8話
「……うぷ」
つけ麵を食べた後、駅前の外れに止めていた自転車を回収したは良いものの、腹が重く押して帰ることとなった。
『ここは特盛でも値段が変わらないのよ!』と特盛を頼むのが当然のように話していたので、それに従ったのが間違いだった。
千代田さんは食べた物が身体のどこに消えているんだろうか。人体のメカニズムというのは不思議なことばっかりだ。今回はつけ麵だから完飲はしないだろうと思っていたが、スープ割りを入れて今日もどんぶりを空にしていた。いや、美味かったけどね。魚介豚骨というのか、魚介の旨味がスープ全体を支配していて癖になる味だ。
しかし、それよりも衝撃なのはなんといっても除霊の件だ。
子供の頃から俺のことを散々怖がらせてくれた幽霊が倒せるというのなら、もう恐れる必要はないんじゃないか。人助けも出来てバイト代だって稼げる。一石三鳥とはこの事だ。俺の胃を拡張しようとしてくるのなんて気にならないほど、除霊の仕事に誘ってくれた千代田さんには感謝してもしきれないだろう。
一駅ほど歩き食べたつけ麵を消化し始めて少し体が楽になったのも相まってか、なんだか全能感に包まれてるみたいだ。今じゃあ空も小さく見える。
……まぁ自分じゃ何も対処は出来ないけれど。
それでも、幽霊なんざ来るなら来いと言うほどに昂っている。
「ふふふ……」
夜空にほくそ笑みながら、自転車にまたがる。そして、さぁ漕ぎ出そうかというところで足が止まる。
———この感じ。霊の気配だ。
ばっと後ろを振り返る。周囲には老若男女それなりの数の人が行きかっているが、その中に。
……いた。
大学生だろうか。陰鬱な表情を浮かべて、地面を見つめながら重い足取りで何とか前に進んでいると言った様相だ。
俺は自然反射のように脇を占めて防御姿勢を取り、目を背けようとする。
いや、だめだ。さっき、千代田さんが除霊をするところを見たばっかりじゃないか。何とか話を付けて、除霊を勧めよう。次は明後日が除霊の日だから、そこに来てもらえればあの人だって楽になるはずだ。
よしっ。
意を決して自転車を道脇に停め、幽霊とその憑かれた学生へ近づいていく。
幽霊はこちらに気づいているのかどうか定かではないが、学生は周囲の状況など上の空なのか、手を伸ばせば触れるほどの距離まで近づくまでこちらに気を向けることはなかった。
だが流石にその距離になって、こちらが声をかける瞬間に顔を上げた。
「……なに?」
ぶっきらぼうな声で、鬱陶しそうな目線で俺のことを見返す。
一瞬、うっと仰け反りそうになったのを何とか堪える。人に敵意を向けられるのなんて、幽霊の圧に比べれば大したことはない。それに、この人だって幽霊に憑かれているからこんな感じになっているだけだ。
「あの、ですね……」
ふっと目線を上げると、幽霊もこちらを向いていることに気づいてしまった。
短時間一緒に居たからってなにか運が悪くなるとか病気になるなんてことはないが、この距離で向かい合うのなんて久しぶりだ。胃がキリキリと痛み、背中に汗が流れていく感覚が伝わる。
あぁ逃げたい。声をかけたのを後悔しかけたが、見ないふりをしていたらずっと後悔するだろう。
「すごく具合が悪そうだったので。治せないかと……」
しかし直接除霊と言って信じてもらえるかどうか。非常に曖昧な言葉になってしまった。
「病院は行ってんだよ。アンタみたいな学生がどうにも出来ないだろ」
「いや病院ではなく、お祓いと言いますか、除霊というか。貴方から霊気を感じたので」
自分でも言っていて怪しさ満点だ。だがこうなったら続けるしかない。
「知り合いに専門の方がいるので、依頼をすれば調子もよくなりますよ」
「……ちっ、いらねえよそんなのは」
その学生は、背を向けてその場を離れそうになったので、咄嗟に肩を掴んでしまった。
「あ、あの、名刺だけでも」
そう言えば、千代田さんから名刺の様なものを貰っていた。と言っても千代田さんの名前が入っているわけでもなく、店の名前と場所が印字されているだけだが。
それを思い出し、ポケットから取り出して手渡そうとしたが。
「いらねえっつってんだろ!」
勢いよく振り払われ、俺は尻餅をついた。そしてその頭上から、ひらひらとその名刺が振ってくる。
「いてて……」
転ぶ寸前に手を地面につけていたのだが、それがアスファルトに擦れて掌が痛む。その痛みに気を取られているうちに、件の学生は視界の遠くまで去って行った。
「……ダメか」
道行く人たちは何事かと俺の方に視線を向けている。野次馬根性が半分、転んでて少し心配が半分、といった目線だ。
こういった周囲の空気が一番きつい。昔テレビかSNSで、ブラック企業に入った新入社員がいきなり名刺を渡すノルマを課せられ、駅前で見世物のようにして名刺を配っていたニュースを思い出した。
こりゃ苦行だな、俺なら初日でトンズラこくかもしれない。
ずっと地面に尻を付けておくわけにもいかないので、落ちた名刺を拾い上げて停めていた自転車に跨る。
ハンドルを握ると再び手が痛むので見てみると少し血がにじんでいたが、そんなことはどうでも良く、周囲の目から逃げるようにペダルを漕いだ。
「星空が目に沁みるな」
勇気を出して声をかけたのは、後悔はしていない。元々人を助けたいなんてのは自己満足だ。声をかけ、提案はした。それを受け入れて除霊をするか、否か、は俺の手から離れた問題だ。そういう意味では自己満足は達成した。名刺は受け取ってもらえなかったが、除霊という言葉は伝えた。病状が改善しなければ、いつか思い出して、ネットで調べて来てくれるかもしれない。
……はずだけれど。
言葉の選択については、もう少し何かあったかもしれない。ただ、どんな台詞が良かったかなんて、星空に問いかけても答えは返ってこなかった。
「なんか点滅してんな」
星だと思ってたのは飛行機のランプだった。そもそも東京で、端から俺の視力じゃ星なんて碌に見えやしなかった。




