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戻った日常

7話 戻った日常


隼人が去った後――。


私はゆっくり階段を下りて、洗面所へ向かった。

蛇口をひねり、冷たい水で顔を洗う。


ひんやりした水が頬を流れていく。

同時に、頭の奥の重さが少しずつ薄れていく。


「ふぅ……」


タオルで拭きながら顔を上げる。

鏡の中の自分と、目が合う。


――隼人。


さっきの顔が、ふっと浮かんだ。

 


『無茶すんな』



あの一言だけが、やけに残っている。


「っ……」


私はそれをかき消すよう、小さく首を振った。



その時――



一階から、よく通る声が響いた。



「おーい!りあ、起きたか?」



敦兄の声。



そして続けて、



「学校、行くぞー!」

 


「!!」


一気に現実に引き戻された気がした。



家を出て、制服姿の敦兄と並んで歩く。


「お前、体調もう大丈夫か?」


「うん!……あ、ごめんね。あっちゃんにも迷惑かけちゃって……」


「気にすんなって」


軽く笑って、前を向いて歩き出す。


「でも、私服で学校行くの変な感じ」


「ああ、今日か明日には制服もらえるだろ」


ふと、隣を歩く敦兄の制服が視界に入る。


――あ。


さっきの隼人の学ランが、頭に浮かぶ。


「そういえばさ」


「ん?」


「……隼人、違う学校なんだね」


「ああ、しかもあいつ男子校。むさっ苦しいよな。かわいそ〜」


敦兄の言い方に、思わず苦笑する。


「俊兄と颯太は一緒だよね?」


「ああ。あいつらは先行ってる。……部活あるんだって」


俊兄は中学から剣道部。

颯太は小さい頃からサッカーが好きだった。


「……あれ、あっちゃんは剣道やめたの?」


敦兄は少し肩をすくめる。


「だってさ、思ったより全然モテねーんだもん」


「ふふ、何言ってんの」


私は敦兄の横顔をちらっと見る。


笑ってるけど――

どこか、いつもの軽さと少し違う気がした。


でも、敦兄がこういう言い方をする時は、あまり踏み込まない方がいい。


私はあえて、それ以上聞かなかった。


……いや、正確には。

気になったけど、聞けなかった。



電車に揺られて二十分ほど。


学校の最寄り駅に着いた。


改札を出ると、同じ方向へ歩く制服の生徒がたくさんいる。


転校初日で私服の私は、少しだけ居心地が悪い。

その横で、敦兄はあちこちから声をかけられていた。


「敦!おはよ〜」


「おお!」


「会長、おはようございます」


「おっす」


「え?会長?」


思わず敦兄を見る。


「あー、俺、生徒会長なんだわ」


「えー!!」


「なんだよ、そんなにおかしいかよ」


「うん」


敦兄が眉をひそめる。


「……お前、たまにめちゃくちゃ正直だよな」


だって。


……あっちゃんは昔から、やんちゃなタイプだったのに。


そう思っているのが伝わったのか、敦兄が少し苦い顔をする。


「いやさ、担任に半分無理やり押しつけられて」


「え?」


「出席やばかったから。これやっとけって」


授業ほとんど寝てたし、と敦兄が悪びれもなく言う。


「あー、そういうこと」


想像がついて、なんとなく納得してしまう。


「でも、いつから生徒会に……」


言いかけたところで、視界の端に動く影が入る。


振り向くと、少し派手な女子生徒が歩いてきていた。


「敦、おはよう」


敦兄との距離が、妙に近い気がした。


その人は私に気づくと、ほんの少し目を細める。


一瞬だけ、探るような視線。


「……この子、誰?」


「俺の妹。昨日、海外から戻ってきたんだ」


敦兄がにやっと笑う。


「かわいいだろ〜」


「……そっか!」


妹というワードが出た瞬間、さっきまでの空気が、ふっとゆるむ。


「うん。敦と似てなくてかわいい」


「なんだよ、それ」


「……」


兄弟と一緒にいると、昔からこういう扱いをされることがある。


……少しだけ、複雑。



二人のやり取りをぼんやり見ていると、



――あれ?



ふと視線を感じた。


振り向いたけど、誰も見ていない。


……気のせいかな。


「どうした?」


敦兄が不思議そうに聞く。


「ううん!何でもない」


私はそう言って、また前を向いた。



でも――


背中に残る視線だけは、なぜか気になった。

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