日常の裏側
敦兄に促され、私は白鳥さんの高級車の後部座席に座った。
運転席には、優しそうな初老の男性。
さっき白鳥さんが「田中」と呼んでいた。
私を挟んで敦兄と白鳥さんが座っている。
なぜか、私は真ん中に座らされている。
……あっちゃん、絶対私を盾にしてるでしょ。
そんなことを思っていると、白鳥さんが優雅に口を開いた。
「ところで、妹君のことは何とお呼びすればよろしくて?」
答えようとすると、反対側から敦兄の声が飛んでくる。
「りあたんだ」
「え」
思考が一瞬止まる。
白鳥さんはぱっと顔を輝かせた。
「まぁ!りあたんさん、可愛らしいお名前ですわね」
「あの、『たん』はいりません。『たん』は」
冷静に訂正する。
……もちろん、白鳥さんはまったく聞いていない。
「わたくしのことは……そうね。お姉様とお呼びいただいてよろしくてよ。未来の義姉妹ですもの」
そう言って、ちらりと敦兄を見る。
敦兄は即座に顔をしかめた。
「俺、結婚とか向いてねーから!つーか、お前と夫婦とか絶対いや」
その言葉に、白鳥さんがはっとした顔になる。
「ちょっとあっちゃん!今のは言い過ぎ――」
私は慌てて口を挟んだ。
が――
白鳥さんは頬をほんのり赤らめた。
「自分の意見をしっかりお持ちでいらっしゃるなんて……さすが敦さま」
うっとりとした声で続ける。
「素敵ですわ」
「……」
私はもう何も言えなくなった。
……だめだ、こりゃ。
学校の裏門に着くと、敦兄は足早に車を降りた。
正門で目立つと面倒だから、と敦兄が裏門に止めさせた。
「じゃあな、りあ。また後で!」
敦兄はそう言うと、さっさと駆け出す。
「敦さま!お待ちになって!」
白鳥さんが慌ててその後を追いかけた。
二人の背中を見送りながら、私は小さく息をつく。
「……教室、行こっと」
朝から、なんだかどっと疲れた。
二年の校舎へ向かって歩き出した。
教室に入ると、すぐに瑞稀と芽衣が寄ってきた。
「りあ!おはよー。制服似合ってるじゃん」
瑞稀がにこっと笑う。
「ありがと」
少し照れながら答えると、芽衣が可愛らしく微笑んだ。
「……りあ、仇は取ったから」
たぶん、昨日のことだ。
颯太の首に当たった、輪ゴム……。
「あはは……ありがと」
……一応、弟なんだけどな。
心の中でそっと思う。
授業が始まる。
先生の声、黒板の音、ノートを取る音。
日本の学校って、こういう感じだったな。
そんなことをぼんやり考えながら、ふと机に視線を落とした。
その瞬間――
中学の頃の記憶が、ふいに蘇る。
机の中に入れられていたカッター。
指先に走る鋭い痛み。
にじむ血。
「……!」
私は思わず息を止めた。
小さく頭を振る。
……大丈夫。
もう昔のこと。
気づけば、授業は終わっていた――。
放課後のチャイムが鳴ると、教室が一気に騒がしくなった。
席を立とうとしたところで、担任の竹中先生に声をかけられる。
「桐生さん」
差し出されたのは一枚の紙だった。
「これ、部活動一覧。興味ありそうなところがあれば、覗いてみてね」
「ありがとうございます」
私はそれを受け取り、一覧に目を落とした。
文化部、運動部、聞いたことのない名前の部活も並んでいる。
その中で、ひとつの名前にふと目が止まった。
――国際交流部。
……へぇ、こんな部活あるんだ。英語とか、使うのかな。
少しだけ、惹かれた。
「りあー、もう帰るの?」
瑞稀と芽衣がやってきた。
「ううん。ちょっと色々見て回ろうと思って」
私は部活一覧の紙を、二人に見せながら尋ねる。
「二人は何か入ってるの?」
「私はチア続けてるよ。今日は練習オフだけど」
瑞稀がすぐに答えた。
……そういえば、瑞稀は小学生の頃からチアをやっていたな。
この明るい笑顔にぴったりだと思う。
「……私は、魔術部」
芽衣は少し間を置いてから言った。
「え!?」
思わず聞き返す。
そんな部活あったっけ?
慌てて紙を見直す。
「……申請したけど、生徒会に却下されたから、帰宅部」
芽衣は静かに続ける。
「そりゃ却下されるでしょ」
瑞稀が呆れたように言った。
……うん、私も同じことを思った。
却下されてて、ほっとしたかも。
「で、りあは?どこか入りたいとこあるの?」
瑞稀が私に向き直る。
「うん。気になってるところはあるけど、まだ決めきれなくて……。今から部活動見学しようかなって」
「ほんと?じゃあ、付き合うよ」
瑞稀がにこっと笑う。
「……私も」
芽衣も小さく頷いた。
どこか、楽しそうに。
こうして、二人と一緒に校内を回ることになった。
……せっかくだし、俊兄と颯太のところも見に行ってみようかな。
家とは違う兄弟を見るのは、少し楽しみだった。




