7話
そして、夕方。
先日と同様に仕事場となる商業ビルの前で待っていると、約束の5分前に千代田さんがやって来る。
「今日も早いわね、じゃあいきましょっか」
大学には慣れてきたかしら? 友達は何人出来た? 夜は早めに寝てる? ハンカチは持った? なんて心配してくれる千代田さんの優しさに浸りながら、ついに開店時間を迎える。
「今日はまともな客が来てくれるといいわねぇ」
と願望を口にしながら客を待っていたのだが。俺は客が来る前に『気配』を感じ取った。
結論を言えば、まともな性格な客ではあったのだが、そんなことはどうでもいいと思えるほどに、背筋が凍るような冷たくドロッとした空気が流れ込む。
「これは……」
紛うことなき、幽霊の気配だ。
俺は冷や汗をかいて息が早くなっていくのを感じながら、千代田さんの方を見る。
だが、千代田さんは余裕そうな表情を見せている。
「陽一くんも、見なくとも分かるのね。今日のお客さんは、どうやら本物みたい」
「怖く、ないんですか?」
「慣れてるからね。それに、私には撃退する術があるから。きっと陽一くんも大丈夫になるわよ」
そうだと良いんだけど……。
段々と近づいて来るその気配に、鼓動は更に強く聞こえるようになり、遂にはその客が姿を現す。
「……あの。ここで、除霊をしてもらえると、予約をしたものですが……」
声はしわがれ、やつれ切った、という表現がぴったりな男性が席へと座る。
千代田さんがヒアリングを行っている際に判明したのは、この男性は30歳とのことだ。見た目は40代と言っても驚かないほどに老けた顔つきをしている。
それは、幽霊に取り憑かれた人間ではさほど珍しい現象ではない。
しかしそんなことよりも、俺は客よりもその背後に居座っている幽霊に全ての意識を向けていた。……いや、意識を持っていかれていると行った方が正しいかもしれない。
半透明なくせに圧倒的な存在感を放っているそれは、まるでこの世の憎悪をかき集めたかのような表情をしている。生前はどんな人間だったのか、というより、そもそも見た目では本当に人間だったのかすら疑うような造形だ。
「なるほど、大体わかりました。では除霊を始めましょうか」
千代田さんは幽霊を一瞥すると、近くに立てかけていた、よく寺で祭司や巫女さんが手に持っている、細い木に白いひらひらが付いた———後で聞いたが、祓串と呼ばれている道具を掴んだ。
「では眼を瞑り、集中してくださいね」
客はズボンを摘みながら、まるで祈るかのような表情で目を閉じる。
それを確認した千代田さんは、すーっと息を吸い込むと。
「悪霊退散! 悪霊退散!」
ばっさばっさと音を立て、どこぞの陰陽師じみたセリフを発しながら、幽霊へとそれを叩きつける。
対する幽霊は、歪んだ顔を更に醜く変容させる。荒げた絶叫は何の言葉を発しているのか見当はつかないが、千代田さんの行動を幽霊が嫌がっていることは理解できた。
千代田さんが手に持っている祓串が、何らかの神聖な力を纏っており、それが幽霊を祓うことに繋がるのか……。
と思っていた矢先に、千代田さんは祓串を机にそっと置くと、先日見た光の珠が千代田さんの体を覆い、特に右手に光が集中していく。
そして。
「成仏!」
千代田さんが思い切り振りかぶったのちに、その大量の光に包まれた右の拳をめりこまんばかりに幽霊の顔面へと叩き込んだ。
「っ……!」
想定外の動きに思わず声を上げそうになったが、寸でのところで飲み込む。まさか、除霊がこんな力技だとは思わなかった。
しかしやはり、最後は暴力が全ての問題を解決するということだろうか。幽霊はその拳が当たった個所から、まるで砂で出来ていたかのように崩壊し始める。それは目に見えぬほど細かくなって霧散し、終にはあのおどろおどろしかった雰囲気も含めて全てが無に帰した。
「……ふー」
千代田さんは深く息を吐くと、やりきった、と言わんばかりの表情で天を仰ぐ。
幽霊の見えない人間から見れば滑稽に映るかもしれないが、これまでさんざん幽霊に迷惑をかけられ、対処のしようがないと思い込んでいた俺からすると。
「カッケェ……」
まるで子供の頃に見たアニメのヒーローみたいだ。いや、アニメはまだなお現役で見ているんだが、何と言うか心への響き方が違う。
幽霊って本当に倒せるんだ。天地がひっくり返ったかのような衝撃。
幽霊が憑いていた客も、体調が良くなったのを感じたようで、信じられないというような表情で自分の身体を眺めている。
「す、すごい。まるで僕も大学生の頃に若返ったかのように体が軽い! 藁にもすがるような気持ち出来ましたが、まさかここまでとは……」
感激で土下座でも始めそうな勢いで感謝するサラリーマンに対し、千代田さんは自慢げな笑顔で胸を張る。
「良くなったようで何よりです。ただ、健康的な生活をしないとまた霊が寄ってきますからね。一応、数週間は霊が近寄ってこないように、力を授けておきましょう」
まるで『熱は下がったけど薬を出しておきますね』という医者のような対処だ。まぁ幽霊も病気も似たようなものか。
「なにからなにまで有難うございます。これなら、同僚も紹介してあげようかな……」
「同僚?」
「ええ、何を隠そう、僕がここで除霊をしようと思ったのも、その同僚がいたからなんですよ。同じように体の不調を訴えていましてね。降霊術がどーたらと、変わった奴なんであまり込み入った会話はしてないですが」
客の話を聞いていくうちに、先程まで上機嫌だった千代田さんの顔はみるみる曇っていく。
「降霊術など……私には分かりかねますが。ただ、その同僚の方が〝除霊に前向き〟なのであれば、私も協力は惜しみません」
訝しみに気付いていないのか、客のサラリーマンは謝礼を払った後も何度もお辞儀をしてから去っていった。
「……ん~」
唇を尖らせながら、目線を斜め上にして何やら思考に耽っている。
柔らかそうな唇だなぁ、という邪な考えを振り払いながら、俺は千代田さんに声をかける。
「お疲れ様です。いや、疑ってたわけじゃないですけど、除霊なんて初めて見たので、なんか感動しました」
すると千代田さんは顔をパッと明るくして、ふふーん、と再び胸を張る。
「まぁ、可愛い後輩には良いところを見せないと、ってちょと張り切っちゃったかしらね。ざっとこんなものよ」
「最後に何か考え込んでましたけど、どうかしたんですか?」
「『降霊術』というのが気に掛かってね……。噂で耳にしたような気はするんだけど」
う~ん、と首を左右に傾げながら記憶を探るが、どうにも答えは見つからないようで。
「分からないものを考えたってどうしようもないわね。本物の除霊で疲れたし、ちょっと早いけど今日も先に切り上げましょうか」
千代田さんはテキパキと借りているスペースの片づけを始める。一緒にそれを手伝っていると、千代田さんは唐突に「あっ、そうだ!」と声を上げる。
「何か降霊術のこと、思い出したんですか?」
「違う違う。はい、これ」
差し出された封筒を受け取る。薄く、中には紙が入っているようだ。
……まさかラブレターじゃないよね。なんて期待しちゃったり。
「お給料よ、アルバイトだからね。あ、申告はちゃんとするのよ。まぁ年間100万も行かないと思うけど」
期待したっていいじゃない、人間だもの。
でもがっかりするようなものではなかった。
「これで今日もご飯に行きましょっか」
「今日はどこに行くんで?」
「この前はラーメンだったから、今日はつけ麵にしましょうか」
じゃあ次は油そばか何かかな。
駅前のロータリーでほろ酔い状態の若人をかき分けながら、目を輝かせてお店へと向かう千代田さんの後を追い、俺もその雑踏の一部に混ざり込んだ。




