同じ食卓、違う温度
バルコニーから中に戻ると、ちょうど颯太が廊下に立っていた。
「あ、姉ちゃん。夜ご飯だってさ」
そういえば、バルコニーで寝ていたんだよね。
……もう夜ご飯か。
「颯太、帰ってきてたんだ」
「……とっくに」
そう言って、颯太は先に階段の方へ歩き出す。
私もその後ろについて、階段を下りる。
途中で、颯太がふと思い出したように口を開く。
「なんか今日さ」
「ん?」
「後ろから輪ゴムで撃たれたんだよね。首に当たって、ちょっと痛かった」
「……え」
足が止まりそうになる。
……それ、絶対芽衣ちゃんだ。
昼間のことを思い出して、内心で冷や汗が流れる。
でも、もちろん言えるわけがない。
颯太がじっと私を見る。
「……姉ちゃん、なんか怪しくない?」
その疑いの眼差しに視線を逸らすと、足早に階段を下りた。
「ほらっ、早くご飯食べよ!」
「あ、待ってよ!」
一階に降りると、いい匂いが広がっていた。
ダイニングに入ると、昌枝さんが料理を運んでいるところだった。
敦兄はすでにいつもの席に着いていて、俊兄はお茶を入れている。
席を見回して、気づく。
「……あれ、隼人は?」
「まだ帰ってないよ」
颯太はそう答えると、ちらりと私を見てから、そのまま自分の席に腰を下ろした。
「そっか……」
視線を戻すと、昌枝さんが食器を運んでいるのが目に入る。
「私持っていくね」
慌てて駆け寄ると、昌枝さんが少し驚いたように笑う。
私は食器を受け取り、テーブルに並べた。
それから自分の席に座る。
久しぶりに兄弟たちと食べるご飯が、少し嬉しい。
キッチンの方から、油のはねる音が聞こえてくる。
昌枝さんはまだ揚げ物をしているらしい。
「いただきます」
私たちは先に食べ始める。
前に座る敦兄が、思い出したように口を開いた。
「あ、そうだ。りあ、制服もらってきたぜ。部屋にかけといた」
「ありがと、あっちゃん」
そう返すと、敦兄の隣に座っていた俊兄がじっと敦兄を見る。
「……」
「ん? なんだよ?」
敦兄が首を傾げる。
「いや、お前……りあの部屋、勝手に入ったのか?」
少し引いたような声だった。
「しょうがねーじゃん。何回もノックしたよ? でも返事なかったんだもん」
「敦兄、きもーい」
颯太が即座に言う。
「なんだよ!」
敦兄がむっとすると、俊兄は小さくため息をついた。
「……そういう場合、俺なら入らないけどな」
「!」
その言葉を聞いて、昼間のことを思い出す。
――俊兄の部屋。
鍵を返すためとはいえ、勝手に入ってしまった。
兄弟たちがわあわあと言い合っている中、慌てて口を挟む。
「っ俊兄、ごめん!借りてた鍵返したくて、部屋入っちゃった……」
ぴたりと、空気が止まる。
俊兄は一瞬きょとんとして、それからふっと笑った。
「いいって。気にすんな」
その様子を、敦兄がじっと見ている。
「……なんだよ」
俊兄が少し苛立った声で言う。
「いや、俺に対する態度とずいぶん違うなーって」
敦兄はにやにやしながら続ける。
「相変わらず、りあに甘いなー。俊兄は」
「……それ、敦兄が言うかね」
颯太が呆れたように返す。
「なんだよ」
「自覚ないのかよ」
軽口が飛び交う中、キッチンからいい匂いと一緒に昌枝さんが現れた。
大皿いっぱいの唐揚げを抱えている。
「昌枝ちゃーん! 俊が俺のことイジメる!」
敦兄が大げさに訴えると、昌枝さんは笑いながら、大皿をテーブルの真ん中に置いた。
「ほら、あっちゃんの好物の唐揚げだからね。機嫌直しなって」
「よっしゃ!」
敦兄がぱっと箸を伸ばす。
「……単純なやつ」
ぼそっと、俊兄がつぶやいた。
私の隣では、颯太がもうご飯をがつがつ食べている。
「昌枝ちゃん、おかわり」
「颯太!」
「昌枝さん、だろ」
私と俊兄の声が重なると、颯太がむっとする。
「なんだよ。敦兄だってちゃん付けじゃん」
「俺と昌枝ちゃんの仲だもん」
敦兄が当然みたいに言うと、昌枝さんが楽しそうに笑う。
「あはは! そうだね」
「でも、颯太はダメだからね」
「なんだよっ」
私の注意に、颯太がふてくされた声を出す。
つい口元がゆるむ。
その時――
廊下の方から、足音が近づいてきた。
廊下の方に目を向けると、学ラン姿の隼人が歩いてくるところだった。
……今帰ってきたんだ。
その背中から、なぜか目が離せなかった。
そのまま通り過ぎようとしたところで、
「おい隼人! ただいまだろ!」
敦兄が声を張った。
「昌枝さんに挨拶」
俊兄もすぐに続く。
隼人は一瞬だけ足を止める。
ちらりとこちらに視線を向けたあと、振り返りもせず短く言った。
「……ただいま、昌枝」
え。
まさかの、呼び捨て……?
テーブルの空気が、ほんの一瞬止まる。
隼人はそのまま廊下を歩いて行った。
「……ほら、隼人兄だって」
颯太が得意げに言う。
俊兄は小さくため息をついた。
「すみません、昌枝さん」
「いいんだよ!」
昌枝さんはけらけら笑う。
「みんな好きに呼んでくれたら。隼人くんみたいないい男に呼ばれたら、私も若返るってもんよ」
「旦那に怒られるぞー」
茶化す颯太の手を、ばしっと叩いた。
「いてっ」
「なんだよ、昌枝ちゃんは俺一筋だろ」
敦兄が不満げに言うと、昌枝さんはくすっと笑った。
「なーに言ってんの。あっちゃんモテるんだから。昌枝ちゃんのことなんて相手してないくせに」
敦兄は唐揚げを口に放り込みながら反論する。
「なんだよ。隼人だって女には不自由してないだろ」
「っ……」
思わず手が止まった。
胸の奥が、ほんの少しだけざわつく。
……なんで、今それ言うの。
別に、気にすることじゃないのに。
「姉ちゃん、唐揚げいらないの?」
颯太が不思議そうに私を覗き込む。
気づけば、箸を持ったまま少し固まっていたらしい。
「あ、ううん――」
言い終わる前に、私の皿の唐揚げを颯太がひょいと取った。
「あ!」
「やった、ラッキー」
颯太は気にする様子もなく、唐揚げを口に放り込む。
「おい颯太、りあの取んなよ」
敦兄が笑う。
食卓は、またいつもの騒がしさに戻っていった。
それからしばらくして――
みんなそれぞれ部屋に戻り、家の中もすっかり静かになった。
私は一人、リビングに戻る。
昼間、昌枝さんからもらった花束が、棚の上に置いたままだったのを思い出した。
せっかくだから花瓶に入れて、玄関に飾ろうと思った。
一本ずつ花を整えながら、位置を少しずつ変えてみる。
「……よし、と」
なんとか形になった気がして、小さく呟く。
その時だった。
背後から、ふわっといい匂いがした。
同時に、すっと手が伸びてくる。
骨ばっているのに、指先は不思議なくらいしなやかだった。
「――ここ」
驚いて振り向く。
「!」
隼人だった。
どうやら風呂上がりらしく、髪が少しだけ濡れている。
髪先から落ちた一雫が、喉元をすっと伝っていく。
隼人は私のすぐ横に立ったまま、花瓶の花を指先で整えた。
「こうした方が、色が喧嘩しない」
さっと花の位置を変える。
さっきまで少しバラバラだった花が、不思議なくらいきれいにまとまった。
「……本当だ」
素直に感心してしまう。
「ありがとう」
隼人は一瞬だけ私を見ると、表情がわずかにゆるんだ気がした。
帰ってきてから、そんな顔、初めて見た気がする。
「あ……」
小さく声が漏れる。
隼人は視線を花に戻して、ぽつりと言った。
「その花、お前っぽい」
「え……?」
聞き返すが、隼人はそれ以上説明する気はないらしい。
少し間を置いてから、思い出したように言った。
「……風呂、空いてるけど」
「っこれ、玄関に置いたら入る!」
隼人は軽く頷くと、そのままリビングを出ていった。
私はしばらく、その場に立ったままだった。
遠ざかっていく背中を、つい目で追ってしまう。
花瓶の中の花が、かすかに揺れていた。




