復讐の鬼③
留守中、妻を見ておいてくれるように、重信はボランティアに頼んで外出したのだが、重信のいない隙に、美代は「お風呂に入りたい」とボランティアを自宅から追い出してしまった。そして、風呂場で手首を切って自らの命を絶ってしまった。
自宅に戻った重信は、直ぐに妻の姿が見えないことに気が付いた。慌てて、妻の姿を探し求め、風呂場で冷たくなった妻の遺体を発見した。
「美代――!」愛する妻と娘を失い、重信は発狂した。
自宅から包丁を持ち出すと、重信はふらふらと家を彷徨い出た。そして用明家を目指して歩き始めた。
夕暮れ時で、茜色に染まった空が、徐々に暗さを増して行っていた。
青白い顔で、目に狂気を漂わせながら、ふらふらと歩いて行く重信を、夕闇が包み込んでしまった。すれ違う人々は、誰も重信の内に秘めた狂気に気が付かなかった。
用明家は重信が住むマンションから、歩いて十分程度の距離にある。ボランティアから住所を聞いていたので、用明家の場所は把握していた。
やがて、目の前に用明家らしい配管屋が見えて来た。「用明管工」の看板が上がっている。用明家で間違いないようだ。用明家は配管屋を営んでおり、母屋と配管倉庫がひとつになった構造をしている。倉庫の前に駐車場があって、乗用車が駐車してあった。忠也が仕事で使っている軽トラックは出払っていて、駐車場は半分、空いていた。
重信にとって果たして幸運だったのかどうか、今となっては分からない。重信が用明家に到着した時、タイミング良く、忠也が仕事から戻って来た。忠也は軽トラックを倉庫の前の駐車場に停め、トラックから降りて来たところに重信がやって来た。
重信は懐に忍ばせた包丁を握りしめた。
抜身の包丁が一瞬、鈍く光ったが、倉庫のシャッターを上げて、軽トラックの荷台から配管道具を荷卸ししていた忠也は気が付かなかった。忠也が配管道具をトラックの荷台から降ろし終わり、倉庫へ向かいかけたところを見計らって、重信は「用明さん?」と声をかけた。
「ああ~?」突然、後ろから呼び止められて、忠也は振り返ろうとした。その瞬間、黒い影が飛んで来た。重信は包丁の切っ先を忠也に向けて、問答無用とばかりに無言で体当たりをした。ずぶりと包丁が忠也の背中に突き立った。
「あんたが、あんな化け物を育てたからこうなったんだ。息子の罪は親の責任だ。因果応報、あんたがあいつの罪を償うんだ」
重信が忠也の耳元に顔を寄せて呟く。そして、背中に突き立てた包丁を引き抜いた。
忠也が「あわあわ」と言葉にならぬうめき声を上げながら、反転して重信にしがみ付いた。重信は「お前が・・・お前が・・・」と忠也の耳元で囁きながら、素早い動作で、何度も何度も、忠也の腹に包丁を突き刺した。
息子の太は明日には釈放されて用明家に戻って来る。当然、刑事の監視があり、重信が太に近付くことは不可能に近いだろう。重信は家族を失う辛さを、太に味あわせることにした。警察を釈放され、家に戻った時、太は愛する家族が殺されたことを知るのだ。太は今の自分と同じように、嘆き悲しむに違いない。
重信は会ったこともない太が、悲嘆に暮れる姿を想像して悦に浸っていた。
「あううううう・・・」日頃、横柄な忠也が、「ごふごふ」と口から血泡を吹いた。突き出た前歯が血で染まっている。「助けてくれ」と忠也が命乞いをしたが、重信は包丁を突き立てる手を緩めなかった。ぐいぐいと突き立てた包丁を忠也の腹にねじ込んだ。
忠也はどうと地面に倒れると痙攣を始めた。
忠也の腹には重信が突き刺した包丁が根本まで深々と刺さったままだった。駐車場の地面に、見る見る血溜まりが広がって行く。
暮れ行く夕闇が、重信の凶行を世間の目から隠していた。辺りに人影はなく、もし、あったとしても軽トラックの影になっていて、路上から二人の姿は見えなかっただろう。
重信はゆっくりとした動作で、用明家の倉庫に入って行った。
倉庫の中には長さも材質もまちまちな配管用のパイプが保管されていた。重信はその中から手頃の長さで、ずっしりと重量のある金属製のパイプを手にした。そして、倉庫の勝手口から用明家へと土足で踏み込んだ。
用明家では晶子が一人で留守番をしていた。晶子は小太りで背も小さい。体中、分厚い肉が盛り上がっており、唇だけは薄く小さかった。
忠也が帰宅する時刻だったので、晶子は夕食の準備に忙しかった。忠也は自分よりも相手が弱いと知ると、嵩にかかって暴力を振るうような男で、晶子は忠也の家庭内暴力の対象になることが多かった。それが、太が殺人容疑で逮捕されてからは、世間体を憚ってか、急に仲の良い夫婦、親子を演じたがった。
息子が無実の罪で警察に拘束されてしまった気の毒な一家を、忠也は人前で演じて、悦に浸っているようだった。
晶子にすれば、夫の理不尽な暴力を気にすることのない、平穏な日々が続いていたと言える。明日には息子の太が釈放されて家に戻って来る。夫の上機嫌が一日でも長く続いてくれればと祈るように思っていた。
倉庫への勝手口が開いた音がした時、晶子は「今日はちょっと帰宅が早かったな」と思った。夫が帰宅したのだと思った。後ろに人影が立った時、晶子は当然のように夫が戻って来たものと思った。
「御免なさい、もう少し待って下さいな」
振り返ろうとしたその瞬間、晶子は頭部に激しい衝撃を感じて、吹っ飛んだ。横っ飛びに飛んで、冷蔵庫に体をぶつけて、台所の床へずるずると崩れ落ちた。晶子の意識は一撃で糸が切れるように暗黒に塗り込められてしまった。
重信は倉庫から持ち出した鉄パイプで、後ろから晶子の頭部を横殴りに殴打したのだ。意識を失って台所の床に横たわる晶子を上から覗き込むと、晶子の巨体をずるずると手前に動かした。冷静に鉄パイプが流し台に当たらない距離まで、距離を取ったのだ。そして、力を込めて二度、三度と晶子の頭部を目がけて鉄パイプを振り下ろした。
こうして重信は忠也と晶子を殺害した。




