悲劇の連鎖①
黒田重信は冷酷無比に忠也と晶子を殺害した後、そのまま暫く、用明家に留まっていた。台所で血に染まった手を綺麗に洗い、返り血に染まった服を脱ぎ棄てると、忠也の衣服から自分に合うものを探し出して着替えた。着替えが終わると、台所にあった財布を懐に入れ、悠々と用明家の玄関から出て行った。
重信が用明家を後にしてから、数時間後、路上に流れ出た血糊に通行人が気づいた。軽トラックの影で血を流して倒れている忠也を発見し、警察と消防に通報している。用明太逮捕の際の大捕り物に続き、再び用明家の周囲が騒然となったことは言うまでもない。
長い話に久手は疲れを滲ませながら言った。「結局、用明家より逃げ去った黒田重信の行方はようとして知れなかった」
「黒田重信は何処に行ったのだろう?」
「分からない。娘の仇を討つ為に町に潜伏し、用明太の命を付け狙っているとも用明夫婦殺害後、自ら命を絶ったとも噂されていた」
「用明太が殺されたのだとしたら、黒田重信が現れて、恨みを晴らしたのだろうか?」
「そうかもしれないな。黒田重信は用明太を探し回った。だが、見つからなかった。それが、何かの弾みでやつを見つけた。そして、復讐を果たした。そう考えることができる。しかし、立花弁護士がやつを匿っていたとは」
「あんなことがあったので、誰も立花弁護士に用明太の居所を訪ねることが出来なかった」
「そうだった。立花宗徳弁護士は、事件後に自宅で原因不明の猟銃自殺を遂げたのだったな」
「ああ」
立花は事件後、調布にある自宅の書斎で、散弾銃を口にくわえ、椅子に腰かけ、足の親指で引き金を引いて自殺を遂げていた。
用明太の釈放に当たって、世論は証拠を捏造した警察に対して激しいパッシングを繰り広げたが、いざ少年Aが釈放されてしまうと、世間は真犯人が捕まらないことに苛立った。黒田重信の事件が起こると、彼への同情からか、「やはり少年Aが犯人だったのではないか」と言う声が強くなり、殺人犯を無罪放免にしてしまった立花弁護士に対する誹謗中傷が始まった。
八つ当たりと言えた。
――私は無実の人間を救っただけだ。
立花は厳しい世論に対して臆する風は無かったが、強気の抵抗は見せかけだったのかもしれない。黒田重信が引き起こした用明夫婦殺害事件に心を痛めていたことは間違いない。ある日突然、調布の自宅で猟銃自殺を遂げてしまったのだ。
仕事を終えて家に戻った息子の宗明が、猟銃の発砲音を聞いて書斎に駆け込み、父の遺体を発見している。
立花の自殺を以て、世論はようよう収束の気配を見せ、事件は人々の記憶の中で徐々に風化して行った。黒田重信は逃亡中で、行方不明だったが、世間の口の端に上がることもなくなった。
「息子の立花宗明弁護士からも話を聞いたことがある」と久手は言う。
現在の立花弁護士事務所長である宗明によると、「用明太の面倒を見てやってくれ」と言うのが父、宗徳からの遺言であったそうだ。
「黒田麻衣ちゃん誘拐殺人事件」が発生した時、宗明は新米弁護士として父親の弁護士事務所ではなく、大手の弁護士事務所で働き始めたばかりの頃だった。世間の荒波に揉まれた方が良いというのが父、宗徳の考えだった。
事務所は違ったが宗明は父親が弁護した事件について当然、知っていた。父親から詳しい説明を受けた訳ではなかったが、「黒田麻衣ちゃん誘拐殺人事件」はセンセーショナルを巻き起こした事件であったので、事件の内容についてよく覚えていると言う。
宗明の話によると、黒田重信が用明太の釈放の停止を求めて町田署に足を運んだ日、宗徳は太との接見を終えて町田署を後にしようとしていた。そこで、重信とばったり鉢合わせしてしまったと言うのだ。
重信と会った日の夜、宗徳はずっと書斎に閉じこもったままだった。心配になって、宗明が父の様子を覗きに行くと、宗徳は書斎の椅子に腰をかけたまま、塞ぎこんでいた。宗徳は重信と町田警察署で会った時の様子をじみじみと語ってくれた。
「貴方は殺人犯を町に放つのか。私の可愛い娘を無慈悲にも殺害した犯人を町に放てば、私同様、幼い子供を抱えた親たちは安心して子供を外で遊ばせることが出来なくなる。貴方は間違っている。あの男を自由にしてはならない。あいつはまた犯罪を繰り返すに違いない」
「弁護人が無実だと主張する以上、私は弁護人を信じるだけです」
言葉は丁寧だが断固として、重信の要求を退けた。だが、宗明によれば、父親はそのことで随分と悩んでいたと言う。一気に老け込んだ父親の顔を見ていて、宗明は宗徳が太の無実に自信が持てていないのではないかと思ったと言う。
世間の批判に晒され続け、最後には立花は太を無罪放免にしてしまったことに対して責任を取る形で、自らの命を絶ってしまった。
「悲劇は繰り返される。黒田麻衣ちゃん誘拐殺人事件に始まり、用明夫婦の殺害、そして立花弁護士の猟銃自殺と続いて、事件は終わったかに見えたが、ついに用明太が殺された訳だ。悲劇の連鎖は終わっていなかった」
「悲劇の連鎖・・・」
西脇と久手は二人、感慨を胸に黙り込んでしまった。




