表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/12

やさしい気配

家のドアを開けた瞬間、人の気配がした。


「ただいまー」


声をかけると、すぐにキッチンからエプロン姿の女性が顔を出す。


「りあちゃん!」


「昌枝さん!」


靴を脱ぎ捨てて駆け寄ると、昌枝さんはそのまま私をぎゅっと抱き寄せた。


「おかえり、りあちゃん。本当に久しぶりだねぇ」


「ただいま、昌枝さん」


ふわっと漂う料理の匂い。

懐かしいその香りに、ほっとする。


しばらくして昌枝さんが体を離し、目を細めて私を見つめた。


「しばらく見ないうちに、お姉さんになったね。きれいになった」


「そ、そうかな?」


ちょっと照れてしまう。


「うん。……あ、そうだ。ちょっとこっち来て」



呼ばれてリビングに行くと、小さな花束を差し出された。


ピンクを中心にした、可愛らしい花たち。

やわらかな色合いが、春の終わりの光によく似合っている。


「はい、これ」


「え?」


「来る時に通りかかった花屋さんで見つけてね。なんだか、りあちゃん思い出して」


思いがけない贈り物に、胸がじんわり温かくなる。


「ありがとう」


花束を大事に受け取ると、昌枝さんが嬉しそうに笑った。


「よかった、喜んでくれて」


「うん! ……あ、そうだ。昌枝さん、私のお土産食べてくれた?」


シンガポールから戻る時、桐生家のみんなと昌枝さんにチョコレートを買ってきていた。

リビングのテーブルに置いたままだったはずだ。


テーブルに駆け寄り、箱を開ける。


「……あー!」


中はきれいに空っぽだった。


……絶対、颯太だ。


後ろから昌枝さんがひょいと覗き込んで、豪快に笑う。


「いいのいいの。りあちゃんと会えただけで嬉しいんだから」


「でも……」


空箱を見つめながら、私はため息をつく。


……颯太のやつ、マーライオンのチョコなんてベタすぎる、って文句言ってたくせに。


「それより、お昼ご飯もうすぐできるから待っててね。りあちゃんの好きなハンバーグにしたから」


その言葉に、顔が明るくなる。


「うん!」


昌枝さんがキッチンへ戻っていく。


私は花束を抱えたまま、その場でふと足を止めた。


……そうだ。


俊兄に鍵、返さなきゃ。



花束を棚の上に置き、地下へ続く階段を下りる。

敦兄と俊兄の部屋は、地下にある。

記憶をたどりながら廊下を進む。


確か、俊兄の部屋は――奥の方。


ドアの前まで来て、少し迷う。


……勝手に入るのもどうなんだろう。


でも、ドアは半開きだった。

昌枝さんが掃除した後かもしれない。


机に鍵を置くだけなら大丈夫かな。


そう思って、そっとドアを開ける。



「お邪魔しまーす……」



誰に言うでもなく、小さく呟く。


俊兄の部屋は、モノトーンを基調にしたシンプルな空間だった。

余計なものがほとんどなくて、机の上もきれいに整っている。


机の端に鍵を置くと――


あれ……?


引き出しの隙間から、少しだけ封筒がはみ出しているのが目に入った。


小花柄の、可愛らしい封筒。


この部屋には、ちょっと似合わない気がする。


「……なんだろう」


思わず目がいくが、すぐに首を振った。


人の部屋をじろじろ見るのはよくない。


私はそのまま静かにドアを閉めて、俊兄の部屋をあとにした。



地上へ戻ると、キッチンからいい匂いが漂ってくる。


その後、昌枝さんと一緒に昼ご飯を食べた。


久しぶりの昌枝さんの料理は、やっぱり美味しい。

気づけばお腹いっぱいになっていた。


食後、軽くお腹をさする。


……ちょっと食べすぎたかも。


気分転換に、三階へ上がる。


自分の部屋の前を通り過ぎ、廊下の奥にあるバルコニーに続くドアを開けた。


ドアを開けると、ふわっと外の空気が流れ込んできた。


バルコニーは思ったより広い。

片側にはウッドデッキが敷かれていて、観葉植物がいくつか並んでいる。

白いリクライニングチェアも置かれていた。


もう半分は人工芝が広がっている。

昔からここは、私のお気に入りの場所だ。


私はウッドデッキ側の椅子に腰を下ろす。

背もたれを倒すと、空が広く見えた。


ここでぼんやり空を眺める時間が、昔から好きだった。


――昔は、よく颯太と一緒に来ていた。


まだ小さかった颯太が、私の隣にちょこんと座って。


同じように空を見上げていたのを思い出す。


思わず、くすっと笑った。


「可愛かったなぁ……あの頃の颯太」


いつからあんなに生意気になったんだっけ。


そんなことを考えていた時、スマホが震えた。


画面を見ると、海外にいる母からだった。


私はすぐに電話に出た。


「お母さん!」


『りあ?どう?元気にやってる?』


「……うん。まあね」


『なによそれ』


電話の向こうで、母が笑う。


「お母さんは?原稿、進んでる?」


作家の母は、今も締切に追われているはずだ。


『うん、なんとかね』


同じような返しに、小さく笑ってしまう。


……やっぱり親子だな。


その時、電話の向こうから、カチ、カチ、と何かを点けようとする音が聞こえた。


何の音……?


『学校はどう?』


「今日行ったよ。挨拶だけだけど。瑞稀と同じクラスだったの! ……本当によかった」


『……そう』


母の声が、少しだけ和らぐ。


安心しているのが、なんとなく伝わってきた。


『あ、そうそう。あんたの荷物送っといたから。一週間以内には届くんじゃない?たぶん』


「ありがと」


このアバウトさも、相変わらずだ。


カチ、カチ


……まただ。


さっきから続いている音。


「……お母さん、何して――」



『……ちょっと大ちゃん!これ火つかない!どうやるんだっけ!?』



突然、電話の向こうで母の声が大きくなる。


『はいはい今行くー! 大丈夫だから、薫さんは座ってて!』


続いて聞こえてきたのは、父の声。


『早く!お湯がないとカップ麺食べられないじゃない』


「……」


母は、家事能力がほぼゼロに等しい。


……お父さん、ごめん。


私は心の中でそっと謝った。


『じゃあ、また連絡するわ』


「うん。……お父さんにもよろしくね」



電話を切り、腕を伸ばして空を仰いだ。


そのまま手をだらりと落とし、再びリクライニングチェアに体を預ける。


……なんだか気持ちいい。


春の終わりの風はやわらかくて、うとうとするにはちょうどいい。


目を閉じると、意識がゆっくり沈んでいった。



――夢を見た。


冷たい水。


息ができない。


遠くで、誰かの声。


――りあ。


小さい頃の私が、眠っている。


その手に、誰かがそっと指輪を握らせている。

小さな赤い石がついた、おもちゃの指輪。


男の子。


でも、顔がよく見えない。


……誰?


答えを聞く前に、意識が、ふっと浮かび上がった。


現実に引き戻される。


……誰かの気配がした。


重たいまぶたを開く。

どうやら、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。


ゆっくり体を起こすと、膝の上に、ブランケットがかけられていることに気がついた。


「……」


私はそれをぎゅっと握る。


……誰が?


分からない。


でも、なぜか――


隼人だったらいいのに、と思ってしまう自分がいた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ