛け上がりながら、男はサーベルを左手に持ち替え、右手で懐から短銃を取り出した。
洋館の二階は孝行の書斎と寝室が廊下を挟んで左右に広がっている。
男は二階に駆け上がると、そろそろと廊下を進み、先ずは左手の書斎に躍り込んだ。孝行は書斎のアームチェアーに腰掛けて新聞を読んでいた。
明治二年に日本最初の日刊紙である「横浜毎日新聞」が刊行され、明治四年には「東京日日新聞」や「郵便報知神新聞」など、次々に新聞が刊行されていた。ちょっとした新聞ブームになっていた。孝行も経済人の端くれとして、新聞を愛読していた。
孝行は突如、書斎に現れた闖入者に驚き一瞬、固まってしまった。次の瞬間、男が右手に短銃、左手にサーベルを持っているのに気が付くと、「狼藉者!」と叫んで、咄嗟に手に持った新聞を投げつけた。だが新聞紙を投げつけても、何の役にも立たない。
孝行はアームチェアーから立ち上がろうとしたが、男は右手に持った拳銃の銃口を孝行に向けて発砲した。
短銃の轟音が二階に響き渡った。




