復讐の鬼②
松中は麻衣の遺体から下着を剥ぎ取り、ポケットに隠し持っていた。そして、太を取り押さえた際、それをあたかも奪い取ったように見せかけ、用明太の口に押し込み、罪に陥れようとしたとした。立花はそう松中を非難した。
流石に、この弁護側の反証に、松中は「ふざけるな!」と激怒した。
ところが松中にとって不利だったことは、麻衣の遺体発見の一報を受けて、最初に現場に駆け付けて来たのが松中と棟近であったことだ。棟近は当然のように松中がそんな破廉恥なことをしなかったと証言したが、松中が麻衣の遺体を調べている間、棟近は始終、傍に立って見張っていた訳ではなかった。
麻衣の遺体を確認し、後から駆けつけてきた捜査員に麻衣の下着が剥ぎ取られていることを伝えたのが松中であったことが、松中への疑惑を深める結果となってしまった。
麻衣の下着からは用明太と共に松中のDNAも検出されている。麻衣の下着を奪い合い、もみ合ったので、松中のDNAが検出されても不思議ではなかったのだが、弁護側はその点を突いて来た。
「検察は弁護側の反証を根拠のないことと跳ね付けたが、捜査員が押収した物証は証拠として採用されず、拘留期限を待たずに、用明太は釈放されてしまった」
久手は勤めて冷静に当時の状況を説明した。
「僕も随分、悔しい思いがしました。当時、担当していた番組でも、怒りに任せて警察を吊るし上げてしまいましたが、警察官は相当、悔しい思いをしていたでしょうね」
「そうだな。証拠を捏造したとされた松中刑事はこの事件から外されてしまった。『俺は証拠を捏造なんかしていない』と松中刑事は周囲に必死に訴え続けたが、松中刑事が逮捕を焦り過ぎたことが、用明太を無罪放免にしてしまったことは疑いようもなかった。結局、松中刑事は用明太釈放の責任を一身に背負い、警察バッジを返上することになった」
「事件がこのまま終わっていれば、未解決事件のひとつとして人々の記憶の風化と共に、忘れ去られてしまったかもしれませんね」
「ああ、あんなことが無ければ・・・」
そう、事件は更に大きく捻じ曲がり、悲劇の連鎖を続けて行く。
麻衣の父、黒田重信は犯人が逮捕されたと聞いて、これで娘も浮かばれると、悲しみの中に一筋の光明を見出した思いだったことだろう。
事件後は、日頃、疎遠にしていた近隣の住人が何かと気を配ってくれていた。黒田家はマンションの四階の住人だった。都会のマンションとあって、日頃は近所付き合いが良いと言えなかった。それが事件後は、麻衣の弔問に訪れる近隣住民がひっきりなしで、ボランティアと称する見知らぬ人物が、黒田家に出入りするようになった。
見知らぬ人物の中には、何処で聞き込んで来たのか、事件に関する情報を携えて来てくれる者がいた。用明太逮捕の翌日には黒田重信に、「娘さんを殺害した犯人として配管屋の息子が逮捕された」と教えてくれた者があった。
警察発表は「少年A」だったが、重信は容疑者の名前から住所まで知っていた。
用明家の近くに住む住人が、夜中の騒動で用明太の逮捕劇を知り、「ご注進」とばかりに黒田家に伝えに来てくれたからだ。用明家は決して評判の良い一家とは言えず、日頃の反発もあってか、噂が広まるのは早かったようだ。
用明家は黒田家から歩いて十分程度の距離だった。
――そんな近くに麻衣を誘拐して殺害した犯人がいたのか!?
重信は用明家に怒鳴り込みに行きたいという願望を必死に押さえ付けていた。
逮捕された犯人が未成年だと聞いて、重信は不安になった。未成年は少年法で守られ、保護更生を目的とし、例え罪を犯しても、被害者遺族には納得が行かない程、量刑が軽く済んでしまう印象があった。
麻衣を無残に殺害した犯人が少年法に守られ、軽い量刑で済んでしまうことを恐れた。
加害者の将来が保護されるのなら、奪われた被害者の将来はどうなるのだ。愛する娘にはこの先も美しい未来があったはずだと、重信の胸にどす黒い怒りが渦巻いた。
妻の美代はスーパーで麻衣から目を離してしまったことから、自分を責め続けていた。一人にすると何をするのか分からない程、錯乱しており、重信は娘を失った悲しみに耐えながら、妻の監視を続ける毎日だった。
家に出入りするボランティアのお陰で、何とか生活が保たれている状態と言えた。
二人は憔悴していた。
――証拠不十分で用明太が釈放されるようだ。
重信は恐れていた話を耳にした。ボランティアの一人が、警察関係者に知り合いがいるらしく、内部情報を手に入れて重信に教えてくれた。
(証拠不十分、そんなことがあって良いのか!殺人犯がのうのうと町を歩いていては皆、安心して暮らすことができないじゃないか!)
案の定、少年法で保護された未成年の加害者に対して、厳しい厳罰が課せられることはないようだ。重信は悲憤した。
重信は町田警察署に足を運んで、太の拘留、起訴を訴えようとした。
「捜査責任者に会わせてもらいたい」
町田警察署の受付でそう頼んだのだが、応対に出て来たのは生活安全課少年係の係長だった。重信の話を親身になって聞いてくれたが、少年係の係長は用明太の起訴について言明を避けた。結局、重信は係長の説得を受けて、町田署を後にするしかなかった。
重信が正気を保っていたのは、恐らくこの時までであったろう。
「町田署から自宅に戻った黒田重信は、自宅で妻、美代の遺体を発見した」
久手の言葉に「そうでした」と西脇が頷いた。
娘の麻衣がトイレに行きたいと言い出した時、一緒にトイレについて行かなかったことを美代は死ぬほど後悔していた。もし美代が一緒について行っていれば、麻衣が誘拐され、殺害されることはなかっただろう。美代は自らを追いつめ続け、精神を病んでいた。




